カミカゼ特攻の責任をとって 海軍の大瀧中将は昭和20年8/16 割腹自殺
(天皇陛下へごめんなさいかも)
宇垣中将は 11機 22名の特攻隊員を引き連れ 海へ ダイブ
陸軍の 菅原中将は 嘲られながら 埼玉の飯能に蟄居 特攻隊員の菩提を弔い
つつ 自給自足の生活をつづけ 95歳の天命を全うした。
責任をとるとは どういうことだろうか....
大瀧中将は 特攻について 外道の戦略と 反対した。菅原中将も反対だった。
しかし ふたりとも のちに 今の日本を救うのは特攻しかないと 特別攻撃に
突き進む。
カミカゼ 人間爆弾桜花 人間魚雷回天 震洋などの 生命を爆弾にした特別攻撃で
6300名もの 少年も含め 若者たちが 死んでいった。
その菅原中将が 亡くなった後 文箱に一通の手紙が 残されていた。
振武隊 山吹隊 第二隊長 多田良 少尉の 母君からの手紙だった。
陸軍少尉 多田良 政行
これが 現身の あの子のすがたでした。ある夜 長距離電話で
『明朝8時 出撃基地へ 出発となった。 おかあちゃん
さよなら ... さよなら ... さよなら 』と 叫ぶような 最後の
声を送ってきました。
昭和20年5月20日 午後7:10 『ワレ トツニュウス』の
無電を限りに あの子は 身に着けたものを 一片さえ残さず
愛機もろとも 沖縄中城湾の上空から戦艦に突入したのです。
その事実を うべなう 心の底で この5年間を あの子の死の実感
がつかめぬまま過ごしてきました。
戦に敗れて その 裏面があきらかになってみれば 生きながら神に
祭り上げられ賛辞をもって 死に追いやられた幾多の特攻隊員の若い
生命はなんのために捨てたのか?
当時の日本の立場、シナ事変から大東亜戦争へと大きく拡がっていった
戦の真の意義など わかろうはずもなく 一部の指揮者たちの手に
踊らされ種々の美名のもとに
国民全体が完全に、政治 外交にたいして 盲にさせられ ただただ
戦争一色に塗りつぶされた そのなかで 純真に一途に死に向かった
あの子たちに何の罪があるのでしょう?
宝にもかえがたく 慈しみ育てた我が子を..... 涙一滴も見せないで
死の道へ 送り出した 父の 母のやりどころのない今の心をどこへ
もって行ったらよいのでしょう?
その血みどろの心の痛みこそ 戦争への抗議でなくてなんでしょう?
以上 抜粋です。
78年前と 今と どれだけ 違って いるのだろうと思いました。
国民全体が完全に、政治 外交にたいして 盲にさせられ ただただ
コロナ一色に塗りつぶされたそのなかで おじいちゃんおばあちゃん
にうつさないために 内容物を黒塗りにされた ワクチンを打つ
子どもたち・・ 心筋症や 免疫異常 免疫低下によるさまざまな病気
で 病院は溢れています。
もしかしたら 超過死亡 は 太平洋戦争死者310万人を上回って
いるのかもしれないのです。
日本の報道の自由度は世界68位です。毎日毎朝 大本営発表が飛び交い
この国は 次第に弱まり 次第に子どもたちも老人も 減ってゆく。
わたしたちの 為すすべもなく.....
国を 子どもたちを 守らなければ なりません。
それぞれの行動で....