不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています
遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



 

うちでは地上波が見られないので 秘密の場所で観戦しました。真央さん 顔色があまりすぐれなかったので心配しましたが 優勝してよかったです。新人のなかでは 加藤りおなさんの演技が心に沁みました。順位については男子についても女子についても 次代のスターに脚光を という協会の意図を感じました。 浅田真央さんのFS 高橋選手のFS 村上選手のFSの後半 羽生選手のSPがよかった。若手の演技は同じ時間でも長く感じる...浅田選手 高橋選手のどこが...というとタメ というのかな ただ音楽にあわせているのではない たゆたいのようなものがある それがものがたりを醸し出すような気がします。そのものがたりは選手の生きてきた道や想いともかさなりあいひびきあって  光や影が生まれる ..... それが感動を呼び起こすのだろうと思います。 これはうたにも言える ただ音譜どおりに きれいにうたわれる歌だけが心に響くわけではない。揺れ サビ といったものが心のひだをかすめてゆくように思います。

男子は羽生選手が初優勝でした。オーサーコーチを選んだことは 良きにつけそうでないにつけ重い選択でした。羽生選手には一刻も早く駆け上がろうとする激しい意志を感じます。時間と闘っているようで痛ましく思えるときがある。体を酷使しないでくださいね。

女子 一位 真央さん 二位 村上選手 三位 宮原さとこ選手 男子 一位 羽生選手 二位 高橋選手 三位 無良選手

浅田真央さん

練習 トリプルアクセル

   → こちら

SP → こちら

FS → こちら

村上選手

FS → こちら

鈴木選手

SP → こちら

女子新人たち

宮原さとこ選手

FS → こちら

加藤りおな選手

FS → こちら

本郷りか選手 → こちら

男子

高橋選手

SP → こちら

FS → こちら

羽生選手

SP → こちら

FS → こちら

 



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 

わたしは選挙が終わったら ブログから手をひいて これからくる社会の変化に備え 語りという実践をとおして自分がこの国のためにできることをしようと考えておりました。 ところが予測はしていたのですが 不正選挙があまりにひどくて 選挙後1週間 すっかりキャンペーンにはまってしまいました。このままではこの国の民主主義が終わってしまうという危惧からです。おそらく「不正選挙だよ」というちいさな声はアメリカの不正選挙のように マスコミに圧殺されてしまうでしょう。ひとびとの心には届かないでしょう。国民の権利を取り戻すために戦おうとするひとは少ないでしょう。 再び奈落に転がり落ち どん底を這いずりまわらないと 日本人は覚醒できないのかもしれません。

けれど わたしたちおとなはそうなってしまう責任があるからいいとしても 子どもたちやこれから生まれてくる子どもたちはなにも知らないのです。かれらのうえにのしかかってくるこの国の未来 参議院選挙 憲法改悪 TPP 徴兵制 管理社会.....をかんがえると 声をあげずにはいられませんでした。ここでことばを呑んだら わたしは胸をはって子どもたちのまえに出られないと思いました。

...... そんなわけで ことばにできなかったことを今日はひとつふたつ書いてみたいと思います。

忘年会できがついたこと そのうちのひとつ 野菜カフェビーンズに知人をよびました。食事のあとそのひとたちはほんとうにおどろいていました。からだが芯からあったまるというのです。ほんとうに戸外は寒く カフェは暖房もないのにとてもあたたかく わたしたちはからだもこころもくつろいでみたされていました。なぜだろう...? とみんなでかんがえました。

有機野菜? 玄米五穀米? 料理をこしらえてくれるひとの心持ちが料理につたわっている? オーナー夫妻が自分たちの手でつくった木の家がわたしたちをやさしく守ってくれる? ものというのはつくったひとの思いがつたわるのではないだろうか?もしかしたら味だけではなく 栄養もかわってくるのではないだろうか?

おおむかし といってもそれほど昔ではありませんが..... 食事もおやつももちろんお弁当も自分の家でこしらえるものでした。田舎では味噌もしょうゆも野菜も自分たちの手でつくっていました....もっとまえは家ものひとたちにたのんで修繕していました。わたしのおばあちゃんは 機で絹を織り着物を縫ってくれましたし 母はミシンで下着からよそ行きまで縫ってくれたものです。 昭和...平成と時代を下るにつれ 日本人はしだいしだいに 手ずからの暮らしを手離し なんでも買い求め 代わりに女たちもそとで働くようになりました。

家に縛られていた女性のために よいこともたくさんありましたが 得るものがあれば失うものもありました。朝 コンビニに行くと青白い眠そうな顔をしたひとたちがならんでいます。彼らは朝の食事や昼食を買い求めにきたのです。もはや水筒をもちあるくひとも少なくなり コンビニ 自販機がいたるところに屹立しています。その食べ物や飲み物の中身といえば.... アメリカのとうもろこしからつくられた果糖ブドウ糖液糖や調整でんぷん や大量の添加物が含まれています。国内の明治 キューピー ほか多くの食品会社でもすでに大量の遺伝子組み換え作物がつかわれ 遺伝子組み換え米まで認可されています。TPPは最後の仕上げ 怒涛のように押し寄せてくるでしょう。食料戦略はアメリカの大いなる武器なのです。

つまりわたしたちは手間をかけるかわりにお金をつかい 結果グローバル経済に組み込まれ 生殺与奪のちからを外国 外部資本 メーカー 日本国政府に 時間と引き換えに渡してしまったのです。... 

