「小さいおうち」を読了。
懐かしい内容でした。昔どこかで読んだような・・・
その既視感はきっと、おいらの親とか祖母とか、NHK特集で見てきた、あの時代を生きてきた人達の記憶からくるんだと思う。
しみじみ、久しぶりに色々と考えました。
庄司薫の「赤ずきんちゃん気をつけて」が文中にちらっと出てきて、思わずにやりとした。
この作品の「板倉さん」が、庄司薫的だったから、そこでもにやりとした。(残念ながら、タキちゃんは庄司薫なんて知らないんだが。)
さとうさとるの「誰も知らない小さな国」も思い出した。他にも、、、何だろう。ものすごく懐かしい。
せいたかさん、とか、あの時代の人達の雰囲気なんだよな。
そうだ、「ノンちゃん 雲にのる」だ。一番読後感が似ているのは。
最終章の静かな衝撃。それすらも、似ている。
「ノンちゃん雲にのる」は母親の愛読書で、その昔、本の少ない我が家の唯一の本棚に鎮座していた。
おいらは、小学生の頃、読めるものは手当たり次第に読んでいたので、手頃な本の大きさ(子供用の本の大きさだったんだ)と「お、これ、国語の教科書で読んだぞ!(犬のエスと、ノンちゃんの兄ちゃんの話)」という身近さから手にした。開けてみると予想に反してびっくりするほど小さい活字で、しかも挿絵がない。少々びびりながらも、内容はまぁ子どもが読むにちょうどいい内容だったので、(子供用にしては字が小さいなぁ)と思いながら読んだ。
「ノンちゃん雲にのる」は、優しく、怖く、哀しい物語だった。怖く、哀しい部分は、最終章だけなんだけど。子供心にショックだった。戦争のことはほとんど書いていないのに、どれだけ戦争が恐ろしく容赦のないものなのか、あの一行だけで、感じさせられ、ずっと心に残った。そんなすごい作品だった。(衝撃を受けたのは、十代に再読した時かもしれない。ちびっこ時代のおいらに、それほどの感受性はなかったと思うから。)
今回読んだ「小さいおうち」は、中年が読むには少々優しすぎる?印象があったが、やはり、優しさの奥の悲しみや苦しみを感じながら読んだ。タキちゃんの思いが、当時の人々の姿が、当時の東京が、鮮やかに、柔らかに、目の前に揺らめいた。
でも、健史(ヒロインの孫)よ。おまえ、現代っ子すぎやしないか。
おいら中年世代は、とてもおまえみたいなドライな孫にはなれねぇぜ。
ばあちゃんにつっこみいれるなんてよ。
おいらは、その時代を生きた人の感覚を否定することはできなかった。
自分自身がその場にいたら、同じことをしなかったとは、とても思えないから。
「そう」思った人に、「違う」なんて言えねぇよ。
というわけで、現代っ子健史の理知的な言動にびびりつつ、ひたすら「タキちゃん」と「時子奥様」、「恭一」くん、「旦那様」、「板倉さん」、「睦子さん」たちが織りなす昭和時代の場面に感情移入して読み進めたのでした。
よい作品だった。
あの不可思議なミステリーもよかったなぁ。色々と想像した。
「タキ」ちゃんの人生、「奥様」の人生、「恭一君」の人生、「板倉さん」の人生が、それぞれ、ずっしりと感じられた。
それをきちんと受け止めた健史は、まぁ、そこのところは、よく頑張ったな。(おいら偉そう(汗))
とてもよい読後感でした。山田洋次監督が、この作品をどんな風に「見せたい」のか、興味深いです。
そして、おいらはまだ「なぜナチスは原爆製造に失敗したか」を読んでいる。
読むたびにわくわくしてるのに、ちっとも進まないのはなぜだ。。。(読み始めると寝るからだ。。。)
年取ったら、とったなりに、もちっと分別が身につくといいのだが。
やれやれ。
崖っぷち。
そうそう、Cabin Pressureの作者、ジョン・フィネモア氏のブログを読みに行ったら、今回のシリーズ最終話(Yverdon-Les-Bains)について、ファンの反響が大きかったらしく、彼も崖っぷちのようだ(汗)。
おいら、全面的にフィネモア氏に賛同するけどね。特に最後のほう。
クリフハンガーについての彼の説明は、実に納得できるものだった。
確かに、泣きそうになったけど、それはUskertyも同じだ。
