731部隊は 満蒙開拓義勇軍 より 恐ろしい 少年たちの 『ワナ』だった。
満州にいいしごとが ある と 聞いた 少年たちは 船に乗せられた。
七三一部隊元隊員証言記録
以下 まとめの一部
森下清人さん(元七三一部隊少年隊2期生) 14歳 の記録
船の船倉に乗せられ揺れて揺れて着いたのがプザン港。ハルピンの駅から軍用
トラックに分乗して731部隊の少年教育隊にはいった。
銃を立てかけてあって軍隊となんちゃかわらんとびっくりした。
一年目朝6時起床 9時から授業 まず石井閣下が読上げる教育勅語。その次は軍人勅諭。
全部で40分くらいかかるのを苦労して暗記した。国語 数学 衛生学 化学記号も覚えた。
ときどき風向きによって妙なにおいがした、これまで経験したことないような妙な臭いが。
1年後 おれは柄沢班に配属された。総員170名 呂号棟の一階で作業をした。
まず寒天を溶かして培養の基礎をつくる。
チフス、パラチフス、発疹チフス、コレラ、赤痢、ペスト、脳脊髄髄膜炎、を培養した
はじめは菌というものに危険性を感じていなかった だが配属になって2、3ヵ月後で
山形からきた村上がペストにかかって死んだ。
その次は観察記録をとることが仕事になった。
軍属や兵隊4、5人がはだかの丸太をガラス張りの部屋の中につれてくる。
まず身長体重をはかる抵抗しないようなに君はおとなしいから早く出してあげよう、
それにあたっては予防接種しないといかんから、と通訳がいう そうすと喜んで手を出す。
解剖する先生が静脈に菌を接種するそのあと おれたち少年隊が外から観察ノートに記録する
何分になったらマルタが座り込んだと。で、何分で横になったと。死んでしまうまで、
6人で2人1組で交代しながら。
おれは人間注射1本で簡単に死ねるんだなあ。。と思った。しかし、あんな苦しみはしたくない
なあと思った。ああこれがマルタなんだな、容疑はなんだろな、スパイ容疑かなとか。
七三一に入って来るのがもう消耗品 人間じゃない。品物だから。マルタはもう耗品だから。
3年目錬成隊になった。仕事の内容はかわらなかった
4年目 戦況がわからないから、日本が勝ってるもんだとばかり思っていた。8月の13日の朝。
本部の前に大きな穴をほって 伍長とか軍曹が書類を投げ込んで焼いていた。
完全に燃えるように破りながらほりこんでた。お医者さんは全然いなかった。そしたら
、衛兵所におった下士官が、日本が負けたから、少年隊はすぐこのまま帰れ!
今から内地に引き上げるからその準備をしろって。
うれしかった。みんなで帰れるのう、帰れるのういうて喜んで私物整理していた。
ところが10時ころ少年隊は各班何十人ずつ使役を出せ、いう本部からの通達があった。
はじめて丸太小屋に入ったら 全員死んでいた。丸太を運んで焼いた。翌朝私物を持って
班ごとに貨車に乗った。本部が真っ赤な炎をあげてパンパン音をさせて燃えていた。
ハルビン駅に着いたとき班長が日本は負けた、このまま日本に帰っても男は皆殺されているから、
女は全部犯されて自殺したりしてるから、日本に帰っても望みはないから、志のある者は、
満州に残る勇気のある者は、そうしたほうがいい だが強制はしない と言った。
新京の駅のところで、七三一部隊の建物は全部飛行機から爆弾を落としてこわしてしまった
という情報が入った
おれは八路軍の捕虜となり衛生兵、軍医として昭和23年まで従軍。
その後脱走して昭和24年日本に戻った もう一度731に行きたい。
死ぬまでにもう一度行きたい オレが七三一におったいうことでその場で射殺されても。
以上