遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



文藝評論家・山崎行太郎「毒蛇山荘日記」は→コチラ

まとめると

①テレビの報道番組や政治討論番組などに頻繁に出演し、上から目線で「民主党」を批判し、民主党議員を嘲笑してきた政治評論家やお笑いタレントの多くが、実は、官房機密費から、盆暮れに「500万円」ずつ貰っていたことが、自民党時代に官房長官を勤めた野中広務の証言によってあきらかになった。

②政治評論家やお笑いタレント等がカネを貰って言論を買収されてしまった資質や品格に問題がある。たとえば、今では国民経済を破壊尽くしたということを多くの日本人が認めている「小泉構造改革」を、テレビ報道や新聞などを駆使して支援し、国民を改革一色に洗脳してきたのに、テレビに頻繁に出演する政治評論家やお笑いタレントの役割は小さくなかった。

③もちろん、どういう政治的意見を持ち、テレビや新聞で、どういう政治的発言を繰り返すかは別に批判されるべきことでもなんでもない。問題は、持論をカネで売り渡すことである。 

④たとえば(小泉改革を批判し目障りだった)植草一秀を「痴漢疑惑事件」で、植草が野村證券勤務時代にも、数回の不祥事件を起こしそれを揉み消したという...デタラメの「経歴」をタイミングよく....テレビ番組で繰り返した評論家の宮崎某は、その情報を何処から仕入れ、誰の指図で公開したのか。 ......「植草を徹底的に潰せ」という政府関係者からの働きかけを受け、それを忠実に実行したのではないのか。

⑤我々は、これから、三宅久之やテリー伊藤、河上和雄、岸井成格 等のような政治評論家やお笑いタレント、元検事のコメンテーター、新聞記者等が、突然、民主党や小沢一郎を罵倒し、自民党擁護の政治的発言を始めたら、官房機密費....という問題を思い浮かべながら拝聴することになろう。

関連記事はコチラ                                      


......評論家の役目は権威や権力をチェックすることではないのでしょうか。ほかにもおかしな評論家いますね.....テリーさんはやっぱりなぁ...です。たけしさんや太田さんはわかっていたから悲しいだけ.....たけしさん お金のほかにもごほうびもらってますね。芸人はもともと権威を笑い飛ばすのが矜持だったはず....権威に取り込まれるとは.....もう終わりました。




コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




   御柱祭で死者とのニュースに驚きました。御柱祭は諏訪大社の最大の行事で申と寅の年におこなわれます。この御柱祭の起源について今までいろいろな意見がありました。

   そのひとつが結界説

   古事記の有名なエピソード・国譲り....アマテラスを長とする高天原の神々が、最初に葦原中つ国を統一したオオクニヌシに支配権を譲るように迫るというものがたり。 

.......高天原から、最初はアメノホヒ、次にアマワカヒコが国譲りの交渉役に遣わされますした。ところが、どちらもオオクニヌシに従ってしまって、高天原に帰ってきません。そこでタケミカヅチとアマノトリフネ{日本書紀ではフツヌシ)が遣わされ、稲佐の浜に剣を突き立てて国譲りを迫るのです。

   オオクニヌシは、ふたりの息子に聞いてくれといいます。すると、釣りに出ていたコトシロヌシは承諾し海に飛び込んでしまいました、もうひとりの息子、タケミナカタは反対します。戦ったあげくタケミカズチに負けて追われたタケミナカタ(大国主命の息子)は逃げ込んだ諏訪で、この地から出ないことを条件にゆるされました。


   その結界を張ったのが御柱祭の由来というのです。....アマツカミとクニツカミとの葛藤....けれども、もっと有力な説もあります。タケミナカタがくるまで諏訪を治めていたのはモレヤ神の末裔守矢氏で、タケミナカタと守矢氏は戦い、この諏訪版国ゆずりではタケミナカタが勝つのですが、守矢氏は諏訪大社の初代神官として残ります。その守矢氏の子孫の方が御柱祭の柱はミシャグチ神の依り代であるとおっしゃっているそうです。(守矢氏と物部の守屋との関連をいうひともいます。)モリヤ神とミシャグチ神はおなじというひともいますがあとで調べてみたいと思います。

   もうひとつ近年言われているのが、ソロモン王が杉の木を高い山から切って神殿をつくったその故事から、イスラエル起源という説です。つまり12氏族のうち失われた10氏族の一部が日本に流れてきた....そのひとびとがはじめた儀式....というのです。イスラエルの北王国は紀元前722年にアッシリアにより滅ぼされてその後消息が知れませんでした。それゆえ失われた10氏族というのですが.....たかだか紀元前1000年くらいではありませんか。それに木を切って柱にするのはごくあたりまえのことなのじゃないかと思うのです。ゆえにわたしは二番目の説をとることにします。依り代が一番しっくりきます。

   そこで 唐突ですが天皇制ってなんだろうという素朴な疑問が浮かびました。ヤマト朝廷の祖ニニギにしたって、その前に天降った物部氏の祖ニギハヤヒにしたって天からくだった(海からわたって来た)ひとたち........アメリカがくるずっとずっと前から、韓国や中国の心配をするまでもなく、もともと日本は乗っ取られていたといえないこともない。それにしても思いやり予算じゃないけれど、ネーミングの力はすごい。もとは海を渡ってきたただの”ひと”なのに、天孫族とか天津神とかいうとなんだか神々しく思えてきます。

   さて、先住民族エミシやハヤトはヤマトに滅ぼされましたが(アテルイやミカボシカガセオのように)一部が貴族の家来となり武士として力をつけました。するとかなりおおざっぱな言い方だが 武士こそもともとのヒノモト・日本の血を濃くひいていることになる。神はいずくにおわすのでしょう。日本人とは、いったいなにものなのなんでしょう。そしてもうひとつ....依り代を立てることでふたり死者が出た.....これはなにを意味しているのでしょう。......それとも!? ヤマト朝廷のルーツそのものが10氏族とか......? なにをもって侵略というのかな。謎は深まるばかり....。

   




コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




献杯のことばは→コチラ

先日 お葬式でとてもうつくしい心に沁みる弔辞を聴かせていただきました。市井のひとの弔辞は空気に溶けるように消えてしまいますが、心に響くのは愛...なのですね、逝ってしまったひとの深い愛があって、身近にいて故人の闇も光も見てきたひとの愛惜の思いがある.....言葉には尽くせぬ思い、悔いもすこしはあるのだろう....それをいっぱいの感謝に換えたとき深い感動が生まれます。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




弔辞は→コチラ

はじめて見たタモリをわたしは忘れられません。イグアナとか歌謡曲分析講座とか最初のころは破天荒におもしろかった。そのタモリを世に出したのが赤塚さんでした。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )