遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



 

やはり....。こうきたか。 たぶん と思いながら 一縷の望みは抱いていたから ショックである。

たしかに投票率は低かった。けれども この差はおかしい。マスコミの数字とおりになる これもおかしい。

過去の不正選挙 → こちら ”でき” 選挙の可能性 → こちら

手作業でしていた開票 に戻してほしいが 彼らは一度手にいれた美味しい道具は離さない。

では わたしたちは どうすればいいのだろう。

大きな意味で考えるなら 日本人は絶体絶命のところまで追い詰められなければ とことん 地を這うような苦しみを舐めなければ 覚醒できない そのために与えられた試練なのだろう。

これから もっと 辛いことも起きる。この選挙システムがあるかぎり わたしたちは勝てないかもしれない。社会を変えることはむつかしい。けれども わたしたちは自分と愛するものの運命は 決断と努力で少しは変えることができる。これからくる嵐にそなえよう。各自が 愛するものを守るためにできることがある。囲い込まれた実験場にいるわたしたちに必要なのは 少しでも安全な場所の確保。安全な水と食べ物の確保。医薬ではない癒しのすべを学ぶこと。仲間とつながること。空気とそらばかりはどうにもできないけれど。

決断の時がきた。

少なくともいいことがふたつはある。彼らは これから 日本を刈り取る それには3年から数年はかかるだろう。彼らの傀儡、官僚や大企業をつかい TPPやさまざまなシステムをつくりあげ駆使して 彼らは 日本国民の資産を奪う。傀儡どもが反抗しなければ 人工地震は起きないだろう。もちろん 天地の怒り 天変地異が起きない保証はない。もうひとつ 敵がなりふりかまわずどんな汚い手をつかってもやる気だとわかった、いい加減な気持ちでは太刀打ちできないとわかった 敵を知るのはいいことだ。

管理社会は進展する。身を守りながら 声をあげよう。必要とあれば戦おう。だが 今は まもりを固めるときだと思う。身体の健康を保てるなら、希望を失わなければだいじょうぶ。 天はみずからたすくるものを見捨てたまわず。

 



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まったく 謎 です。.....というか これはツイッターの情報なんですが それがほんとうなら あからさま過ぎて....

群馬と鳥取....

福島全県 投票時間繰り上げ 秋田・岩手・宮城も過半数実施」-衆院選で東北6県のうち福島、秋田、岩手、宮城の4県の過半数の投票所で投票締め切り時間が繰り上げられる。福島は全投票所で最大3時間繰り上げるsankei.jp.msn.com/region/news/12…

国民の主権は たった二枚のb7の用紙です。たぶん5gくらい

それを十二分に行使させる義務が国 にはある。

1票の価値 都市部はときに1/5 なのだから  よけいに。 最大5.07倍の格差。これだけでも違憲です。



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わたしは たいてい 入場券がなくなってしまうので 係りの方に話して 確認してただいています。投票所でうかがった話では 投票率は高くないようです。(13:30分現在)

圧倒的多数の無党派層はどのくらい 投票なさっているでしょう。

投票後 CIMAIでアップルパイと塩コショウチーズのケーキを買って ピクニックに行きました。猿島....さしま というところ 雑木林に木漏れ日がきれいでした。真っ赤な咲き初めの椿 紅の柊が 冬ざれの枯れ林に燃えるようでした.... 右手に牧場の見える道を カサコソ 吹き溜まりの枯葉を踏んであるきました。梢をわたる風はカラカラと乾いた音を吹き鳴らしています。雲ひとつないのに 空はうっすらと白みを帯びていました。 帰り道 利根川を渡るとき 淡いクリーム色の雲に浮かぶ富士山が目に飛び込んできました。不思議なことに 胸に熱い血汐がひたひた寄せくる。この国に生まれてよかった.....ささやかながら この国のためにできることをしたいと思います。 



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IAEA(国際原子力機関)は原子力産業による原子力産業のための組織 ル・モンドのブログ → こちら

IAEAは「技術移転」「国際貢献」の場であると同時に「ビジネス種蒔き」の橋頭堡でもあります。戦略的に「活用」する先進国は多い。日本の原子力技術を広げるためにも、IAEAで活動計画立案、実行する中堅技術者が一層多くなることを願っています。→ こちら

そのIAEAがなぜ福島にくるのか? 

第二次大戦後のABCCとおなじように その目的はヒバク隠しと放射線が人体に与える影響の調査研究ではないのか?

副学長山下俊一氏はやめる模様ですが 彼が果たした役割はIAEAの露払いの意味もあったのでしょうか。それとも なんらかの争闘が....。

山下俊一はABCCの残党 → こちら

ABCC   → こちら 日本人医師90名も参加

ABCC → こちら

以下 抜粋

ABCCの中心人物は、多くがマンハッタン計画の関係者や軍籍にある医科学者だった。

ABCCの設立は原爆投下直後の広島・長崎で原爆の破壊力のうち、とくに人体への殺傷力に重点を置く調査にあたったいわゆる「日米合同調査団」を指揮したアメリカ陸軍および海軍の各軍医総監がマンハッタン計画の推進時から密接な協力関係にあった全米科学アカデミー・学術会議に対し、長期的な、したがって当初から軍事的計画日程に入れられていた原爆障害研究に関する包括的契約研究の一環として、広島・長崎の後障害、放射線による晩発的影響研究の組織化を要請して開始されたのである。両軍医総監はそのため全米科学アカデミー・学術会議に、「原子障害調査委員会(ACC)」と呼ばれる組織を結成させた。もちろん同委員会のメンバーは、軍やアメリカの原子力委員会と密接な関係を持つ人たちで組織された。

それらの手続きを進めながら陸・海軍の当事者たちが、ACCの広島・長崎での現地調査機関としての組織を形成させたが、この委員会はACCの支配下にあることを具現するものとしてABCCの名称を与えられた。ABCCがアメリカ本国で結成されたのは当のACCの正式発足よりも早く、またそのための大統領指令の発表よりも早い1946年11月14日であった。またABCCの先遣隊として日本に派遣されたのはACCの委員の一人であるブルーズとヘンショウのマンハッタン計画従事者に加えて、陸軍軍医団のニールなど軍医関係の5人であった。彼らが来日したのは、1946年11月25日で、「ABCC設立の大統領指令は発せられた」とされる11月26日以前のことであった早く言えば、ABCCの主張する公式の歴史が始まる前に、実際にはABCCが誕生して、活動を開始していたのである。要は、それほどまでして軍は広島・長崎での調査を自らの支配下で進めようとしたのであった。』

なぜアメリカ軍部は、広島・長崎の調査を自らの支配下で進めようとしたのか?それは、放射線被曝の深刻な実態を一般大衆の目から覆い隠すためであった、そのためには広島と長崎の放射線の人体に与える影響に関する情報を一手に握る必要があったのである。

原爆投下直後、広島・長崎の調査を行ったアメリカの調査団は、陸軍のマンハッタン管区調査団、海軍の放射線研究陣、そして太平洋陸軍司令部軍医団の混成部隊であった。彼らが占領後に広島・長崎に調査に入った1945年の9月上旬にはすでに最重症の被爆者はほとんど全員が急性死を免れず、重症の患者もおよそ半数が死亡していた。彼らの調査の最重点が、核戦争を勝ち抜く条件を探ること、すなわち放射線被曝下での生存可能条件を探ること にあったとはいえ、投下直後から一ヶ月あまりの調査結果は欠かすことの出来ないデータであった。

一方、原爆投下直後に、その新型爆弾が原爆であることを確証することに重点を置いた大日本帝国政府・陸海軍の調査が行われていた。仁科芳雄、荒勝文策、浅田常三郎、田島英三等の物理学者、都築正男、中泉正徳、御園生圭輔、熊取敏之等の医学者による日本調査グループの協力を得ることは、そのデータとともにアメリカ側の調査団がそれ以降の調査をスムーズに進めるためには何よりも必要なものであった。

以上

IACAの目的は 被爆隠し  長期被爆の研究 ビジネスの橋頭堡として 製薬業界とつながって 癌新薬開発?



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第一陣の長男からのTELによれば

「投票所はじいさん ばあさん ばっかり....」(すみません 家庭のしつけがちょっと)

わかいひとたちのあしたが当面 この選挙にかかっています。

まわりのわかいひとに声をかけてみませんか?

投票所にいくことをしぶる次男に

「今日 行かなければ 人間じゃない 」

パパに

「今日 行かなければ 離婚しちゃうぞ」

わたしたちのいのち 未来のこどもたちのいのちがかかっている 脱原発とTPP

見るべきほどのことは見た。やるべきほどのことはやって

そのうえで 考えよう あしたのこと。

 



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以下 ユーチューブから書き下ろし抜粋

杉並区民の広瀬隆です。

福島から帰ってきました、今ですね、ちょっと時間を頂いたのは、福島大変なことが今起こっています。今日15日にですね。IAEA国際原子力機関が今、郡山に乗り込んで、福島県民を殺そうとしているんです。

IAEA国際原子力機関についてはみんな知りません。
あの連中は何をしてきたか!1945年に広島・長崎に原爆が投下されてから、核実験が行われ、ずーっとですね、世界中の人間が、恐らく1千万人の人が病気になり、殺されてきたという歴史がある。

(それがIAEA国際原子力機関)


いま、福島第一の原子炉がまた崩れるかもしれないという中であそこにとどまっている人たち、子どもをどうやって守ろうか、そのIAEAの人達がなにをしたか、というと、要するに被ばく隠しをずーーっとやってきたんです!
山下俊一たちがどこから出てきたか?全部その流れから出てきたんです。

1950年代に、あの核実験をやった連中が言った言葉と、全く同じ言葉をあいつらは話しているんです。なにも、一語一句変わりません。

昨日の後援会の最後に、私は6月29日の20万人の首相官邸前のデモのあの映像を流しました。そして「福島のみなさんごめんなさい」「許して下さい」だけど、これだけの人が集まっているんです。テレビ新聞には出ないけれど、集まっているんです。福島の人達は孤独ではありません。私たちにまかせて下さい、守りますから。言って約束してきました。

太郎さん、必ず守って下さいね。あの子たちを絶対に守ってくれるのは、太郎さんなんです。だから私は太郎さんが好きなんですよ。この人にみんな守ってもらいましょう。

だけれども、いいですか、さっきの な人が言ったように、「この選挙で終わりじゃないんです」

私たちは一人ずつ、これから行動しましょう。そうですよね?

