伊勢にいって..感じたものは あたりまえのことながら 縄文があり 原始的な根源的な 古・神道の世界の痕跡がいまだに残っているということでした。
ずうっと昔 神とは山であり川であり自然そのものでした。石に神が降り立ったことから 石 が尊崇の対象となり かたわらには 木 がありました。 そして その地に祠が建てられ 権力者たちは 土地の力を利用して大きな社をつくりました。そのむかしのにおいが伊勢にも隠しようもなく残っています。(瀧祭神 饗宇治川橋姫.....五十鈴川の神 土宮.....土の神 ほか)
中世 お伊勢参り(お蔭まいり)は庶民のものでした。
当時、庶民の移動、特に農民の移動には厳しい制限があったが、伊勢神宮参詣に関してはほとんどが許される風潮であった。特に商家の間では、伊勢神宮に祭られている天照大神は商売繁盛の守り神でもあったから、子供や奉公人が伊勢神宮参詣の旅をしたいと言い出した場合には、親や主人はこれを止めてはならないとされていた。また、たとえ親や主人に無断でこっそり旅に出ても、伊勢神宮参詣をしてきた証拠の品物(お守りやお札など)を持ち帰れば、おとがめは受けないことになっていたという。 ⇒ こちら
一方 すでにUPしたように 明治天皇以前 天皇はだれひとり伊勢に参拝されませんでした。明治天皇が伊勢に参拝されたのには特別な理由があったのでしょう。明治5年といえば 明治政府が発足してまもなくであり不平士族は一触即発という状態であったことでしょう。そのなかで国家護持のうしろだてとして 神 の存在が必要だったのではと思います。ハゲタカのごとき欧米列強にむしられないように守りつつ 一方で一刻も早く欧米に追いつき追い越せと無理に無理を重ねた明治時代。時代をひっぱり 民衆の不平不満をねじ伏せ 国をひとつの方向に持ってゆくためには 天皇は神でなくてはならず 式年遷宮で古代をそのまま引き継ぐ 伊勢神宮はうってつけの存在であったのでしょう。
⇒ こちら
国家神道とは明治政府により「日本民族」の統一という求心的政治イデオロギー的使命を負わされ天皇家ゆかりの伊勢神宮を頂点として作られたピラミッド型組織に絡めとられた宗教的思想体系と権力構造のことを言います。
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さて わたしが感じる 氣 は
い 多少の湿り気を含んだ 包み込むような 氣
① 男性的な あるいは女性的な
② あたたかな あるいは ひんやりしたというか しめやかなというか
ろ (乾いている感じが多い)一方向 の 氣
① 地の底からズズーンととよもすような (下から)
② 刃で突き刺すような (ご神体のほうから)
③ ときになにかで増幅されたような
ヴァリエーションはありますが....このように大別されます。
わたしがすきなのはもちろん い の自然のエネルギーをもっと大きくしたような 氣 です。御社とおなじくらい木もエネルギーをもっています。交流しただけで(もらうだけではいけなとわたしは思うのですが)...涙があふれてきます。慈愛でつつまれるような....それは至福です。..... (いつか そのような 氣 がにじみでるようなヒト になりたいと思います)
これは わたしにとっては ヒントになります。ここから感じるのは たとえば 大神神社と出雲大社は 氣 が異なる 大神神社と石上神宮の 氣 はにかよっている などなどですが これはあくまでも自分のためのものです。大斎原 玉置神社 瀧原宮 伊雑宮 ..... 前宮 なぜだか とてもなつかしく思出だすだに 胸に溢れくるものがある。......それは日本の山や川や瀧 天然の事物の凝縮したものなのです。....わたしはこの国がすきです。....だから 安倍さんとはまったく違う意味で日本を取り戻したい。....そのためにできることは..... 清めること 火を灯すこと。 ささやかながら 日々 つづけること。