おいら、Uskertyの話、大好きなのだが、木登りシーンのカロリンとマーティンの会話のあまりの深刻さに、前後のギャグに笑いながらも、いつも泣き笑い状態になるのだ。最初聴いたときは、その後一週間(つまり、次の話を聴くまで)落ち込んでましたからね(あとでフィネモア氏の「(本編では省略された)金属探知機」の下りを読んで、救われた気になったものだ(なぜ「救われた」と思ったかは不明だが。)思うに、今後の展開や先に控える「お話の終わり」を考えて、とても悲しくなっていたのだと思う。
最終話は、それに匹敵する深いエンディングだったとは思うけど、決して「ひどい」とか「信じられない!」という内容とは違うと思う。愛に満ちていて、最後までぎゅっとつまった、とてもいいエンディングだった。
なーんで、あれにショックを受けて「ジョン・フィネモア○○××!」と叫ぶ「(自称)ファン」が出るのかな。
Uskertyでショック受けて以来ずっと鬱々考えてた身からすれば、最終話で結論出してくれて、むしろすっきりだぜ。
(しつこいおいらは、Uskerty聴いてすぐ、Qikiqtarjuaqを聞き直し、またUskertyを聴いては地味に落ち込んでいたのだ(苦笑))
しかも、マーティンが面接で自己主張したあげく、受かったんだぜ!(この辺、フィネモア氏の言葉を借りてるような言い方ですが、ほんと、同じこと思った。)
というわけで、Cabin Pressure聴いてる人が、こんなブログ読みにくるわけないとは思いますが、今一度主張しておこう。
Uskertyで(その後の展開を想像して)落ち込んだリスナーは、Yverdon-Les-Bainsで救われたんだ!あんな素敵なエンディングが他にあるか!!
ただし、ジョン・フィネモアさん、次の一話で大団円とか考えてたら、泣くで。もっと続けてや。(わがまま)
(だいたい、本人に伝えたかったら、英語で書け、ってことですな。)
調子に乗って書きすぎました。大人げないです。
反省しつつ、、、では、また。
懐かしい内容でした。昔どこかで読んだような・・・
その既視感はきっと、おいらの親とか祖母とか、NHK特集で見てきた、あの時代を生きてきた人達の記憶からくるんだと思う。
しみじみ、久しぶりに色々と考えました。
庄司薫の「赤ずきんちゃん気をつけて」が文中にちらっと出てきて、思わずにやりとした。
この作品の「板倉さん」が、庄司薫的だったから、そこでもにやりとした。(残念ながら、タキちゃんは庄司薫なんて知らないんだが。)
さとうさとるの「誰も知らない小さな国」も思い出した。他にも、、、何だろう。ものすごく懐かしい。
せいたかさん、とか、あの時代の人達の雰囲気なんだよな。
そうだ、「ノンちゃん 雲にのる」だ。一番読後感が似ているのは。
最終章の静かな衝撃。それすらも、似ている。
「ノンちゃん雲にのる」は母親の愛読書で、その昔、本の少ない我が家の唯一の本棚に鎮座していた。
おいらは、小学生の頃、読めるものは手当たり次第に読んでいたので、手頃な本の大きさ(子供用の本の大きさだったんだ)と「お、これ、国語の教科書で読んだぞ!(犬のエスと、ノンちゃんの兄ちゃんの話)」という身近さから手にした。開けてみると予想に反してびっくりするほど小さい活字で、しかも挿絵がない。少々びびりながらも、内容はまぁ子どもが読むにちょうどいい内容だったので、(子供用にしては字が小さいなぁ)と思いながら読んだ。
「ノンちゃん雲にのる」は、優しく、怖く、哀しい物語だった。怖く、哀しい部分は、最終章だけなんだけど。子供心にショックだった。戦争のことはほとんど書いていないのに、どれだけ戦争が恐ろしく容赦のないものなのか、あの一行だけで、感じさせられ、ずっと心に残った。そんなすごい作品だった。(衝撃を受けたのは、十代に再読した時かもしれない。ちびっこ時代のおいらに、それほどの感受性はなかったと思うから。)
今回読んだ「小さいおうち」は、中年が読むには少々優しすぎる?印象があったが、やはり、優しさの奥の悲しみや苦しみを感じながら読んだ。タキちゃんの思いが、当時の人々の姿が、当時の東京が、鮮やかに、柔らかに、目の前に揺らめいた。