我々は選挙で当選してバンザイするためにやっているんじゃないんです。原点は原発を止めること、なくす事です。
そうでしょ?まだ原子炉が動いているんです。選挙が終わったって動いているんです。

どうするんですか?

これを止めるまで絶対やって行きましょう。


以上

露払いを務めた副学長山下俊一氏はやめる模様。



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忌野清志郎の手紙(湯川れい子さん)

3月14日 菅さんが福島で東電が撤退するのを止めなかったら 3号機が臨海を迎えていたら2号機も4号機も爆発して 260キロに被害が及び住めなくなっていた なんとか食い止められた。安全な大地があって きれいな空気があって 水も汚れていなかったら わたしたちは生きてゆける。...この日本から出てゆくことができますか? この小指のさきのような 繊細なひとたちが住んでいる日本 ..... わたしたちが日本人が愛し合って生きてゆくんです ぜったいぜったいわたしは 日本が徴兵制度をひいたり 都民のお金で だれがいったい ...... ふっと目にふれたのが忌野清志郎の本 2000年に書かれた本です。今から12年前です。そのなかに手紙がはいっていました。 

地震の後には戦争がやってくる。軍隊を持ちたい政治家がTVででかい事を言い始めてる。国民をバカにして戦争にかり立てる。自分は安全なところで偉そうにしてるだけ。阪神大震災から5年。俺は大阪の水浸しになった部屋で目が覚めた。TVをつけると5ヶ所ほどから火の手がのぼっていた。「これはすぐに消えるだろう」と思ってまた眠った。6時間後に目が覚めると神戸の街は火の海と化していた。この国は何をやってるんだ。復興資金は大手ゼネコンに流れ、神戸の土建屋は自己破産を申請する。これが日本だ。私の国だ。とっくの昔に死んだ有名だった映画スターの兄ですと言って返り咲いた政治家。弟はドラムを叩くシーンで僕はロックン・ロールじゃありませんと自白している。政治家は反米主義に拍車がかかり、もう後もどりできやしない。そのうち、リズム&ブルースもロックも禁止されるだろう。政治家はみんな防衛庁が大好きらしい。人を助けるとか世界を平和にするとか言って実は軍隊を動かして世界を制服したい。

俺はまるで共産党員みたいだな。普通にロックをやってきただけなんだけど。そうだよ、売れない音楽をずっとやってきたんだ。何を学ぼうと思ったわけじゃない。好きな音楽をやっているだけだ。それを何かに利用しようなんて思わない。せこい奴らとはちがう。民衆をだまして、民衆を利用していったい何になりたいんだ。予算はどーなってるんだ。予算をどう使うかっていうのはいったい誰が決めてるんだ。10万円のために人を殺す奴もいれば、10兆円とか100兆円とかを動かしてる奴もいるんだ。一体この国は何なんだ。俺が生まれて育ったこの国のことだよ。どーだろう、‥‥‥この国の憲法第9条はまるでジョン・レノンの考え方みたいじゃないか? 戦争を放棄して世界の平和のためにがんばるって言ってるんだぜ。俺達はジョン・レノンみたいじゃないか。戦争はやめよう。平和に生きよう。そしてみんな平等に暮らそう、きっと幸せになれるよ

12年前に忌野清志郎が書いている、今そのとおりになっている ほんとにみんな 想像力をゆたかにして 愛し合って愛し合って生きてゆきましょう まちがっても自民党にはいれないでください、再稼働する党に入れないでください。



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BSでウィーナーズオープンを観ました。女子ではひさしぶりに見たスルツカヤの演技を見たとき目頭が熱くなりました。懐かしいというのではないのです。とても熱い演技だった....ロシアの大地を感じた.....人生への讃歌に思えた.....喜びに満ち溢れていた.....わたしはフィギュアファンになって50年以上になりますが 演技を見て泣いたのは今まで浅田真央さんだけでした。今日はスルツカヤとそれからブラウニングの演技に泣きました。それから ヤグディンに圧倒されました。わたしはヤグディンにフィギュアのあたらしい可能性を見せてもらったように感じました。声も出なかった。キャンデロロもあたたかかった。

ただひとえに観客を楽しませようとする姿 自分を乗り越えようとする姿に惹かれます。私的にはいわゆる芸術でなくていい その人の生きる姿勢そのものや祈りがつたわってくるとき 見る者の心にも生きる喜びや勇気が湧いてくるのだと思いました。語りをするうえでも あしたから すこし変われそうです。キミー・マイズナー ラウラ・レピスト ジョアニー・ロシェットにあえてうれしかった。荒川さんはすこし怖かったです。

ちいさい画面ですが このブログにひととおり UPされています。

→ こちら



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