朝夕になると暖かい日は猫たちの悩ましい鳴き声が聞こえてくる…
花粉も飛びはじめた。
ここ数年、季節がどんどん早送りされていくような感覚を持っている。
世事も同様だ。
情報が早く届く分、即座に処理能力が求められる時代…
その処理能力の中には自分の思考をいち早くアップデートする能力も求められる。
仕事柄、ギャグやどぎつい冗談を売り物としてきた芸能人やタレントを間近で見てきた。
笑って済ませられるケースが殆どだった。
それが、ハラスメントという言葉が浸透しはじめた頃から、
『悪い冗談』そのものが通用しなくなった。
《何でも許された時代》は過去のものになった…
昨今のニュースをみながら、
その事に気づくのが遅い芸能人やタレントは消えていく時代なのだなぁ…
と、つくづく思う。
(もしかして番組改編時期だし、それに便乗しての高額ギャラタレントの首斬り?)
と思える部分もあるが、
ニューメディアへの依存が強くなっていている現在、
オールドメディアが無駄な経費を削りたいと思うのも理解できる。
ただ、私のような昭和生まれの人間は、
まだオールドメディアへの信頼度のほうが高い。
誰が書いたのかわからないネット記事も横行しているからだ。
その出所不明のネット記事に多くの人が反応し、持論を書き込む世の中だ。
昨日の10時間に及ぶ記者会見を全て見たわけではないが、
呆れたのは質問ではなく持論を展開する記者が多くいた事だ。
(ここはアナタの意見を発表する場じゃないんだよ)
とTVに向かって、ボヤいた私のような視聴者も多かったと思う。
最近、記者さんも自分の意見を聞いてもらう場に飢えているのかしら?
自分の意見を言う場が欲しいのは一般人も同じで、
ここ最近のネットの書き込みを読んでみると、
持論を書き込む人の多さに驚く。
例えば、末期がん患者の記事などを読むと
『末期でそんな事ができるわけがない』などの決めつけもあって、
励ましどころか中には病気自体を詐病と決めつけているような書き込みをする人もいる…
ネット記事自体も、それらを非常識と思うか思わないかさえも読み手に委ねている…
それが恐ろしい…
昨日、有名な経済アナリストが亡くなったが、末期のがん患者であっても命の限界まで仕事をする人はいる。
病気の症状や捉え方は人それぞれ、
ご本人でしかわからないことも多い。
それを自身の経験や、経験がないのに似非知識だけで持論を展開するのは、どうなのか?
最近は、当事者でないとわからない事を憶測と持論のみで話すのが当たり前になっているようだ。
症状は様々、考え方も様々、言論の自由ではあるが、
ハラスメントの件も然り、
過去の常識などに当てはめて考えると事実が見えなくなるものだ。
さてと、勉強しよう。