雪で100台以上立ち往生、76人避難 新潟(朝日新聞) - goo ニュース
ども。日本列島(全部じゃないかもしれないけど)えらいことになってます。
大雪。26年ぶりだってさ(苦笑)。おいら高校生だったはず。こんなにひどかったっけ?(あ、でも確かに小学生の頃は、冬は常に除雪車が出動してて、路肩に雪山が寄せられていて、歩道はけもの道になってて、しかもキロンキロンに凍ってたなぁ。。。昨日今日の様子と一緒だ(爆))
そんな日に、アホなおいらはやっと観に行ったんです。「ゴールデンスランバー」を。
(以下、ネタバレ注意。)
。。。
よかった。
とても、色々なことを感じる映画だった。
とても哀しいエンディングなのに、見終わった後、妙な明るさがあって、元気になった。
多分、登場人物が皆、優しいからだ。(一部を除いて(苦笑))
青柳の存在感が、いつでも「ふんわり」としていて、彼ならばこそ、天の助けも降りてくるだろう、人も助けたくなるだろう、と納得できる存在感、オーラを放っていた。
森田の場面を見て、原作を読んだ自分の記憶があいまいだったことを知った。
森田は、おいらが予想してたよりもっと深刻だった。そして、もっと強くて、もっと優しかった。
吉岡秀隆氏の渾身の演技に震えた。ものすごかった。一瞬一瞬、目が離せなかった。
バトンは、森田が持っていたのだ、ということ。
そのバトンを、青柳が、受け取ったのだ、ということ。
命のバトン、というと、陳腐に聞こえるかもしれないけれど、そうとしか言いようのない、「生きていくための力と運」を、全部、森田は、青柳に渡したんだ、と思った。i-podと一緒に。
最後の瞬間まで死にものぐるいで青柳を逃がそうとし、そして、逃がした、森田。
その最期は、原作以上に衝撃的で哀しかった。そして、その衝撃が青柳を走らせた、という、自然な流れに唸った。
ipod、おいらが持ってるのと同じ世代っぽいじゃんか(笑)。同世代感、最高でした。
4人の存在感、恋人の、家族の、友人の、先輩の、そして、行きずりの人達の、人間らしい「共感」という名の優しさ。
ボロボロのカローラが動き出すように。マンホールから次々飛び出す花火のように。そして、なにより優しい、初めてで永遠の口づけのように。
美しくて、優しい、夢のようなメッセージが、観る者に繰り返し届けられる。
ともすれば、隣の人の体温が感じられない、今の世の中だからこそ。
「生きていけ」「愛していけ」「信じていけ」
「生かしていけ」「信頼を守れ」「善意をつないで行動しろ」
「人として、生きろ」「他人に手をさしのべよ」
とりあえず、学生時代に友人は作っとけよ。という話(爆笑)なんだ、とも言えるよ。
それは、まったくもって、正しいメッセージだ。
子どもたち、生きていけ。無様でも、かっこわるくてもいいから、生き抜いていくんだ。
逃げる青柳を振り返る通行者。通報する看護師。写メをとろうとするアパートの住人。ラジコンヘリ好きの小梅ちゃん。
それに対して。
車に乗せてくれたカップル。サインをねだってきたウェイトレス。保土ヶ谷さんや轟親子、そして、カズの彼女と、見回りして青柳と遭遇してしまったお巡りさん。
どちらの生き方を選びますか。
(おそらく、キルオは、「自分だけ」のために生きていくことに倦んでしまっていたのだと思う。絶対の孤独と自由は、人間関係的な渇望を生むと思うから。だから彼は、「救済を必要としている」青柳に、のめりこんでしまったんだろう。)
後者を選ぶと、森田のような目にあうこともありますよ。(そう、キルオのようにも。)
そんなこんなの色々な電波が、この映画の中で飛び交っています^-^
人間の善意と哀しさと美しさを、夢のように魅せてくれた、まさにゴールデンスランバーのような3時間弱でした。
本当にありがとう。
いい映画だった。また観に行きたいな。そして、原作ももう一度読みたいと思った。
シェイクスピアは、昔、言った。
「我々の人生は、夢と同じ成分で織りなされている。」
ぼくらには、今、夢が必要だ。
明日へ向かうための、黄金のまどろみの中で、観る夢が。
ありがとう。明日を恐れずに、生きていくよ。
ども。日本列島(全部じゃないかもしれないけど)えらいことになってます。
大雪。26年ぶりだってさ(苦笑)。おいら高校生だったはず。こんなにひどかったっけ?(あ、でも確かに小学生の頃は、冬は常に除雪車が出動してて、路肩に雪山が寄せられていて、歩道はけもの道になってて、しかもキロンキロンに凍ってたなぁ。。。昨日今日の様子と一緒だ(爆))
そんな日に、アホなおいらはやっと観に行ったんです。「ゴールデンスランバー」を。
(以下、ネタバレ注意。)
。。。
よかった。
とても、色々なことを感じる映画だった。
とても哀しいエンディングなのに、見終わった後、妙な明るさがあって、元気になった。
多分、登場人物が皆、優しいからだ。(一部を除いて(苦笑))
青柳の存在感が、いつでも「ふんわり」としていて、彼ならばこそ、天の助けも降りてくるだろう、人も助けたくなるだろう、と納得できる存在感、オーラを放っていた。
森田の場面を見て、原作を読んだ自分の記憶があいまいだったことを知った。
森田は、おいらが予想してたよりもっと深刻だった。そして、もっと強くて、もっと優しかった。
吉岡秀隆氏の渾身の演技に震えた。ものすごかった。一瞬一瞬、目が離せなかった。
バトンは、森田が持っていたのだ、ということ。
そのバトンを、青柳が、受け取ったのだ、ということ。
命のバトン、というと、陳腐に聞こえるかもしれないけれど、そうとしか言いようのない、「生きていくための力と運」を、全部、森田は、青柳に渡したんだ、と思った。i-podと一緒に。
最後の瞬間まで死にものぐるいで青柳を逃がそうとし、そして、逃がした、森田。
その最期は、原作以上に衝撃的で哀しかった。そして、その衝撃が青柳を走らせた、という、自然な流れに唸った。
ipod、おいらが持ってるのと同じ世代っぽいじゃんか(笑)。同世代感、最高でした。
4人の存在感、恋人の、家族の、友人の、先輩の、そして、行きずりの人達の、人間らしい「共感」という名の優しさ。
ボロボロのカローラが動き出すように。マンホールから次々飛び出す花火のように。そして、なにより優しい、初めてで永遠の口づけのように。
美しくて、優しい、夢のようなメッセージが、観る者に繰り返し届けられる。
ともすれば、隣の人の体温が感じられない、今の世の中だからこそ。
「生きていけ」「愛していけ」「信じていけ」
「生かしていけ」「信頼を守れ」「善意をつないで行動しろ」
「人として、生きろ」「他人に手をさしのべよ」
とりあえず、学生時代に友人は作っとけよ。という話(爆笑)なんだ、とも言えるよ。
それは、まったくもって、正しいメッセージだ。
子どもたち、生きていけ。無様でも、かっこわるくてもいいから、生き抜いていくんだ。
逃げる青柳を振り返る通行者。通報する看護師。写メをとろうとするアパートの住人。ラジコンヘリ好きの小梅ちゃん。
それに対して。
車に乗せてくれたカップル。サインをねだってきたウェイトレス。保土ヶ谷さんや轟親子、そして、カズの彼女と、見回りして青柳と遭遇してしまったお巡りさん。
どちらの生き方を選びますか。
(おそらく、キルオは、「自分だけ」のために生きていくことに倦んでしまっていたのだと思う。絶対の孤独と自由は、人間関係的な渇望を生むと思うから。だから彼は、「救済を必要としている」青柳に、のめりこんでしまったんだろう。)
後者を選ぶと、森田のような目にあうこともありますよ。(そう、キルオのようにも。)
そんなこんなの色々な電波が、この映画の中で飛び交っています^-^
人間の善意と哀しさと美しさを、夢のように魅せてくれた、まさにゴールデンスランバーのような3時間弱でした。
本当にありがとう。
いい映画だった。また観に行きたいな。そして、原作ももう一度読みたいと思った。
シェイクスピアは、昔、言った。
「我々の人生は、夢と同じ成分で織りなされている。」
ぼくらには、今、夢が必要だ。
明日へ向かうための、黄金のまどろみの中で、観る夢が。
ありがとう。明日を恐れずに、生きていくよ。