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遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



   「小泉さんがしたことはなんだったのか」調べてゆくうちにわたしの心は疑問でふくれあがってゆきました。なぜあんなことができたのだろう?  国民の味方の振りをして、不良債権処理を国民の資産でしてしまう手際のよさ、日本を売り払い、今も売り尽くそうとしている執念はどこからくるのだろう? (西川社長にこだわって、麻生首相を押さえ込む理由もすこしわかりました。)国民を欺き、国を売り 日本の将来におおきな傷をつけることが日本人にどうしてできるのだろう? 

    小泉さんには今までの政治家にないイメージがありました.....希望を感じました。わたし自身、内閣発足時にはこのひとはきっとやってくれると信じ、メールマガジンをとっていたのです。あれは幻影だったのだろうか、すべてがウソだったのだろうか。 小泉さんの出自や経歴をたどってみました。

その1 ルーツ



   小泉さんの父・小泉(旧姓鮫島)純也は鹿児島県加世田市万世町小松原の朝鮮人出身。鮫島純也は小泉又次郎の妾腹の娘芳江との駆け落ちその後許されて娘婿となる。又次郎の秘書となってから貴族院議員又次郎の後継となり1952年初当選。その後は改進党に所属し、保守合同後は岸派。60年安保改定の際に、与党代表質問し、賛成演説。この時「安保男」のニックネームが付けられた。 この間、朝鮮人の帰国事業、地上の楽園計画の初代会長。第3次池田改造内閣と第1次佐藤榮作内閣の二期連続で防衛庁長官に就任。


   
   小泉さんの祖父(小泉純也さんの妻の父)・又次郎は由兵衛の次男で、政治家を志し改進党に入党。神奈川県会議員、横須賀市議、市会議長を経て衆議院議員。その後、浜口雄幸内閣と第2次若槻禮次郎内閣時の逓信大臣に就任。逓信相時代、「電信電話設備の民営化」に取り組んでいる。1941.12.1の「開戦止む無し」を決議した第4回御前会議に厚相として出席。その後、大東亜戦争の真っ只中の1944年、内閣顧問に就任。刺青を身体に入れていたことからイレズミの叉さんと呼ばれた。

父と子(純也と純一郎)

   小泉さんの曽祖父・由兵衛は、神奈川県横浜市金沢区大道でとび職を生業としていたが、軍港として栄え始めた横須賀に移住し、海軍の軍艦に石炭や砲弾、食料を積み込む港湾荷役労働者の手配師となる。小泉組を創設するや横須賀一の請負組となり、仲仕衆の親分としてその名が轟くようになる。つまり、軍(この場合海軍)と密着し、戦争とともに成長した政商。
 
以上のことから小泉さんが政治家として三代目であり
① 親米
② 朝鮮半島との深い関わり
③ 郵政民営化
などの根がすでに祖父曽祖父からあったことに驚かされます。

ではつぎに本人の経歴について


 神奈川県立横須賀高校卒
 レイプ事件を起こしロンドン大学に遊学
 慶應義塾大学経済学部卒

1969(昭和44)年 衆議院議員選挙 落選
1972(昭和47)年12月10日 第33回総選挙衆議院議員初当選
1978(昭和53)年1月 宮本佳代子と結婚(媒酌、福田赳夫夫妻)
1979(昭和54)年 大蔵政務次官
1980(昭和55)年 自民党財政部会長
1986(昭和61)年 衆議院大蔵常任委員長
1983(昭和58)年 離婚
1988(昭和63)年 厚生大臣(竹下登改造内閣)
1989(平成元)年 厚生大臣(宇野宗佑内閣)
1989年 自民党全国組織委員長
自民党医療基本問題調査会長
自民党筆頭副幹事長
1992(平成4)年郵政大臣(宮沢喜一改造内閣)
1994(平成6)年5月16日 政策集団「グループ・新世紀」結成
1995(平成7)年9月22日 自民党党総裁公選
 落選(87票獲得 当選・橋本龍太郎304票)
1996(平成8)厚生大臣(第2次橋本龍太郎内閣)
1997(平成9)年厚生大臣(第2次橋本龍太郎改造内閣)
1998(平成10)年7月24日 党総裁選で落選
「清和会」(森派)会長
2000(平成12)年 懲罰委員会理事
2001(平成13)年4月24日 党総裁選に立候補
第20代自民党総裁に選出される(298票獲得 橋本龍太郎155 麻生太郎31)

   このときキングメーカーとなった田中真紀子さんは、なぜ小泉さんを推し旧田中派・経世会会長である橋本龍太郎氏の敵となったのか? それは父田中角栄に造反した竹下派⇒橋本派への恨みからだと言われています。(当初 真紀子さんの絶大な人気によって橋本氏を押さえ首相の座についた小泉さんは真紀子さんを切り捨て、人気が下がります。その直後 真紀子さんの秘書給与疑惑が起きるのは偶然にしても 興味深いです。)

