本日付の朝刊で広島、長崎での原爆被爆者に対するアンケート「わたしの訴え」の集計結果の記事を見ました。
意外だったのは「政府は「唯一の被爆国として」という言葉を平然として使うが、軽軽しく言ってほしくない」被爆時四才の女性の不満の声が聞かれたという記事を眼にしたことです。
私自身も日本は、「唯一の被爆国」だから平和のために何かをしなければいけないなどと良く言います。被爆者の方に対して余りに軽率だったと思い反省しました。重い現実を常用句のように使ってしまう危険性を感じました。
もう一つは四人に一人の方が「被爆を隠す」という現実をどのようにとらえたら良いのかわかりませんでした。被爆を隠されるのは世間から何かしらの差別を受けられているのだろうか?
そのあたりが記事からは読みとれませんでした。六十年たった今もなんの罪もない被爆者の方々が苦しんで見えるのを私達は忘れていけないと思います。
最近、憲法改正論議が盛んです。相手が戦争を仕掛けてきたら、今の憲法では対処できないので改正しようと声高々にいう政治家がいますが、今尚被爆で苦しんで見える方がいらっしゃるという事実を前提に武力には武力ではなく、政治力で他の国々と力を合わせ平和を保つよう努力すべきではないだろうか。今の政治家は安易な道をとろうとしており、またこれが世界の常識などと言っている。それがエスカレートすれば、日本も平和を保つために核開発しなければいけないという論法になるのではないか?日本の外務省も国連の常任理事国入りの運動にばかり力を注ぐのではなく、いかに平和を保つかを大国意外の国々ともコミュニケーションを図る地道な活動が重要ではないだろうか。