


「先生、私は今一体、一生の中の、 どの季節にあるのでしょうか。 まだ種から芽を吹いたばかりの、 春なのでしょうか。 はたまた、日に日に大きく成長している 夏の苗なのでしょうか。それとも・・・」 晋作はもう1度、思考を止めた。 「収穫の季節は既にもう終わっており、 後は生命が尽きるのを待つばかりでしょうか ――」 【関厚夫著 「紅と白~高杉晋作伝」】 |

起床時には降っていなかった雨。
その後、降っているかいないかのような、
ごく弱い雨が降ったりやんだり。気温は引き続き高めです。
雨はいつしかやんだようですが、今日は終日、太陽の姿は見えません。
従って、じっとしていますと寒さを覚え、ストーブを点けると暑い・・。
点けたり消したり、そんな他愛のない事を繰り返しています。



最近の私は、1年の読書の
ほとんどが、この冬の季節に
集中していると言っても
過言ではありません。
それが、今年に限って
俄(にわ)かに異変。
実は、本格的ではないものの、
少々、布遊びを再開させた
からに他なりません。
そんな中、唯一続いているのが
毎朝、紅茶片手に新聞小説を
読む事・・というのですから、
我ながら驚きます。
その小説とは、
【紅と白~高杉晋作伝】 。
高杉晋作は以前読んだ、
司馬遼太郎作 『世に棲む日々』 以来、
すっかりファンに。
ところで今日の引用文。
亡くなった松蔭の墓前で語りかけているものです。
しかしながら、1863年(文久3年)と言えば、
晋作自身、28歳(1867年没)の生涯ですから、亡くなる僅か4年前の事なのですね。
必死に藩の事を思い、国の事に思いを馳せる・・。
僅か24歳の齢(よわい)で、文末の言葉。
時代が時代とは言え、その言葉には胸が詰まります。
晋作は、その後、蛍火(ほたるび)が舞うのを見て、
「俺の人生はまだ秋にも冬にもさしかかておらぬ。
これからの時勢に必要とされているのだ!」
と意を強くするのです。
こんな時、セピア色の部屋やオレンジのランプの灯りは、
自分自身を投影するのにも、ピッタリです。
ランプに映る、過去の私と現在の私、そして未来は・・?
~なんて占ってみたり。
今は、国内外とも数々の不安を抱えていますが、
晋作と比べるまでもなく、切羽詰まったものはありません。
いいえ、危機はそこまで近付いているのかも知れません。
考えないようにしているだけ。
思えば、彼らのお陰で今の日本があるのですよね。
平和呆けもいい加減にしませんと。