遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



 

宇治橋をわたり 右の奥 いすゞ川ちかくに瀧まつり宮があります。社殿はありません。石畳を設け、玉垣をめぐらして祀られてきたのです。

なんとなく石段をのぼるのが憚られました。しんとした霊妙な氣 女性的な氣....

瀧祭宮にはさまざまな伝承があります。

瀧祭宮は倭姫命が伊勢神宮をここへ遷す前からあったとされる。蛇(龍)を祀っていたと言われる。

瀧祭宮の地底に、常世の国や龍宮があり、水神=龍神説が定着すると、天の瓊矛(ぬほこ)の鎮座地とみなされるようになった。

つぎに風日祈宮橋をわたって....脚がもう限界でようやく橋をわたりました。

風日祈宮の祭神は、風雨を司る神とされる級長津彦命と級長戸辺命(しなつひこのみこと、しなとべのみこと)ご夫婦の神さまです。本来は農耕に適した風雨をもたらす神であったが、元寇以降は日本の国難に際して日本を救う祈願の対象となりました。このみ社はぎょっとするほど 氣 が強かった。泣きたくなり あたまがガンガンいたしました。忘れがたいお宮のひとつです。

そして とうとう 正宮 長蛇の列 思いもかけない強い 氣 わたしがいままでご参拝した神社のなかで もっとも強い氣は出雲大社でありました。もっともそれは遷宮の前でご神体が拝殿に鎮座しており(あとでわかった)その真裏を通ったせいもあったのでしょうが 心臓が止まりそうな 思わずよろめくほどの 氣でした。お伊勢さまの 氣 は増幅されたように強く 切っ先が鋭い刃のようにも感じました。

荒祭宮は「荒魂を祭る宮」の意味だそうで 瀬織津姫をお祀りしているという説があります。あまり長い列なので並ばずに端でご参拝いたしましたが ぼうーっとしていたのか よく覚えていません。

脚がいたんで ヤマツミの神さまはお参りできませんでした。今回は短時間のあいだに 正宮とほとんどの別宮に参拝させていただきましたが 倭姫神社と饗宇治橋姫あえどばしひめ神社にご参拝できなかったのが残念です。饗宇治橋姫神社について書こうとすると消えてしまいましたのでやめておきます。

今回の旅で 謎が ほどけると思いきや 今はまた霧のなかです。少なくとも龍神の気配はそこここに感じさせていただけた....太古から存する大地と水とひかりがあり  しめやかな 慈しみの氣があった 木々が語った。それだけで今は充分です。

氣 について書きましたが どう感じるかはそれぞれの方の霊籍によるのではないでしょうか。ですからわたしが感じたからといって そこにいかれた方がすべて感じるものでもないと思います。すべてよし...です。帰り道 日本の野や山はうつくしかった....清流は澄み 輝いていた .... この国はうつくしい この国にふさわしいヒトになりたい。としみじみ思いました。

 

 



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外 宮

外宮へのご参拝ははじめてでした。わたしは元伊勢が主たる目的の旅でしたから 申し訳ないことに お伊勢さまには さほど期待してきたのでもなかったのです。けれども 参道のどのあたりであったのだろう 氣 が変わった。正直のところご正宮のことはぼーっとしていたのかあまり覚えていません。戦慄を感じたのは 風宮 土宮でした。とくに土宮の氣はとても強かった。外宮の千木が水平に切られているが、雄々しいといいますか凛々しいといいますか力強い氣を感じます。お山にのぼって多賀宮 このたび遷座する場所がすばらしかった。もちろん今のお社も。それから駆け足で月夜見宮にお参りしました。月夜見宮から感じたのは女性的なやさしい氣でした。

月讀宮

神明つくりの神殿が向かって右(東)から月讀荒御魂宮、月讀宮、伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮.....と並んでいるのは 瀧原宮と似ています。月讀宮、月讀荒御魂宮、伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮の順にお参りいたしましたが 月讀さまはとても濃やかなやさしい氣  伊弉諾さまは剣のような鋭い氣でした。

一言主神社にお参りした折 境内の片隅に 苔むし雨風にあらわれて文字の判読も難い石碑があり そこに 日讀 月讀 と読めました。日月と称し、三光といい 参道の灯篭には 日 月 星の穴がうがたれていることが多い。それなのに日本では月神の神話がほとんどありません。(星も)月讀さまはどのような神なのか やはり隠されてしまった神なのか ...... スサノオさまが古事記に組み込まれたため そのご神威が 天域 海 夜の国 と曖昧になってしまったのか....... アマテラスが女神にされたため 性別がかわってしまうこともあったのではないか......とか 妄想をたくましくしました。

 ⇒ こちら

 ツクヨミの原義は、日月を数える「読み」から来たものと考えられる.例えば暦=コヨミは、「日を読む」すなわち日読み=カヨミであるのに対して、ツクヨミもまた月を読むことにつながる。

「読む」は、『万葉集』にも「月日を読みて」「月読めば」など時間(日月)を数える意味で使われている例があり、また暦の歴史を見ると、月の満ち欠けや運行が暦の基準として用いられており、世界的に太陰暦が太陽暦に先行して発生したのである。「一月二月」という日の数え方にもその名残があるように、月と暦は非常に関係が深いつまり、ツクヨミは日月を数えることから、時の測定者、暦や時を支配する神格であろうと解釈されている。その他にも、海神のワタツミ、山神のオオヤマツミと同じく、「ツクヨのミ」(「ツクヨ」が月で「ミ」は神霊の意)から「月の神」の意とする説がある。

 



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