遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



......一昨日の天○先生の追記です。2010年は失業者が増え、暮らしは逼迫する....終わりのはじまりがくるということでしょうか。たとえ なにが起こったにせよ すべてはよくなるための変化だと思えば.....といっても、やはり不安ですね。今まで成り立ってきたシステムの崩壊、そして許されるとするなら、新しいシステムの誕生をわたしたちは目の当たりにするのです。あとはただ、目を見開き、耳を澄ませ、五官のすべてと、知力・体力を振り絞って、生きるだけです。


さて、きのうは、R345、R125、R356をひた走り、いくつもの川を越えて香取神宮にお参りしました。


     


      境内のご神木 とてもパワーのある木でした。


   このあたりは東国の蝦夷への前線基地であり、大和朝廷における関東の政治・軍事の主要拠点でした。今回の参拝で、香取神宮が皇室と縁の深い神社であることがよくわかりました。

①参道のお店のおばさんの話では一年に一度くらい皇族が参拝に見えるそうです。

②きのうは平成天皇在位20周年を祝い老若男女が山車をひいたそうです。

③本殿に菊の紋章と皇室の副紋、日本政府もつかっている五七の桐のご紋がありました。

       菊と桐


   フツヌシオオカミを主祭神として祀る香取神宮は重厚なお社でした。鹿島神宮、香取神宮は軍神ですから、鹿島神流、香取神道流といった流派があり古武道も盛んです。もともとは鹿島・香取とも霊剣フツノミタマを祀ったものとも言われています。また経津主大神(伊波比主命)→祀主..イワイヌシから鹿島の神の祭司である女神とも言われています。鹿島・香取はセットの神さまといってもよいでしょう。



①霊剣経津神霊(フツノミタマ)はもともと物部氏が石神神宮にお祀りしていたもの。→ニギハヤヒの神魂

②神宮とは本来、皇祖神を祭る神社の名称。

③日本書紀においては、伊勢神宮と石上神宮のみが「神宮」。
平安時代に石上神宮に代わり鹿島神宮と香取神宮が伊勢神宮にならぶ「神宮」と記載され、江戸時代までこの三社のみ神宮。

③勅許により「神宮」の名も霊剣も中臣氏(のちの藤原氏)は物部氏からとりあげた。

④のちに「古事記」「日本書紀」編纂に影響を与えた藤原不比等は記紀編纂にあたって、天皇家の権威の確立と皇室を補佐する藤原氏の正統性を確固とするため、多くの氏族から伝承を集め、氏族伝承を買い取ったと言われている。

⑤伝承は編集され創作され、功労のあった氏族には天皇につながる天津神の始祖、地方の豪族には国津神の始祖が与えられた。

⑥タケミカヅチノカミは中臣氏=藤原氏の氏神だった。かくして中臣=藤原氏は天孫降臨に先立って、出雲の大国主命に国譲りを求め、建御名方命を諏訪に押し込め葦原中つ国を平定した、大和朝廷にもっとも功労ある天津神を先祖に持つことになったのである。



    こうしてみると 物部一族という 大和以前に天の磐舟に乗って降臨し日本をおさめたニギハヤヒノミコトを始祖とする一族の盛衰が、日本の歴史の鍵を握っていることに驚かされるのです。十種の神宝を奉戴し死人さえよみがえらせたという物部神道は中臣神道にとってかわられましたが、その一部は神祇伯白川王家に伝わっていたのではないか(十種の神宝の解説がありました).....また現代に伝わる禊教にも受け継がれてはいないか胸は高鳴ります。もしかすると体験できるかもしれません。

    そして物部の後裔ともいわれる武士(もののふ)が貴族(ふじわら)の時代に幕をおろし、そののち300年にわたる平和な時代をつくったことが、なにか不思議です。......もののべのモノは神、それとも鬼? 「虚空(そら)見つ日本(やまと)の国」と微笑まれたであろうほんとうの太陽神ニギハヤヒノミコトの真実がいつかわかるときがきますように、ながくつづいたアメリカを覇者とする時代も終わり、日本がこれから本来の役割を果たしてゆけますように祈る思いです。かつて語らせていただいた瀬織津姫のものがたりのように、わたしはニギハヤヒ=太陽神アマテル、后神水の神瀬織津姫と....そのように思いたい。

    物部以前の縄文神道では、どうだったのだろう? 擬人化されることもなく すべてがひとつに溶け合っていられたのでしょうか。




       奥宮に向かう参道を上から撮る


       護国神社


巨大な鯰を抑えているという要石は鹿島神宮にもあるそうです。要石 の前に護国神社があります。この護国神社を奥宮と間違えてしまいました。奥宮参拝は次回のおたのしみです。

          思ったよりちいさい要石.....


          鳥居出て左 茶店”うの”  焼きたての団子を食べさせてくれる。抹茶セット650  コーヒーも美味しい。少し先に紫いものコロッケとピザボールを揚げてくれる店あり。これも美味。


         夫の待つ我が家へと心は逸ります。往復200キロ。地元のスーパーで買ったお刺身やわらさ、お手ごろでおいしかった。



※天津神とは、天におられる神、天下った神をいいます。伊勢、山城鴨、出雲・熊野大神?など。千木がたいらなのが女神と思っていましたが、そうではなく天津神とか....(千木が縦の場合は国津神とか....)

国津神とは、一般的に天孫降臨以前にこの国に住んでいた神とされます。大神、大倭、葛木鴨、出雲大国主、宗像、安曇など.....

※ニギハヤヒノミコトの正式な御名は天照国照彦火明櫛玉饒速日命 (アマテルクニテルヒコホアカリクシタマニギハヤヒノミコト) ...千と千尋の神かくしのハクのモデルだったそうです....知らなかった.....






コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )