昨日は箱根駅伝で逆転優勝した駒大の監督が話題になった。
今日は、監督夫人が寮母を務め、部員の食事の栄養管理までしている記事を読んだ。
あの夫にして、この妻あり。
昭和の時代の母のような、夫に従順な、よくできた奥さんのようだ。
指導者のタイプは様々だ。
私には、
駒大の大八木監督は、
昔風の…と言っては失礼だが、
昨年まで話題になった青学の原監督とは対照的なタイプのように思える。
今どき「男だろ!」
という檄が通用するのかな?
そんな疑問を感じながら観戦したのも、
強い違和感があったからだ…。
ネット記事には、
選手のコメントとして監督が飛ばす「男だろ!」に奮起して頑張ったとあったが、
本当に、そうだろうか?
私には、選手が苦笑いをしながら手を挙げているかのように見えた。
監督の「男だろ!」の檄に手を挙げて応える度に、
(もしかしたら、恥ずかしくて、監督にこれ以上ヘンなことを言われないように手を挙げてたんじゃないかな?)
と思ったのだ。
旧態依然とした考え方は、
笑い話にはなるが今は流行らない。
以前話題になった“男、ヤマネ”の口癖で有名な人物を思い出す。
スポーツ選手に、
「男だろ!」と檄を飛ばすことで
納得するとは思えない。
彼らは平成生まれの若者たちだ。
ジェンダーレスの時代に何を今さら?
女子駅伝で「女だろ!」と檄を飛ばす監督はいない。
“男だから”“女だから”を
スポーツに持ち込むのは、やっぱり時代遅れのような気がするのだ。
と言うよりピント外れのように思えてならないのだ。
違いますか?