そのような食べ物はお金儲けのためにつくられるのですから 材料は少しでも安く 食品工学の粋を尽くし見かけをよくし パッケージは人目をひくようにつくられています。愛情は? 入っていますか?

日々のたべものはエネルギーになるだけでなく 体の細胞になる 1年で98%の細胞が入れ替わる.....ということは 食は人生の質を変える かもしれませんね。 売れ残りのコンビニ弁当を餌にしていた豚たちに異常出産 死産があいついだ・おにぎりに三ヶ月カビが生えなかったという記事を転載しましたが そのような食べ物を食べ続けたら いったいどうなることでしょう。

社会のシステム 官僚米国マスコミの洗脳による支配に気がついたひとは まず暮らしをかえる 食をみなおす 経済にくみこまれているクサビをひとつひとつはずしてゆくことからはじめてはと思います。電気 銀行 テレビ 新聞 コンビニ 医療 便利だからという理由でとびついたものをまっさらな目で見直し 不要なものをはずしてゆく。ひとことでいうと お金の費い方を変える。 それが自由につながり 実は彼らがいちばん困ることなのではないかと思うのです。

 

 

 



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 

廣川さんはバルディオス いなづまイレブンなどアニメで名を馳せた方でしたが わたしは彼の功績はあまり知りませんでした。今年8月5日頃 突然死なさっていたようです。

→ こちら

廣川さんとは友人を介しての友人だったのです。わたしの友人は漫画家で岩崎一樹といいました。わたしは熱烈な漫画ファンで当時大島弓子さんの公認ファンサイトをたちあげたところでした。わたしが一樹さんに会ったのは 1976年頃 あの萩尾望都さんの「11月のギムナジウム」の自主製作のときでした。これには揺籃期のコミケの創立メンバーが多数参加していて  たしか原田さんの紹介で 声優の配役を決めるオーディション会場に行ったのです。 一樹さんはナレーター わたしはトーマとエーリクの母親役に決まりました。オスカー役の女子学生が実によかった オスカーが煙草をふかすシーンでは実際に煙草の煙を撮影したのでした。 静止画をつないだだけのアニメでしたがなかなかいいできだったと思います。廣川さんが演出で 今 経歴をあらためて見ると なるほどと思うのです。

一樹さんとわたしは新宿の地下にあった カトレア というマンモス喫茶で終日過ごしました。 信じられないと思いますが 小学校の校庭ほどの広さの喫茶店があったのです。そしてそのあと 建設途上で梁がむき出しになった新宿地下道をとおって 中野坂上の郵政省の宿舎まででかけました。出口から見あげると高層ビルが4棟?屹立していました。その郵政省の宿舎に独り住まいをしていたのが廣川和之さんだったのです。家具というものがほとんどない無機的で清潔な部屋でした。わたしたちは一晩中 漫画や文学や映画やおよそ関連のある話題を網羅し 徹夜明けの朦朧としたあたまで水族館にいって 手すりによりかかりながら 消毒された水の中でゆらゆら泳いでいる魚たちを見たりしました。

そう 青春だったのです。一樹さんは漫画家になるために家出、自活をして コミケでも同人誌でその名を知られる存在でしたし、和之さんは痩せて背が高くちょっとエキセントリックで 白いシャツが似合い 雰囲気が松田優作に似ていました。ふたりともオーラがありましたね。....そうだ オーラといえば 真夜中 開いた窓から 群青の空間を指差し「いま 霊がそこからはいってきたよ」 などというのです。白い紗のカーテンがふわりと揺らいで 電気を消した部屋にほんとうになにかがきたように感じゾクゾクしたのを覚えています。「あなたのオーラは強い白色だ」とも彼はいいました。(わたしは緑だと思っています。)

やがて 一樹さんから 「プロポーズを受けた」 という告白を聞きました。いつも確固たる一樹さんからはじめて聴くやはらかな声でした。正直のところ わたしは和之さんが苦手で この結婚がうまくゆくような気がしませんでしたし 友人をとられてしまうような寂しさも感じたのです。ふたりは鷺宮に所帯を持ち わたしも結婚し漫画から足をあらい ときおり鷺宮にたずねるほかは縁がうすくなってゆきました。一樹さんは子どもたちを育てながら漫画を描くことと格闘していました。和之さんはプロダクションをつくり .... ..... 結局ふたりは離婚し子どもたちは一樹さんがひきとりました。

幾年かが過ぎ去り わたしはTELで 一樹さんが業病に犯されていることを知らされるのです。不思議なことに彼女からTELがくる直前 わたしにはそれがわかるのでした。一年あまり病院に通いました。「.......luca luca きてくれたのね ありがとう わたし あなたのこといつも見守っているからね .....つかれたからすこし眠らせてね ..... 」 それがわたしが聴いた一樹さんのさいごのことばでした。....そう 一樹さんは 「わたしが男に生まれていたらきっとlucaと結婚していた」と言っていました。わたしをlucaと呼んでくれたのは一樹さんが最初でした。

.......

あのころ 新宿は活気にあふれ 情熱もまたひとびとに満ち溢れていました。あしたは輝かしく わたしたちを待っていました。努力さえすれば のぞみはかなえられる そんな時代でした。漫画を描くことに情熱を燃やした女がいました。アニメに情熱を燃やし 賭けた男がいました。 二人とも 今は 儚くなりました。わたしはまだここにいてブログを書きものがたりを語っています。

 

 



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )