栗野的視点(Kurino's viewpoint)

中小企業の活性化をテーマに講演・取材・執筆を続けている栗野 良の経営・流通・社会・ベンチャー評論。

グローバルとローカル~県民性

2010-10-13 10:42:17 | 視点
標準化が世の中をつまらなくする

 グローバル経済にグローバル社会、グローバル市場、グローバル企業、グローバル戦略、グローバルマーケティング、グローバル人材・・・。世はあげて「グローバル」時代である。「グローバル」が標準で、「グローバル」と言わないと時代遅れのような感さえある。その一方で「地産地消」が言われ、また民族間の紛争が増えるなど、逆にローカルが注目されている面もある。

 ローカルといえばかつて「県民性による違い」が言われたことがある。
例えば熊本県人は「肥後もっこすだから」とか、岡山県人は××だ、というものから始まり、「博多時間」「宮崎時間」「沖縄時間」など、各地域に標準時間とは別に「地方時間」というものがあった。 

 こうしたことを知らずに域外から転勤その他で来た人は、とんでもない目に遭わされたものだ。会合時間に会場に行っても誰もいなかったり、約束の時間を守らないというのは普通で、それで怒ると「○○時間というのを知らんのか」と逆に説教されたりした。

 時代とともに標準時間と「地方時間」の差は縮まっていくが、福岡では新幹線開通で関西圏からの人の往来が増えたことが差を一気に縮めた。その後、福岡は「支店経済」「1%経済」と言われるように、域外経済の影響を色濃く受けることになる。それにつれ「郷に入りては郷に従え」というローカルの常識・ルールより標準常識・ルールの方が重んじられるようになっていった。

 実際、1970年代初頭まで九州では関西弁を嫌う風潮があった。「男は黙って」ではないが、口先でべらべら喋る人間は軽く見られ、「九州男児」は無口で木訥で、そういう人間の方を信用したような風潮があったように思う。事実、私の関西訛りはその頃矯正され、以来関西弁でも、博多弁でも、岡山弁でもなく、時にそれらが多少混じる程度の、比較的標準語に近い「デラシネ(故郷喪失者)言葉」になった。

キーの情報はアナログ

        (以下略)

幻に終わった第2国土軸構想

        (以下略)

ローカル復権の動きも一部で


        (以下略)



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