膝をいためてしまって 3日家におりました。
11月12日(木)に開くCATARI’CATARI’語り祭り(声で届ける文学の贈りもの)の準備をしました。ポスターをつくったところ、あまりプロっぽくすると......という意見もあってただいま保留しています。けれど カタチは大事だと思うのです。カタチをつくると、それにあわせて中身もついてくるものです。自信が持てるようにあと3回のレッスンたのしみましょう。
NHKBSで短歌の特集をしていました。聴きながら仕事をしていて、”このナレーションどう思う?” と娘に訊いたら ”情景が目に浮かぶ、このひとはたくさんのことを伝えようとしている とてもうまいと思う”という答がかえってきました。NHKでも大御所のアナウンサーさんのようでした。娘もなかなかいい耳をしていると感心しつつ、わたしは声がすばらしいなぁ、でもこのざらっとひっかかる感じはなんだろうと思っていました。
じっくり聴いてみると それはアクセントなのでした。クセというか語り口というか.....そして単語を舌にのせている感じがする....このことばがたいせつだな...という単語をころがすように格別の味わいで発音する.....それが技巧に聴こえてしまって 耳にひっかかるのです。
全国から送られた3000首あまりの短歌から選ばれたのは現役の学生さんが詠んだ ”あれは製糸工場の煙なんです。みんなが上に行く用ではなくて”という歌でした。......上に行く....というのは火葬場の煙ではなくて....ということでしょうか。奥深い歌です。....けれど字でみればわかるけれど、詠んだ歌を聴いてわかるだろうか....と思います。和歌とはもともと詠むものでしたし、音韻を聴き取りたのしむものでもありました。....この歌、詠み方によるでしょうね。最終選考に残った歌も目で見てうつくしい、おもしろいという歌が多く、活字社会なのだなぁと思ったことでした。破調の歌が多かったです。あの俵満智さんが、五七五にこだわった発言をなさったのが印象に残りました。
東京の ゲリラ豪雨の 雨の夜 黒人青年ルイ と飲む酒
夕焼けの 銀錆色の ダムに立ち ここが故郷と 呟く上司
いつの日か 地球最後の 日がきたら 手紙の束燃す 机も燃やす
そのあと 三輪明宏さんの歌を聴きましたが、代表作という”老女優は去りゆく”....に圧倒されました。テレビなのに臨場感!! この方はなんでしょう....声がすばらしい....オトコ、老婆、小娘、娼婦......なににでもなりきってしまう......歌い手であって役者....歌であって芝居......ヨイトマケの頃から見ていますが、なぜいつも見ているほうが恥ずかしくなってしまうのだろう.....傷口も汚辱も栄光も美もすべてさらけ出してしまうような歌です。なりきって、それだけでなくつくりこむ.....衣装も装置も万全を期す。そして圧倒する。.....ここまでできたらことばもない。
さるタレントさんに三輪さんがいったという「ブスは化粧しなければ、ただの漬物石よ」ということばを思い出しました。......シャンソン自体が語りですが 語りをされたら.....どんなだろう.....つつじの娘とか葵の上とか......
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どっちかなんだろうな....と思うのです。さらけだす つくりこむ とことん完成させたものをさしだす、あるいは.....ゆらぎやすきまのある....聴き手や観衆とともに完成させるものを差し出す。もちろん 手抜きをする、未完成な状態で差し出すというのではないのです。......あまりできあがったものはそれだけで堪能できる.......わたしは”間”というか隙のあるものが、わりあい好きです。そのなかに入り込んで自分のものがたりが内奥から花のように翳のようにひらいてくる.....そういうものがたりがすきなのです。しかし、三輪さんはすばらしい歌手です。.....カーロ・カルーソーをすこし手直ししようと思いました。
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