遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



 

 

国家が国民を欺く.....  日本の放射能汚染の実態を隠すばかりか 不正選挙 マスコミさえ國民の権利を犯し国家とぐるになって 国民をだます 日本はこんなことになってしまいました。

でも それでも 希望を失わないで進みたいと思います。2012年 さようなら。

ブログを読んでくださったみなさん 応援してくださったみなさん 語りを聴いてくださったみなさん

ほんとうにありがとうございました。みなさんがいてくださったからここまでこられました。

2013年もよろしくおねがいします。



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今年6月 エアコン設置不採択の全文記録   男性委員? 三名の反対で採択されませんでした。

0.23μsv/hの戸外で遊ぶことが子どもたちに今大切なことですと!!我慢させるのも教育の一環ですと!? 今 郡山の子どもたちに必要なのは郡山を離れることです。0.23μsv/h 反対委員のお顔拝見したいものです。無知というのは恐ろしい、このような方々が教育委員であることはなお恐ろしい。

→ こちら

以下抜粋

佐藤徹哉委員   反対

「3月定例会でも小中学校のエアコン設置を求める請願書が提出されまして、常任委員会では採択するべきではないという結果でした。以前、採択されなかったにもかかわらず、今回同趣旨の請願が2件提出されてきているため、現場を確認しようと思い聞き取りを行ってきました。
中心市街地の4校、いずれも300人以上の大規模校で、先日行われましたプール除染のモデル校になった6校のうちの4校です。現在、いずれの学校も暑くなればすべての戸をあけて授業を行っております。このことに対して、保護者からの苦情や申し立ての件数はゼロです。
とある学校は、けさの校庭のモニタリングポストの数値は0.23マイクロシーベルト、それに対し、戸を開放した時の教室内の空間放射線量の数値は0.11マイクロシーベルト・パー・アワーであり、校庭の0.23マイクロシーベルトの半分の数値です。戸を閉めているときとあけているときの数値の差も調べたんですが、ことしに入って、直近1カ月間、戸を閉めている状態と、戸をあけている状態との差が最大で0.02マイクロシーベルト・パー・アワーです。つまり、戸をあけても閉めても大差はないという状況です。これは、郡山市、PTA、地域の方々、学校の先生が行っている除染活動の結果であり、評価すべきと思います。
また、学校はこういった結果を教育委員会に報告しており、このデータはすべて学校のホームページ及びPTA会報などで保護者に周知されており、現在保護者からエアコン設置を求めるという話は1件も上がってきていないそうです。
とあるPTA会長は、夏は暑くて冬は寒いという当たり前のことを子どもに教えてあげたい。行き過ぎた暑さをしのぐために夏休みがあり、行き過ぎた寒さをしのぐために冬休みがある。温度に対する耐性というのを子どもが体で覚えるのもこの成長期である。教室で余り快適な空間を与えてしまうことは、体育の授業のときに熱中症で倒れる子どもがふえたり、大人でも問題になっている冷房病といった問題を少年期から植えつけることになってしまいかねない。こういったことになるのは好ましくないとおっしゃった会長がいらっしゃいました。また、エネルギー問題について触れた校長先生もいらっしゃいました。エアコンを設置して欲しいという需要が私には感じられませんでしたので、この請願は採択すべきでないと思います」

石川義和委員  反対

「学校では、今放射線量の面から見まして、震災前とほとんど変わっていません。窓を開放しながら授業をしているという状況でございます。それから、扇風機とよしずで暑さ対策を図っていまして、教室内の温度も二、三度下げることができています。そのようなことから、私はエアコンを設置すべきではないと思います。あと、健康面の影響も含めて、不採択とすべきという意見です。 

 → こちら

滝田春奈委員  賛成

「私は採択すべきとの立場で話をさせていただきます。まず、伊達市と二本松市は、去年の7月、普通教室全教室にエアコンを導入しています。伊達市は、放射能対策で設置していまして、ちりやほこりと一緒に放射能が入ってきてしまうという考えのもとで全普通教室に導入しました。学校関係者の意見ですとやっぱり喜びの声のほうが大きいというお話を聞いています。
それから、二本松市ですが、放射能対策に加えて、年々暑さが厳しくなってきており、学習する環境が厳しくなってきているという理由で設置しています。ことしは風が強い日だけ窓を閉め切って、風の強くない日は窓をあけて放射線量の推移を見るということを聞いています。二本松市はほかの自治体の方から、去年エアコンがないところは鼻血を出している子どもたちがたくさんいたということを聞いたそうでかなりうらやましがられたそうです。これは去年の話です。私は、やっぱり福島県に残って頑張っている子どもたちや保護者の方々の安全・安心をしっかり守っていく責務があると考えています。 中略 やっぱりこれから、子どもたちを育てやすい環境を郡山市がつくっていかないと、人口流出もふえていきますし、それから学力向上の面でも必要だと考えますので、私は採択すべきだと思います