でも、健史(ヒロインの孫)よ。おまえ、現代っ子すぎやしないか。
おいら中年世代は、とてもおまえみたいなドライな孫にはなれねぇぜ。
ばあちゃんにつっこみいれるなんてよ。
おいらは、その時代を生きた人の感覚を否定することはできなかった。
自分自身がその場にいたら、同じことをしなかったとは、とても思えないから。
「そう」思った人に、「違う」なんて言えねぇよ。
というわけで、現代っ子健史の理知的な言動にびびりつつ、ひたすら「タキちゃん」と「時子奥様」、「恭一」くん、「旦那様」、「板倉さん」、「睦子さん」たちが織りなす昭和時代の場面に感情移入して読み進めたのでした。
よい作品だった。
あの不可思議なミステリーもよかったなぁ。色々と想像した。
「タキ」ちゃんの人生、「奥様」の人生、「恭一君」の人生、「板倉さん」の人生が、それぞれ、ずっしりと感じられた。
それをきちんと受け止めた健史は、まぁ、そこのところは、よく頑張ったな。(おいら偉そう(汗))
とてもよい読後感でした。山田洋次監督が、この作品をどんな風に「見せたい」のか、興味深いです。
そして、おいらはまだ「なぜナチスは原爆製造に失敗したか」を読んでいる。
読むたびにわくわくしてるのに、ちっとも進まないのはなぜだ。。。(読み始めると寝るからだ。。。)
年取ったら、とったなりに、もちっと分別が身につくといいのだが。
やれやれ。
崖っぷち。
そうそう、Cabin Pressureの作者、ジョン・フィネモア氏のブログを読みに行ったら、今回のシリーズ最終話(Yverdon-Les-Bains)について、ファンの反響が大きかったらしく、彼も崖っぷちのようだ(汗)。
おいら、全面的にフィネモア氏に賛同するけどね。特に最後のほう。
クリフハンガーについての彼の説明は、実に納得できるものだった。
確かに、泣きそうになったけど、それはUskertyも同じだ。
おいら、Uskertyの話、大好きなのだが、木登りシーンのカロリンとマーティンの会話のあまりの深刻さに、前後のギャグに笑いながらも、いつも泣き笑い状態になるのだ。最初聴いたときは、その後一週間(つまり、次の話を聴くまで)落ち込んでましたからね(あとでフィネモア氏の「(本編では省略された)金属探知機」の下りを読んで、救われた気になったものだ(なぜ「救われた」と思ったかは不明だが。)思うに、今後の展開や先に控える「お話の終わり」を考えて、とても悲しくなっていたのだと思う。
最終話は、それに匹敵する深いエンディングだったとは思うけど、決して「ひどい」とか「信じられない!」という内容とは違うと思う。愛に満ちていて、最後までぎゅっとつまった、とてもいいエンディングだった。
なーんで、あれにショックを受けて「ジョン・フィネモア○○××!」と叫ぶ「(自称)ファン」が出るのかな。
Uskertyでショック受けて以来ずっと鬱々考えてた身からすれば、最終話で結論出してくれて、むしろすっきりだぜ。
(しつこいおいらは、Uskerty聴いてすぐ、Qikiqtarjuaqを聞き直し、またUskertyを聴いては地味に落ち込んでいたのだ(苦笑))
しかも、マーティンが面接で自己主張したあげく、受かったんだぜ!(この辺、フィネモア氏の言葉を借りてるような言い方ですが、ほんと、同じこと思った。)
というわけで、Cabin Pressure聴いてる人が、こんなブログ読みにくるわけないとは思いますが、今一度主張しておこう。
Uskertyで(その後の展開を想像して)落ち込んだリスナーは、Yverdon-Les-Bainsで救われたんだ!あんな素敵なエンディングが他にあるか!!
ただし、ジョン・フィネモアさん、次の一話で大団円とか考えてたら、泣くで。もっと続けてや。(わがまま)
(だいたい、本人に伝えたかったら、英語で書け、ってことですな。)
調子に乗って書きすぎました。大人げないです。
反省しつつ、、、では、また。