御柱祭で死者とのニュースに驚きました。御柱祭は諏訪大社の最大の行事で申と寅の年におこなわれます。この御柱祭の起源について今までいろいろな意見がありました。
そのひとつが結界説
古事記の有名なエピソード・国譲り....アマテラスを長とする高天原の神々が、最初に葦原中つ国を統一したオオクニヌシに支配権を譲るように迫るというものがたり。
.......高天原から、最初はアメノホヒ、次にアマワカヒコが国譲りの交渉役に遣わされますした。ところが、どちらもオオクニヌシに従ってしまって、高天原に帰ってきません。そこでタケミカヅチとアマノトリフネ{日本書紀ではフツヌシ)が遣わされ、稲佐の浜に剣を突き立てて国譲りを迫るのです。
オオクニヌシは、ふたりの息子に聞いてくれといいます。すると、釣りに出ていたコトシロヌシは承諾し海に飛び込んでしまいました、もうひとりの息子、タケミナカタは反対します。戦ったあげくタケミカズチに負けて追われたタケミナカタ(大国主命の息子)は逃げ込んだ諏訪で、この地から出ないことを条件にゆるされました。
その結界を張ったのが御柱祭の由来というのです。....アマツカミとクニツカミとの葛藤....けれども、もっと有力な説もあります。タケミナカタがくるまで諏訪を治めていたのはモレヤ神の末裔守矢氏で、タケミナカタと守矢氏は戦い、この諏訪版国ゆずりではタケミナカタが勝つのですが、守矢氏は諏訪大社の初代神官として残ります。その守矢氏の子孫の方が御柱祭の柱はミシャグチ神の依り代であるとおっしゃっているそうです。(守矢氏と物部の守屋との関連をいうひともいます。)モリヤ神とミシャグチ神はおなじというひともいますがあとで調べてみたいと思います。
もうひとつ近年言われているのが、ソロモン王が杉の木を高い山から切って神殿をつくったその故事から、イスラエル起源という説です。つまり12氏族のうち失われた10氏族の一部が日本に流れてきた....そのひとびとがはじめた儀式....というのです。イスラエルの北王国は紀元前722年にアッシリアにより滅ぼされてその後消息が知れませんでした。それゆえ失われた10氏族というのですが.....たかだか紀元前1000年くらいではありませんか。それに木を切って柱にするのはごくあたりまえのことなのじゃないかと思うのです。ゆえにわたしは二番目の説をとることにします。依り代が一番しっくりきます。
そこで 唐突ですが天皇制ってなんだろうという素朴な疑問が浮かびました。ヤマト朝廷の祖ニニギにしたって、その前に天降った物部氏の祖ニギハヤヒにしたって天からくだった(海からわたって来た)ひとたち........アメリカがくるずっとずっと前から、韓国や中国の心配をするまでもなく、もともと日本は乗っ取られていたといえないこともない。それにしても思いやり予算じゃないけれど、ネーミングの力はすごい。もとは海を渡ってきたただの”ひと”なのに、天孫族とか天津神とかいうとなんだか神々しく思えてきます。
さて、先住民族エミシやハヤトはヤマトに滅ぼされましたが(アテルイやミカボシカガセオのように)一部が貴族の家来となり武士として力をつけました。するとかなりおおざっぱな言い方だが 武士こそもともとのヒノモト・日本の血を濃くひいていることになる。神はいずくにおわすのでしょう。日本人とは、いったいなにものなのなんでしょう。そしてもうひとつ....依り代を立てることでふたり死者が出た.....これはなにを意味しているのでしょう。......それとも!? ヤマト朝廷のルーツそのものが10氏族とか......? なにをもって侵略というのかな。謎は深まるばかり....。
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