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中日新聞の「くらしの作文」に「煙を見つめて」というタイトルで、79歳の女性が投稿されていました。
風の吹く日の煙は、すぐに流され消えてゆく。
穏やかな日の煙は、かすかに戦(そよ)ぐ風に揺られ山の中へと吸い込まれていく。
何の物音もせず、かまどの中で赤々と燃える薪の爆(は)ぜる音だけがにぎやかだ。
今日は孫娘の成人式。
艶やかな晴れ着姿が楽しみである。
そのお祝いにと、お赤飯を作ることにした。
かまどの中へ薪を入れ、立ち上がる煙を見上げた。
これからを生きる孫たちの進む道も無事であってほしい。
煙に思いを乗せた。
かまどは50年ほど前のものだ。
ありがたいことにまだ十分使える。
何もかも便利な世の中になったが、手作りのお餅やお赤飯の味は、他の物には劣らないと、内心誇らしく思っている。
昨日からの準備、そして今日の仕事と、無駄なことは何もない。
時には田舎暮らしに涙したが、そのおかげで今の私があり、続けられることは山ほどある。
残念なことに私の父も母も、孫の晴れ姿を目にすることもなく黄泉の国へ旅立って久しい。
老いてゆく私がやれることは限られている。
孫たちの心に、ほんのわずかでも私の味が恋しいと思ってもらえたら、こんなに幸せなことはない。
白い煙はモクモクと立ち上がり、そしてふんわりと漂うその様に、私の心は満たされていた。
以上です。
今時かまどを使われる方がいるとは思いませんでした。
うちは私が幼稚園の頃まではかまどを使っていましたが、その後はガス釜に変わりました。
かまどに火をつけるのが大変でした。
まずは新聞紙や小枝を使って火を起こし、火が大きくなったら薪を入れて燃やします。
私もちょっとやった事がありますが、上手く火を起こせなかったような気がします。
>孫たちの心に、ほんのわずかでも私の味が恋しいと思ってもらえたら、こんなに幸せなことはない。
投稿者さんのことは、お孫さん達は忘れないと思います。
かまどで出来たご飯は、とても美味しいです。
今回は赤飯を炊かれましたね。
赤飯を頂いたお孫さん達は、そのおいしい味を忘れないと思います。
もうひとつの土曜日 (J.BOY/1986)/浜田省吾 【リメイク版】
朝起きると晴れて陽が射しています
息子のユニホームを外の物干しに出しました
今日は現場はゆっくりで家を10時頃出るそうです
休日だけど現場は動いているそうです
出勤のようです
なので女性との出会いがないのでしょう
今の時代は同僚と飲みにも行かないようですね
私の時代はフイリピンパブによく行きました
8時前に入店すると3000円で飲み放題でした
常連になると彼女に電話しパブが終わるころ店に迎えに行きドライブしました
早朝ドライブですね
真夜中遊びそしてモーテルに泊りました
懐かしいです かまどですか?
我が家は小学低学年までかまどで炊いていました
そしておこげが出来ると鰹節と醤油を入れておにぎりにしてくれました
美味しかったです
学校から帰るとそのおにぎりを焼いて焼きおにぎりにしてくれました
卵をスクランブルエッグにしておやつにでましたね
四季のくだもの、柿・栗・琵琶・ミカン・イチゴ・夏みか・イチジクなども植えてありました
我が家で食べるだけでした
当時は畑、庭には子供の食べる実のなる木が植えて有りました
姉は鶏の世話担当でしたので夕方小屋に入れていました
隣の畑の野菜も姉達が担当していました
野菜もつくり半自給自足の生活でした
焼き芋、焼きとうもろこしなども食べました
>朝起きると晴れて陽が射しています
息子のユニホームを外の物干しに出しました
今日は現場はゆっくりで家を10時頃出るそうです
休日だけど現場は動いているそうです
出勤のようです
なので女性との出会いがないのでしょう
今の時代は同僚と飲みにも行かないようですね
ご子息は現場作業が多いんですか?
そうだと女性と知り合うきっかけは少ないでしょうね。
今一番結婚が多いのは、マッチングアプリで知り合って交際し、同棲を得て、結婚に至る場合が一番多いようです。
私たちの場合は、会社で知り合って結婚する場合が多かったです。
私たちの上司 支店長はバカなのか考えが偏っているのか分かりませんが、採用の際 綺麗な子とブスな子が応募して来た時、必ずブスの子を選びました。😅
ブスの子の方が長く勤めてくれると思ったらしいです。
それで掃除のおばさんが、あそこの女の子はお化け屋敷と言ったそうです。
ブスばっかりでしたから。
それでもブスの中から、一番自分にあったと思う子と結婚していく男性社員が多かったです。
社員の為に綺麗な子を取れば良かったのに。
私は違いますよ😄
あるところに仲間と行って知り合いました。
>私の時代はフイリピンパブによく行きました
8時前に入店すると3000円で飲み放題でした
常連になると彼女に電話しパブが終わるころ店に迎えに行きドライブしました
早朝ドライブですね
真夜中遊びそしてモーテルに泊りました
ここで知り合った女性は結婚対象ではないですね。
ただの遊び相手では。
>我が家は小学低学年までかまどで炊いていました
そしておこげが出来ると鰹節と醤油を入れておにぎりにしてくれました
美味しかったです
学校から帰るとそのおにぎりを焼いて焼きおにぎりにしてくれました
卵をスクランブルエッグにしておやつにでましたね
四季のくだもの、柿・栗・琵琶・ミカン・イチゴ・夏みか・イチジクなども植えてありました
我が家で食べるだけでした
当時は畑、庭には子供の食べる実のなる木が植えて有りました
姉は鶏の世話担当でしたので夕方小屋に入れていました
隣の畑の野菜も姉達が担当していました
野菜もつくり半自給自足の生活でした
焼き芋、焼きとうもろこしなども食べました
かまどで炊くと、どうしてもおこげが出来ますよね。
そのおこげで焼きおにぎりを作って貰われたんだ。
さぞや美味しかったでしょうね。😄
スクランブルエッグも食べられたんだ。
そういえばスクランブルエッグやカツオ、桜でんぶんで弁当を作ってもらった事もありました。
>四季のくだもの、柿・栗・琵琶・ミカン・イチゴ・夏みか・イチジクなども植えてありました
我が家で食べるだけでした
果物をたくさん食べられましたね。
私は主にみかん、夏はスイカ、メロンと言われたマクワウリ。マクワウリは塩いっぱいかけて食べました。
こんな物、メロンなんてあり得ないと思いました。
私が物心ついた時には ガスの炊飯器でしたから・・・
それでも おこげは出来るので
亡き 父が おむすびにして ゴマ塩を振って食べさせてくれました
少し前に 釜飯セット なるものを購入したので
1合だけなら 炊けるようなので やってみましょう
ところで この方の文章を読ませて頂いて
この方は かなり 文才のある方だと感じました
まるで 小説を読んでいるようでしたから・・・