栗野的視点(Kurino's viewpoint)

中小企業の活性化をテーマに講演・取材・執筆を続けている栗野 良の経営・流通・社会・ベンチャー評論。

反・自粛の自粛~石原都知事の意見に賛成する。

2011-04-08 22:35:13 | 視点
 おかしな動きになっている。
「過度の自粛」が本当に行われているのかどうなのか。
なにが「過度の自粛」なのか、よく分からないが、過度の自粛反対ムードが突然沸き起こりつつある。
「過度の自粛」の発端は3月29日の石原都知事の発言ではないかと思う。
「桜が咲いたからといって、一杯飲んで歓談するような状況じゃない」と、花見での宴会を諌め、その発言を受けて各地で花見イベントの中止が相次いだようだ。
 それに対して今度は反対論が出ている。
「過度の自粛」は経済を悪化させるというのが反対論の言い分だ。

 私は石原都知事の上記意見を支持する。
今回の被災では2万7000人以上の死者・不明者が出ているのだ。
通常でも49日は喪に服するのが当たり前である。
いわんや今回はまだ生死さえ不明な人がまだ多くいる。
そんな時に「一杯飲んで歓談するような状況じゃない」だろう。
石原都知事も花見そのものを禁止しろと言っているわけではない。
静かに花を愛で楽しむことはいいことだ。

 被災地の酒蔵などが酒の売り上げが減って悲鳴を上げ、花見や宴会をして欲しいと言うが、元々県内消費市場で首都圏などには出回ってなかったというし、花見・宴会をしたから消費が本当に増え、経済が良くなるのか。
そんなものではないだろう。

 商品は売れてないのではない。
スーパーでもコンビニでも行ってみれば分かるが、飲料水系はどこの店でも入荷するとすぐ売り切れているのだ。
消費自粛どころか買いだめで通常以上に売れている。
それなのに政府が「過度の自粛を自粛」などと言おうとするのはおかしい。
もう少し物事をしっかり捉えるようにして欲しいものだ。

 いま消費者が消費に金を使わなくなっているとしたら、それは将来に対する不安感からだ。
自粛反対などと言う前に、消費者の不安材料を取り去ることをすべきで、そうすれば消費は戻る。
 宴会等が減っているのは、こういう時だから鎮魂のためもあるだろうが、毎日、あるいは日に何度も起きる余震が次のさらに大きな地震を呼び込むのではないかという不安や、福島原発への不信・不安があり、とても飲んで浮かれる気分にならないからだ。
政府は「過度の自粛反対」などを唱えるより、もっと根本的なところで対処すべきことがあるだろう。
原発の不安を取り去り、復興への槌音を力強く響かせることだ。

 バブル以後の日本は世界的に見ても照明を使い過ぎている。
それこそ過度に。
いま全国的に電力使用量を減らそうという動きになっているが、これはいいことだ。
なにも東電だけの問題ではないだろう。
全国民がエネルギーについてもう一度考えるいい機会ではないか。
この機会にムダな電気を消し、二酸化炭素排出の問題、地球環境について真剣に考えようではないか、と訴える方が当たり前だろう。

 例えばお隣りの国、韓国では国際原油価格の急騰を受け、橋のライトアップや商業・住宅地区における建物外部の照明、広告や商業施設ネオンなどは午前0時に、娯楽施設のネオンは午前2時に消灯するよう、政府が2月28日に通達している。
違反すれば罰金刑が課せられるのだ。
 韓国では国を挙げてここまでするからIMFの監視下に置かれた経済危機の時でも短期で立ち直ることができたのだ。
こうした点は我々、我が国も見習いたいものだ。
そして見事な復興を成し遂げようではないか。