イスラム教もユダヤ教も砂漠から生まれた。苛烈な自然との闘いの中で生まれた。日本の神は 山や森におわした。自然との共生のなかで 日本の文化は育まれた。
諏訪において 最初は「石柱」が神おろしの依りしろであったとか。御柱は 自然の木である。風土にあわせて マツリは変わっていったのだろう。ミシャグジはユダヤ教由来なのか もっと古代の 神なのか まだ 勉強不足で わたしにはわからないけれど 日本のおおもとの宗教的なるものは森 山 川 自然のなかにあった。日本は多神教であった、すべからく 神であった。熊も 鮭も あなたも わたしも.......。強大な一神教ではなくて 神の息吹は あまねく存在した。わたしたちのなかに 天に おおもとに行くミチがあった。ヨシュア(イエス)も言われたように。教会にあるのではない。寺院にあるのではない。
しだいに宗教は堕落した。天ではなく権力や金とつながったからである。
思うのだけれど 天につながるということは 空高いところをイメージするのではないのだ。たとえば 語りであるなら 聴き手のなかにある神性にむかって 語りかけ 交流し 交感し 共鳴する。たぶん そうだと思う。いま おおもとに還ることが求められていると思う。
諏訪に湛え神事というものがあった。7つの木に神おろしをする祭りであったが いまは廃れてしまったという。
日草たたえ (榎説)
桜たたえ
檀(まゆみ)たたえ
松たたえ
橡(とち)たたえ
岑(みね)たたえ
柳たたえ
この神事もまた ユダヤ由来のものであろうか そうは思えないけれど..... 諏訪七石というのもある。できれば 雪降らぬうちに 7つの木の巡礼にゆきたい。
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