俳優の菅原文太氏が亡くなり、太宰府天満宮で家族葬も執り行われたというニュースが流れた。
亡くなったのは11月28日とのこと。
このニュースで不思議だったのは「太宰府天満宮で家族葬が執り行われた」という下り。
彼は仙台市出身で、晩年は山梨県に住み有機農業を営んでいると思っていたからだ。
農業に従事しだしたのは2009年以降らしいが、その頃から社会的発言をし始め、それまでは俳優としての
菅原文太氏しか知らなかったので刮目した記憶がある。
東北大震災以後は政治的な活動も目にするようになり、その生き方に賛同もしたものだ。
今回の訃報に接し感動したというか、羨ましく思ったのは奥様が報道各社に送ったFAXの内容である。
以下全文
「7年前に膀胱がんを発症して以来、以前の人生とは違う学びの時間を持ち『朝に道を聞かば、
夕に死すとも可なり』の心境で日々を過ごしてきたと察しております。
『落花は枝に還らず』と申しますが、小さな種を蒔いて去りました。
1つは、先進諸国に比べて格段に生産量の少ない無農薬有機農業を広めること。
もう1粒の種は、日本が再び戦争をしないという願いが立ち枯れ、荒野に戻ってしまわないよう、
共に声を上げることでした。
すでに祖霊の1人となった今も、生者とともにあって、これらを願い続けているだろうと思います。
恩義ある方々に、何も別れも告げずに旅立ちましたことを、ここにお詫び申し上げます」
文太氏の生き方、考えを理解し、きちんと伝えた素晴らしい文面で、羨ましい夫婦だと感じた。
訃報の連絡の場合、通り一遍の挨拶文面が多い中で、異彩を放った文面だと痛く感動した。
こういう伴侶を得ていた文太氏にも納得するとともに羨ましく思った。
私の最期の時にもこれに近い文面を作成してくれる伴侶がいればいいが。
さて、「太宰府天満宮で家族葬」の下りである。
最近は福岡市に住んでいたとのことだが、いつから、どのようなきっかけで、福岡のどの辺りに
居を構えておられたのだろうか。
残念ながらその辺のことは分からなかった。