2001(平成13)年9月11日 アメリカ自作自演ツインタワー崩壊
直前 日本の米国債購入増える
2002(平成14)年 電撃的北朝鮮訪問
2003(平成15)年 73歳定年制により 中曽根、宮沢両元大臣を追い落とす

   小泉さんは自民党ではじめてメディア戦略をはじめた首相です。経世会=抵抗勢力・守旧勢力と位置づけたマスコミ操作により、わたしたちのほとんどが小泉さんに拍手喝采をしました。橋本龍太郎元首相はアメリカで「できることなら米国債を売りたい」と発言しました。田中元首相以来、経世会はアメリカ追随から脱却しようとしていたのです。けれども、当然それはアメリカの望むものではありませんでした。

アメリカ政府と日本政府が相互に交わしている「年次改革要望書2003年」
 『米国政府は、2007年4月の郵政民営化を目標に、小泉首相が竹中経済 財政 金融担当大臣に簡保、郵貯を含む郵政3事業の民営化プランを、 2004年秋までに作成するよう指示したことを特筆する。』


    そして小泉さん・旧岸派・清和会にとって、経世会は仇敵です。郵政は経世会の利権の温床であり、特定郵便局は集票マシーンでした。「自民党をぶっ壊す」と叫んだ小泉さんがほんとうに潰したかったのは経世会だったのではないでしょうか?郵政民営化とはなにか? 「特定郵便局そして経世会の弱体化、ついでにアメリカの要請に応え345兆円をゴールドマンサックス証券にひきわたし、ご褒美もいただく」小泉さんにとって一石二鳥のしごとだったのです。

    自分たちの利権のためもありましょうが、アメリカの意にはならなかった橋本龍太郎元首相のことをわたしは思わずにはおられません。郵政民営化するにあたって橋本元首相は目の上のたんこぶだったに違いありません。

   
2004(平成16)年7月 橋本龍太郎元総理大臣 日本歯科医師連盟(日歯連)からの一億円献金疑惑浮上、平成研究会の会長を辞任し、同派から離脱。 2005年8月 衆院解散後、総選挙不出馬=政界引退を表明。
2005(平成17)年9月 郵政総選挙
2006(平成18)年7月1日 橋本元首相、東京都新宿区の国立国際医療センターで敗血症性ショックによる多臓器不全のため68歳で死去。


2006(平成18)年  商法改正・外国企業による外国株のとの交換方式での日本企業買収が可能となる。(日本の株価は実質より安いため優良企業の多くに外資が入っている)商法改正については小泉さん、竹中さん、のほかにオリックス・宮内氏が深く関与という情報。

    今回、鳩山さんがやめることになった例の簡保施設、オリックス売渡しとつながるのが興味深いですね。ご褒美とも考えられます。郵政民営化はまだ完全に終わっていません。郵貯350兆はスイスの銀行からアメリカの民間会社ゴールドマン・サックスに移されすでにその多くでいつ暴落するかわからない米国債が買われ、アメリカの火の車を支え、戦費にもなってしまいました。

    今後の展開として「ゆうちょ銀行」と「かんぽ生命」の株式の上場をし、それぞれ半分以上、ゴールドマン・サックスが経営支配権を持つまで買わせるシナリオがあるのではといわれています。これにて郵貯民営化が完成するのです。西川社長は郵貯民営化に最初から参画し内容を熟知していますから、シナリオに欠かすことはできません。それが小泉さんが西川社長にこだわり画策した理由でしょうか。


    小泉さんのルーツから経歴をとおして見てまいりました。就任後 ただちに行った北朝鮮行き、空白の10分、経世会狩り、長老追い落とし、郵政民営化、商法改正、アメリカの野望と日本売り ....。これが小泉劇場のより真実に近いストーリーです。そのなかに小泉純一郎という政治家のビジョンや志は幾許かはあったのでしょうか。それにしてもわたしたちは愚かでした。この国のひとびとが営々とたくわえてきたものがむだに流れ出してしまいました。

    この8年間のあいだにもうひとつ起こったことといえば、マスコミが権力のお目付け役という自らの使命を放棄したことです。それだけでなく旗振り役さえ努めた。小泉さんの「構造改革」という欺瞞をみずから国民に宣伝した。力と金に屈した。日本のマスコミはすでに”死に体”です。ジャーナリズムとはなにか?関係の方々はもういちど深く考えていただきたいと思います。

    この状態のなかでわたしたちができることはなにか? 真実を語るひとの小さな声に気づき、自分の目で見、耳で聞き、真実を見極めなくてはなりません。そのうえで考え、手をつなぎ行動する。沈黙から行動へ、祈りとともに行動へ。それしかわたしたちの暮らしとわたしたちの子どもたちの未来をあかるくする手立てはないのです。次回は不良債権処理についてお伝えしたいと思います。    


 小泉純一郎ウィキペディア


小泉純一郎の出自考


かんぽ叩き売り


現代の政商

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