岩崎真理子委員 賛成

「子どもたちに対してどういう環境整備をしていくのかという請願ですが、3月定例会でも同趣旨の請願書が提出されましたが、結果は不採択でした。
 今回は、前回とはまた別の団体からも提出されてきているわけです。委員から需要がないというお話がありました。需要をどのように把握するのかということですが、真意、胸の内をどう伝えるかというのは、いろいろな葛藤のもとで大変複雑なことがあると思うんですね。しかし、こうした放射能汚染の中で、本当に苦しみながら、不安を抱えながら日々生活している。子どもたちが被害を受けやすい状況に対して、行政として、議会として、環境を整えていく努力をしていると思うんです。中略
、教室の学習環境がどうなのかということなんですね。去年の夏ですけれども、郡山市も努力をしてよしずと扇風機を設置しました。何とか子どもたちによい環境をということで設置したんです。しかし、保健室に通う子どもたちが相次いだり、あせもやアトピーで苦しんだり、実際手だてが必要で病院に通った子どももいます。鼻血が出て、この鼻血の原因は暑さなのか、放射能の影響なのかという別の問題もまた抱えるわけですけれども、暑さ対策のため環境を整えるということと、放射能汚染対策ということでは、大人の社会を見てみても必需品同様に各施設にも設置されておりますし、議場をはじめ、庁内にも入っているわけです。中略 大人の社会で設置しているものを子どもに我慢させる理由の第一はやはり台数が多くなるので、費用面について考えられていると思うんですけれども、費用がかかるという理由で子どもに我慢をさせるということがあっていいのだろうかと思います。二重三重の苦しみを負っている子どもにさらに我慢をさせるということがどういうことなのか。やはりきちっと対応すべきだと思うんですね。ですから私はこの請願は当然採択すべきということで意見を申し上げます」

諸越裕委員 反対

「今、岩崎真理子委員の話を聞いて、本当にすばらしい発言だと思います。私も賛成したいなという気持ちはあるんですが、しかしちょっと立ち止まって考えてみると、先ほど費用についての話もありましたけれども、今、原発反対、節電に努めていくという状況で、エアコンを全教室に設置した場合のイニシャルコスト、そしてランニングコストについては、どのように郡山市の財政で考えるのか。その辺もしっかり踏まえて、考えなければいけないのかなと思いました。
先ほど佐藤徹哉委員も言いましたが、自然環境の中で思いっきり汗を流し、しっかりとした形で運動し、そして初めて子どもたちの健康が保たれるのです。ペップキッズこおりやまを企画された菊池信太郎先生もおっしゃっていました。今子どもたちに大切なのはそういうことなのです。外でしっかり遊ばなければ子どもが大きくなってから大変なことになるのです。中略 今子どもたちに求められているのは、エアコンのきいた環境で勉強することではなく、多少暑くても、多少寒くてもそういった中で掛け算九九を一生懸命学ぶ姿です。要求だけに答えるのが愛情ではない、我慢をさせるのも教育の一環だと、私は思っております。ですから、私は、この請願は不採択とすべきだと思います」

 コメントから

先の選挙結果にも、マスゴミの悪質愚劣にも福島の地方議会の悪質愚劣さや、理不尽な現実に対する住民の反応にも、日本人の大半の無責任さにも、もうすべての情況に絶望してしまいます。
絶望の中で生きてゆくのは苦しいことですが、けれども今日も一日生きてゆかなければなりません。希望の灯が見えないまま。



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........なにか足りない なにかが余分 ライブで感じた意味がすこしわかったような気がしたのです。

日本には私小説の系譜があります。私小説とは、作者が直接に経験したことがらを素材にして書かれた小説ですが その系譜たるや 森鴎外 からはじまって 夏目漱石『道草』島崎藤村『春』ほか谷崎潤一郎「異端者の悲しみ」『痴人の愛』宮本百合子『伸子』三島由紀夫『仮面の告白』大江健三郎『個人的な体験』.........非常に多くの小説が私小説の認定を受けていることに驚きます。 

シンガーソングライターでも 陽水とか尾崎豊 長渕剛  鬼束ちひろ...... 自分の実体験を歌っている場合が多い...... もっとも 自分が体験したことから触発されない小説やうた などあるはずはないのですが.....要は 個人的な体験がどれだけ聴くひとたちの胸を揺り動かすか 普遍的なものへ昇華しているかということだと思います。

小林秀雄は「私小説論」(1935年刊)で、西洋の「私」は社会化されているが、日本の「私」は社会化されていないと説いたそうですが 社会化されていても されていなくても 体験されたことによる心の振幅 悲しみ 喜び 不安 希望 が聴きての心を揺さぶるかにまずかかっている。そしてつぎにそれが 生と死 愛 ひとの本質 宇宙の根源にむかっているかということが大事なのではないかと思うのです。そこには体験した自己に対する客観的視点が必要になる。

それは二律背反なんですね。極限状態とか強い感情にひとは惹かれるものだし 歌っていると気持ちがいいし でも そうすると客観視なんてできはしないわけで.....とくに歌は。両立させるのはむつかしい。

歌も語りも 癒しだけじゃないけれど 深い癒しは絶望を超えて未来に向かう力を持っている。わたしが癒される歌は....smile とか too young とか ......

個人的な体験を超えて つまり 自我をすてることで 熟成するものがあるのじゃないか..... 自分が目指したいのはそういうこと 聴き手にぶつけるのではなくてね 聴き手を抱きしめるように語りたいと思ったのです。森圭一郎さんの歌がぶつけるような歌だったというのではぜんぜんないのですよ。

 

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自民党はウソツキです。公約ではそんなこと一言も言わなかった.....

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安倍首相は30日のTBSの番組で、今後の原子力発電所建設について「(東京電力)福島第一原発の事故原因等々を冷静に見極める」とした上で、「新たに作っていく原発は、40年前の古いもの、福島第一原発とは全然、違う(ものにする)。国民的な理解を得ながら新規に作っていくことになるだろう」と述べた。前提条件付きながら、新規建設への意欲を初めて示した。

以上

安倍特製地震大国日本のあたらしい原発は 空中浮揚型?  それとも お得意の地下要塞型?



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