遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



 

........なにか足りない なにかが余分 ライブで感じた意味がすこしわかったような気がしたのです。

日本には私小説の系譜があります。私小説とは、作者が直接に経験したことがらを素材にして書かれた小説ですが その系譜たるや 森鴎外 からはじまって 夏目漱石『道草』島崎藤村『春』ほか谷崎潤一郎「異端者の悲しみ」『痴人の愛』宮本百合子『伸子』三島由紀夫『仮面の告白』大江健三郎『個人的な体験』.........非常に多くの小説が私小説の認定を受けていることに驚きます。 

シンガーソングライターでも 陽水とか尾崎豊 長渕剛  鬼束ちひろ...... 自分の実体験を歌っている場合が多い...... もっとも 自分が体験したことから触発されない小説やうた などあるはずはないのですが.....要は 個人的な体験がどれだけ聴くひとたちの胸を揺り動かすか 普遍的なものへ昇華しているかということだと思います。

小林秀雄は「私小説論」(1935年刊)で、西洋の「私」は社会化されているが、日本の「私」は社会化されていないと説いたそうですが 社会化されていても されていなくても 体験されたことによる心の振幅 悲しみ 喜び 不安 希望 が聴きての心を揺さぶるかにまずかかっている。そしてつぎにそれが 生と死 愛 ひとの本質 宇宙の根源にむかっているかということが大事なのではないかと思うのです。そこには体験した自己に対する客観的視点が必要になる。

それは二律背反なんですね。極限状態とか強い感情にひとは惹かれるものだし 歌っていると気持ちがいいし でも そうすると客観視なんてできはしないわけで.....とくに歌は。両立させるのはむつかしい。

歌も語りも 癒しだけじゃないけれど 深い癒しは絶望を超えて未来に向かう力を持っている。わたしが癒される歌は....smile とか too young とか ......

個人的な体験を超えて つまり 自我をすてることで 熟成するものがあるのじゃないか..... 自分が目指したいのはそういうこと 聴き手にぶつけるのではなくてね 聴き手を抱きしめるように語りたいと思ったのです。森圭一郎さんの歌がぶつけるような歌だったというのではぜんぜんないのですよ。

 

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