遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



  
今日は100万人のキャンドルナイト 闇とひかり
 

   グローバリズム(globalism)とは、(globe)即ち地球主義とも呼ばれ、地球を1つの共同体と考えます。それはうつくしい考えのように見えますが、実際はどうでしょうか?  グローバリゼーションのもたらしたものには大きく3つあるように思います。

①経済のグローバル化
②文化のグローバル化
③国の垣根を越えた組織の誕生


    経済のグローバル化には大きな落とし穴がありました。金融のグローバル化によりアメリカのサブプライム問題は野火のように世界中を巻き込み、今世界は大恐慌の予感に震撼しています。発展途上国は借金返済のため、伝統的食料の生産を棄て先進国向けの単一な栽培を余儀なくされました。多国籍企業の世界経済に占める割合はあがり、それは必ずしも、よいことではありません。競争に負けた国内産業は衰退し、労働者の賃金の低下や失業がもたらされます。他国の企業の進出や、投資家による投資によって、国内で得られた利益が国外へと流出します。
最終的に世界は2割の支配者層、8割の貧困層に分かれるという説があります。   

   日本では国際的分業論によって産業は空洞化し、市場には安い中国製品があふれています。農業が衰退し、食料自給率はじわじわ下がり続けています。いまや食料問題も国家間の戦略になっているというのに。アルゼンチン、中国、オーストラリアで深刻な旱魃が進んでいます。アメリカでは農地が砂漠化、水を地中からくみ出しているのですが、あと10年で水は無くなってしまうそうです。水だけでなく地球が何千年、何万年かかって蓄えた富を人類はわずか100年で食い尽くしてしまうのです。子孫たちは将来、わたしたちの世代をなんと呼ぶでしょう。

   文化の面では、欧米化、アメリカ化、日本化、中国化などがすすみ、多様な豊かな文化は衰退してゆきます。国境を越えたNGOなどの組織、またネットによる情報の共有化は大きな可能性を含んでいますが、まだ世界を動かす強力な力にはなり得ていないように思います。


みなさまはこのままグローバル化が進むことについてどう思われますか?
グローバリゼーションで恩恵を受けるのはだれだと思われますか
 .......

    わたしは語りはちいさな場所がふさわしい......というK先生のことばを思い出すのです。 今のままグローバル化を野放しにするのは、とても危険のように感じます。それは怪獣を田園に放すようなものです。ひととひとのつながりを大事にせず、経済性、お金だけを追求する世界企業や市場経済は世界に混乱をもたらすだけではないか.......より過酷な資源争奪戦、弱肉強食の果てに崩壊がおとずれるのではないか

    ことに食において、グローバリゼーションにはおおきな落とし穴があります。ブルーベリー200g輸入するのに2800CCのジェット燃料がかかりますが、国境を越えると無税になる。しかし国内では6割の税金がかかる。だからキャベツ1個 中国から輸入しないで地元で買えば、エアコン12時間分、CO2の削減になります。玉ねぎをアメリカから買わないで地元で買えば、4時間分の節約になります。(NHK)

    フランスの飲料水が日本のものと同じくらいの値段で売っているのも燃料が安いからなのです。これは不公平だと思いませんか?そして資源のムダだと思いませんか?  消費者や生産者は公平な取引(同じような税金)を求めて国に働きかけるべきだし、身土不二、医食同源とも言われるように食料は地産地消がのぞましい。そのためにどうしたらいいか、個人がひとりひとり考えるべきときなのではないでしょうか?

    おおきな世界がひとつになる、ひとつの秩序を持つことは必要です。おおきな世界がひとつになるためには、どうしたらいいか? 大国のエゴ、大国への追随をなくさなければなりません。そのためにどの国でも国民が政府をしっかりチェックする必要があります。それが真の民度、真の文化というものではないでしょうか? 

    ひとつ確かなことは、わたしたちは望む望まないにかかわらず、世界とつながっているということです。食べ物や衣服はもちろんのこと、ガソリンの値段、光熱費など生きてゆくために不可欠なことが世界の国々の決定や国際情勢によって変動します。受け取ることばかりではありません。知らないうちに税金や年金や預貯金を、戦争のため、大勢のひとを殺すためにつかわれる、そんなことは許してはならないし、それを黙って許せば、いつかわたしたちのうえに子どもたちのうえにおなじ運命がおとずれないとも限らないのです。

    そしておおきな世界とどうように、もっとちいさな社会、コミュニティ、目で見える 手をつなげる 語り合えるゆるやかな共同体の再生が求められているような気がわたしはしてなりません。家庭、そしてちいさなコミュニティが機能してはじめて、根っこのあるグローバル化ができるのではないでしょうか。とりあえず、野菜やお芋を家族でつくってみよう、地元でのつながりを、そしてネットをとおした同じ思いのひととのつながりを深めよう、それがわたしの”ひとつの世界”を見なおすための第一歩です。



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