二日後に 戦争と平和 の 公演を控えて いたのだが
結びの文面も 決まらぬまま 突然 思い立って 片付けを はじめた。
ピアノの上に 積み上がった 膨大な ファイルを片付けようと
したら 七年前の最後の語り劇公演の ちらしやプログラム
や リサイタル 櫻会(さくらえ)の 来場者名簿
手続きを 忘れていた 保険 など 10年に及ぶ 足跡の
記録が 雪崩れてきた。
その中に 特攻 という 小誌があり 会員でも ないのに
なぜ? と訝しく思った。平成25年の ものなのに 封筒から
だされてばかりのように 真新しく 見えた。
ぺージを 繰っているうちに ハッとおもいあたった。
菊水1号作戦 天一作戦? 沖縄防衛のための 陸海軍の共同
特攻作戦の特集だった。この作戦で一命を落とした 18歳で
志願した 特攻隊員のお姉さんから 話を伺ったのが たしか
平成25年頃だった。
数奇なものがたりだった。戦後 長い時間をかけて 姉の菊枝
さんは 弟が どのようにして死んだか 突き止めたのだ。
その ものがたりを わたしは 2日後 語ることにしていた。
弟のTさんは 昭和20年4月6日 18時 串良を飛び立つ。
250キロの爆弾を積むため 機銃はおろか 通信機さえ外され
敵から爆撃を受けても 打ち返すこともできず 友軍機とも
本部とも 通信もできず まるはだかとなって 敵の爆撃
を掻い潜り 二機は海面スレスレに二機は はるか頭上から
駆逐艦 ニューコムに激突 沈没寸前まで 追い詰めた。
この特攻 という 小誌は その話を うかがったときに
菊枝さんから 託されたものと 思う。
時間も忘れ 読み耽っていたわたしは 多々良さんという
やはり 息子さんを 特攻で亡くした方の 手紙に辿り着いた。
カフェを出ねばならず続きは のちに。