遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



  先日 聴かせていただいた 民話の文字起こしをしています。「甘酒」 「惚れ薬」 がおわって 今 「三枚のお札」の途中です。聴かせてもらったいい語りは すぐ語れるのですが わりあい すぐ わすれます。それで 文字にとめておきます。語っていくうちにだんだん かわってゆきます。そのたび 原稿をなおしてゆきます。

    絶版になっていた本がとどきました。ひとつは 松谷みよ子さんの「茂吉の猫」 ざざんと 身内に戦慄の走るお話でした。空は妙に 静かで それがなんだか 気になって.....薄いベールがかかっていますが ケムトレイルのいたずら書きが見えません。北海道から沖縄まで まるで実験でもしているように地震が起きています。こわいですね。

    NHKの邦画を彩った女優シリーズはなかなかおもしろいですね。大原麗子 太地喜和子 賠償千恵子 とつづいて今夜は最後の夜です。わたしは このシリーズをみて 高倉健 最後の銀幕スターと呼ばれる健さんの底深さを見たように思いました。「居酒屋兆次」 の 大原麗子の衝かれたような表情 「駅」の倍賞千恵子の「サクラ」とは打って変わった女のさが 女にこんな顔させるなんて すごい俳優だな と思います。それだけではありません。 


 








大原麗子は「居酒屋兆次」のあと しばらくサヨが抜けなかったと述懐 倍賞千恵子も同じ高倉健との共演作 「遥かなる山の呼び声」......(今 気がつきました コレ カムバック シェーン! なのね)....で”倍賞千恵子さん”に戻れなくてつらかった といっているのです。

能から出たことばに役者があります。役者はもともと生きた人間の役をするものではありませんでした。神や精霊、怨霊、亡くなったひとの役をしたのです。役者の別名である俳優の俳とは人に非ずと書きます。俳人(わざびと)→俳優 女優 男優....

いい役者にはその時代を担うような業 があるような気がします。そして 時代を究極まで 身のうちに体現することで時代を超えてしまうような気がします。....じつはわたしもすこしばかり 役者をしました。素人劇団でしたが 楽の日 埼芸の座長に あんたは面白い役者だ どこかできっと役者をつづけなさい といわれました。そのときすでに劇団をやめることがわかっていたのでしょうか。わたしには知る由もありませんでしたが。

役者はほんとうにおもしろいのです。役と自分がひとつにとけあってしまう。思いもかけない自分がそこにいる。娘たちはわたしが ある役をしていたとき どんどんかわってゆくのが怖かったそうです。おかあさんはあんなに上品でやさしかったのに...?と娘たちはいいます。.....わたしはたいそう 喧嘩っ早く 戦闘的になりました。品もわるくなったようです。

でも それはもともと わたしのなかのどこかに あったものなのです。もとってどこだと思いますか? 大原麗子さんと「おはん」などで共演した石坂浩二さんは 「役者は自分のなかにないものは出せない」と断言していました。ほんとうにそうなのかな......あると思えなかった資質が身の内から むらむらとたちあがってゆく 理性とはまったく 違うところで というか 自分のあづかり知らぬところで起きてしまう あれあれ というのでもなく 本来の自分は観るものになっている。とても静かにすこし上にいる あけわたして....。入ったものがね 行きがけの駄賃にひらいたものを置いてゆくんですね。

大原麗子さん 倍賞千恵子さんの ”顔” そんなふうに見えませんか。...魅せられた顔。一回でも これをあじわってしまうと戻れなくなります。追い求めてしまう なぜなら 至福だから。魂に刻印されてしまうから。


このふたりとちがって 太地喜和子さんは映画にも出演しましたが 舞台に比重をかけた女優です。





彼女が耀きを放ったのは 遊女 娼婦 ストリッパー あるいは地母神のような女性でした。 役をするというのは器になることなんですが 日本は役者のキャラクターに乗せるのね そういうキャスティングをする。だから 役者が小粒になる。自分にあった役しかさせてもらえないからです。でも 太地さんの場合 自分の恋 をベースにしているせいもあるが 自分の器をそういうものにしてしまった ”感” があります。口にはいえない快感だったと思う。正直 わたしは 残念に思います。

語りは 20分なり 30分 ものがたりに あけわたせばいい ゆえにつづけられる。芝居のように一ヶ月も二ヶ月も占拠されていたら 日常生活は成り立ちません。 女優さんのほうが男優よりたいへんですね。小百合さんが母にならないのも 小巻さんが結婚しないのもそのせいかな。役者としての人生 人間としての人生を 両立させるには 大いなる意志の力が重要です。そして 役者・俳優とは 人間としてのふつうの幸福を賭けても 失っても悔いないものなのです。大原さん 太地さんのご冥福を祈ります。

蛇足ですが お三人ともいい声ですね。三人の声そのものが役者としてのありようを 語っています。そして 語りもね キャラに乗せるだけではつまらない あるパターンの繰り返し....でもいいのですが カラのうつわになりきることで それこそ だれの人生でも生きられる どんな物語でも引き受けられる。こんな 贅沢はない。衣装も背景も 脚本も 歌も 音楽も なにもかも自前でできてしまう ちらしなどの制作も プロデュースもトータルで......こんなおもしろいことありません。 役者は脚本(台詞)・演出との葛藤があって それから生まれるものもあるけれど 所詮はひとの構築したい世界のひとコマ 語りはね それだけのものではない と わたしは思います。




コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )





「日本は、当時外国の領地(植民地)であったアジアに、自信とその進むべき道への自覚をもたらし以降、日本のあとに続いて世界経済の最前線に躍り出た数多くの(アジアの)国々に希望を与えてきました」

「日本は、過去においても、現代においても、世界のリーダーであり続けます」

「このグローバル化した世界において、日本は、技術と革新の力、勤勉さと責務、強固な伝統的な価値における模範であり、これまで以上にリーダーにふさわしいのです。」

「世界は、常に日本のことを大変な名誉と誇り、そして規律を重んじる国民、歴史に裏打ちされた誇り高き伝統を持つ国民、不屈の精神、断固たる決意、そして秀でることに願望を持って、何事にも取り組む国民、知行合一、兄弟愛や友人、ゆるぎない強さと気丈さを併せ持つ国民であると認識してまいりました」 

「他の国であれば、国家を打ちのめし、国家を打ち砕き、無秩序、大混乱、そして悲嘆をもたらしたであろう事態に日本国民の皆様は、最悪の状況下でさえ静かな尊厳、自信、規律、ここの強さを以って対処されました」

→ コチラ

→ コチラ

なぜ マスコミは国賓である ブータン国王の演説のある部分を削除したのでしょう?

おわかりですね。電通会長が死去しても 日本のものでなく 在日勢力に支配されているからです。

彼らにとって日本は賛美されてはならないのです。うんざりするほどの韓国情報 寒い韓流ドラマが溢れているのはそういうわけです。日本人のテレビ離れは加速しています。(日本ばかりではありません)これでは ほんとうの友好は育ちません。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )