ども。寒いっすね。生きてます。崖下から吹き上げる風は雪を含み、まるでプランクトン豊富な海みたいです。(あれ?)
自然がその気になったら、人間なんて、ちっぽけな存在、歯が立つわけがない。
でも、生活を守ろうと、果敢に働く人の、美しさ。ありがたさ。
除雪作業をしてくれている全国各地のヒーロー達へ。本当にありがとう。心から、敬意と感謝を捧げます。
ホンマ、エライ人達はわかってるのかな。高速道路が一般道路よりも上質なアスファルトを使ってて、除雪態勢も一般道と比べものにならんほど素晴らしい、ってこと。財源無くなっても、同じことができるんだろうか。(高速道路の「維持」ができないってことは、一般道路とは比較にならんほど命の危険が増すからなぁ。。。)
おいらも素人ですから、状況わからんで愚痴っててもアホやとは思いますけどね。疑問は解消されたいんだ。ハァ。
ところで。
いまだ映画「ゴールデンスランバー」を観に行けない、しがない勤め人としては、先週以来の興行が気になるところです。
観に行く前に書いちゃおう。偏った「ゴールデンスランバー」論。ていうか、森田論(苦笑)。
ネタバレOKな人でなおかつ暇な人だけ、以下ご覧ください。
「ゴールデンスランバー」の中で、主人公を含めた友人4人組はとても特徴的に人物造型されているんだけれど、中でも、青柳と森田の関係は、とても象徴的だ。
「善良な平凡」が服を着て歩いているような、青柳。
読んでいて嫌悪感を誘う描写が一切無く、ニュートラルで希薄な存在感を本人は苦にするでもなく、「善」「平凡」という印象薄い特徴(笑)が最大の武器になっていく主人公。
それに対して、大学時代から独特の勘の良さと知性で周囲を圧倒し、それでもお人好しで欲もなく、無駄?に輝きながら「平凡」の中にとどまり続けた森田。
森田と青柳の場面を思い浮かべると、得意げに自説を自由に展開する森田と、それに眼を瞠ってて聞き入る青柳の姿が目に浮かぶ。
彼らは、お互いの存在故に自分を解放できたんじゃないかな、と思う。
実は、森田の人物描写は、作中における登場時間に反して、非常に深い。
一種の(魚座的とも言える(笑))勘の良さで、世の中の動きを読み、そのことを誇るでもなく、ただの馬鹿話として披露している森田。
カッサンドラじゃないけど、さ。
「未来」が見える者は、見えない振りをするか、正直に話して周囲から疎まれるか、どっちかなんだよな。
森田は、自分の天才を、放棄したかったんじゃないかと思う。多分、本能的に「やばい」と思っていた。
思えば、数奇な運命だ。卒業し、東京の会社に就職した森田。(勘の良さと知性は就職時にも発揮されたんだろう。)それなのに、初な(このへんは青柳にも通じる)森田はあっという間に都会の渦に巻き込まれた。
多分、最初の女性だったんだろーなー。そんで「できちゃった」ら責任とらなきゃなぁ。そしたら、奥さんパチンコ中毒だって。。。
予言者は、自分のことは見えないらしい。森田の「森の声」も、森田自身を救ってくれることはなかった。
だから、青柳と森田の再会の場面は印象深いのだ。
人生に躓き、あり得ないほどのどん底に落ち込んで、それでも家族を守って真っ当に借金変えそうとして、でも限界まで追い詰められた森田が、そんな「鬼」の心で受け入れてしまった、青柳を陥れる計画。
森田は、「青柳にペットボトルの水を飲ませて、車の中で眠らせておけ」としか指示を受けていない。
毎日寝る暇もないほど働いて、考えることもままならない狂気の地獄の中で受け入れたオファー。依頼者は、森田を、ただの「使いやすい条件の、青柳の大学時代の友人で、思慮の足りない男」としか評価していなかっただろう。
青柳にとって、最初の、そして最大の天の助けが発動する。森田の天才によって。
多分、青柳と出会ってからの森田は、ずっと懊悩の中にあったと思う。
青柳と実際に会って、昔を思いだし、遅まきながら、彼は激しい葛藤を感じたはずだ。
そして、森田の意図通りに青柳が眠ってしまったことで、森田は、青柳が自分を昔のように信頼しきっていることを改めて痛感する。
借金苦で自分らしさを失っていたであろう森田は、つかの間、「指示を果たした安堵感」と「あっけない達成感」から、自分の心を取り戻す。
今までの「偶然」と事実の断片が、ものすごい勢いで、彼の中で符合として結びつく。
そして、きっと彼は、久しぶりにして、最後の「森の声」を聴いたのだ。
彼に知らされていなかった謀略の重大さ。
そして、彼自身が身を捨てなければ、二人とも、助かる可能性はゼロに等しいことを。
森田の悲劇は、「森の声」が、彼を守るためには発動しなかった、ってことだ。
「森の声」は、その時点での非情な現状分析と予言だけを、森田に伝えた。
森田は、その声に従った。
最後の瞬間まで激しく迷いながらも、彼は、青柳を生かすことを選んだのだ。
生き続けていたかったはずの森田は、青柳を逃がす。
目を瞑り、「ゴールデンスランバー」の歌を、道連れに。
原作の中で、最後まで森田が輝きを失わずに青柳の中に存在するのは、この作品の中で、森田が青柳と一対の鏡のような存在だからかもしれない。
人の「生きる」という行為に潜む、偶然の出会いや奇跡や、巡り合わせとしかいいようのない運不運。
森田や、他の登場人物達が、見せてくれるのは、その輝きと闇だ。
と思うんだけど。。。
暴走しすぎ?。。。すんません(汗)
あ~、早く映画版観に行きたいよ。以上、原作読んだ一読者のたわごとでした。(爆)
みんな。よい夢を。
自然がその気になったら、人間なんて、ちっぽけな存在、歯が立つわけがない。
でも、生活を守ろうと、果敢に働く人の、美しさ。ありがたさ。
除雪作業をしてくれている全国各地のヒーロー達へ。本当にありがとう。心から、敬意と感謝を捧げます。
ホンマ、エライ人達はわかってるのかな。高速道路が一般道路よりも上質なアスファルトを使ってて、除雪態勢も一般道と比べものにならんほど素晴らしい、ってこと。財源無くなっても、同じことができるんだろうか。(高速道路の「維持」ができないってことは、一般道路とは比較にならんほど命の危険が増すからなぁ。。。)
おいらも素人ですから、状況わからんで愚痴っててもアホやとは思いますけどね。疑問は解消されたいんだ。ハァ。
ところで。
いまだ映画「ゴールデンスランバー」を観に行けない、しがない勤め人としては、先週以来の興行が気になるところです。
観に行く前に書いちゃおう。偏った「ゴールデンスランバー」論。ていうか、森田論(苦笑)。
ネタバレOKな人でなおかつ暇な人だけ、以下ご覧ください。
「ゴールデンスランバー」の中で、主人公を含めた友人4人組はとても特徴的に人物造型されているんだけれど、中でも、青柳と森田の関係は、とても象徴的だ。
「善良な平凡」が服を着て歩いているような、青柳。
読んでいて嫌悪感を誘う描写が一切無く、ニュートラルで希薄な存在感を本人は苦にするでもなく、「善」「平凡」という印象薄い特徴(笑)が最大の武器になっていく主人公。
それに対して、大学時代から独特の勘の良さと知性で周囲を圧倒し、それでもお人好しで欲もなく、無駄?に輝きながら「平凡」の中にとどまり続けた森田。
森田と青柳の場面を思い浮かべると、得意げに自説を自由に展開する森田と、それに眼を瞠ってて聞き入る青柳の姿が目に浮かぶ。
彼らは、お互いの存在故に自分を解放できたんじゃないかな、と思う。
実は、森田の人物描写は、作中における登場時間に反して、非常に深い。
一種の(魚座的とも言える(笑))勘の良さで、世の中の動きを読み、そのことを誇るでもなく、ただの馬鹿話として披露している森田。
カッサンドラじゃないけど、さ。
「未来」が見える者は、見えない振りをするか、正直に話して周囲から疎まれるか、どっちかなんだよな。
森田は、自分の天才を、放棄したかったんじゃないかと思う。多分、本能的に「やばい」と思っていた。
思えば、数奇な運命だ。卒業し、東京の会社に就職した森田。(勘の良さと知性は就職時にも発揮されたんだろう。)それなのに、初な(このへんは青柳にも通じる)森田はあっという間に都会の渦に巻き込まれた。
多分、最初の女性だったんだろーなー。そんで「できちゃった」ら責任とらなきゃなぁ。そしたら、奥さんパチンコ中毒だって。。。
予言者は、自分のことは見えないらしい。森田の「森の声」も、森田自身を救ってくれることはなかった。
だから、青柳と森田の再会の場面は印象深いのだ。
人生に躓き、あり得ないほどのどん底に落ち込んで、それでも家族を守って真っ当に借金変えそうとして、でも限界まで追い詰められた森田が、そんな「鬼」の心で受け入れてしまった、青柳を陥れる計画。
森田は、「青柳にペットボトルの水を飲ませて、車の中で眠らせておけ」としか指示を受けていない。
毎日寝る暇もないほど働いて、考えることもままならない狂気の地獄の中で受け入れたオファー。依頼者は、森田を、ただの「使いやすい条件の、青柳の大学時代の友人で、思慮の足りない男」としか評価していなかっただろう。
青柳にとって、最初の、そして最大の天の助けが発動する。森田の天才によって。
多分、青柳と出会ってからの森田は、ずっと懊悩の中にあったと思う。
青柳と実際に会って、昔を思いだし、遅まきながら、彼は激しい葛藤を感じたはずだ。
そして、森田の意図通りに青柳が眠ってしまったことで、森田は、青柳が自分を昔のように信頼しきっていることを改めて痛感する。
借金苦で自分らしさを失っていたであろう森田は、つかの間、「指示を果たした安堵感」と「あっけない達成感」から、自分の心を取り戻す。
今までの「偶然」と事実の断片が、ものすごい勢いで、彼の中で符合として結びつく。
そして、きっと彼は、久しぶりにして、最後の「森の声」を聴いたのだ。
彼に知らされていなかった謀略の重大さ。
そして、彼自身が身を捨てなければ、二人とも、助かる可能性はゼロに等しいことを。
森田の悲劇は、「森の声」が、彼を守るためには発動しなかった、ってことだ。
「森の声」は、その時点での非情な現状分析と予言だけを、森田に伝えた。
森田は、その声に従った。
最後の瞬間まで激しく迷いながらも、彼は、青柳を生かすことを選んだのだ。
生き続けていたかったはずの森田は、青柳を逃がす。
目を瞑り、「ゴールデンスランバー」の歌を、道連れに。
原作の中で、最後まで森田が輝きを失わずに青柳の中に存在するのは、この作品の中で、森田が青柳と一対の鏡のような存在だからかもしれない。
人の「生きる」という行為に潜む、偶然の出会いや奇跡や、巡り合わせとしかいいようのない運不運。
森田や、他の登場人物達が、見せてくれるのは、その輝きと闇だ。
と思うんだけど。。。
暴走しすぎ?。。。すんません(汗)
あ~、早く映画版観に行きたいよ。以上、原作読んだ一読者のたわごとでした。(爆)
みんな。よい夢を。