栗野的視点(Kurino's viewpoint)

中小企業の活性化をテーマに講演・取材・執筆を続けている栗野 良の経営・流通・社会・ベンチャー評論。

大志を抱くのは二流の人間

2008-06-01 16:13:19 | 視点
 先月28日に、大森奨氏が企業人として生きた半生を記した「愛と感謝を知って経営再建」出版記念後援会とそれに続くパーティーがあった。
 大森さんは福岡というか北部九州の店舗設計関係の人間で知らない人はいないという(株)オオモリ総建の創業者・会長であり、現在82歳。
平成7年に同社を辞めた後も(株)組織力開発研究所を設立し、様々な形で組織経営に関わっておられる。

 私が初めて大森氏にお会いしたのは(株)組織力開発研究所を設立された頃で、福岡金網工業の山本健重社長の紹介だった。
 山本社長は分け隔てなく誰とでもお付き合いされる方で、以前からあちこちのセミナー会場などでよくお見かけしていたが、懇意にお付き合いさせていただくようになったのは7年前からである。
 建設金網分野という公共工事依存型の業界にありながら、常に先を見た経営で無借金経営を続けている素晴らしい経営者だ。

 パーティーに先立ち大森氏の講演があったが、その中でさすがに1代を築いた経営者は違うなと感じたことがあった。
 「少年よ、大志を抱け」という言葉があり、昔から「大志を抱く」ことは非常にいいことのように言われているが、私はこの言葉が嫌いだ、
 と大森氏が切り出した。こういう言い方をする人は珍しい。特に企業人では。
 なぜ嫌いかと思えば、
 「大志を抱かなければいけないのは二流の人」で、「毎日毎日一生懸命にやっていれば結果が付いてくるもので、私はそのようにやってきた」。
 それをことさら大志を抱かないとできないような人間は二流だ、と。
 なるほど。

 「大志を抱けという言葉は嫌い」と聞いた時、ああ、大志を抱けというのは、大志も抱いていないような人間を激励する言葉で、自分は大きな大志を抱きつつ仕事をしてきた、と続けるのかと思ったが、予想は思いもしない言葉で覆された。
 そうなのだ、一流の人間というのは「毎日一生懸命」に生きてきているわけで、それこそが大切なのだ結果
に誘われ出席したが、、と考えさせられた。

 坂口安吾に「二流の人」という小説がある。
主人公は黒田如水である。
その如水を評して安吾は「二流」と言ったのである。
この小説を読んだ時、愕然とした。
如水ですら二流といわれるのだから、自分なんかは三流どころか四流、五流の人間だと思い知らされたのだった。
 図らずも今回、大森氏からお前らは二流にもなれないといわれたような気がした。

 久し振りにちょっと刺激を受けた講演会だった。

 その後はお決まりのコースで山本社長に誘われ、雨の中を夜の街に繰り出し、リラックス、リフレッシュ。
 それにしても大森さんといい、山本社長といい、皆さん元気。


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