仏教では「人間は極善にも、極悪にもなれる」という大前提で物事を考えます。なので、極悪の生命に染まった相手も、対話によって、その人に元々備わっている極善の生命を引き出す事が出来る、と考えます。
その対話を「折伏(しゃくぶく)」と表現します。
折って伏せると書かれるので、相手をコテンパンにする事を、折伏だと勘違いする人がいますが、違います。
悪に染まった生命、誤った思想に染まって凝り固まっている考え方を「折って伏せる」、つまりその謝った考え方を止めさせて、
元々備わっている善なる生命、つまり正しい考え方を引き出させて「正気」にさせる事が「折伏」なのです。
但し、誤った思想に凝り固まった人間の心を正気に戻させるのは、世界で一番難しい事だ、とも説明されています。
ともあれ、公明党が、何故自民党と組むのか?と言う論難は、以上の説明で理解できると思いますが、
どの政治家も、元々は「国を良くしたい」「国民の生活を向上させたい」など、理想に燃えているのは同じだと思います。
やましい動機でなった人はいないでしょう。(そう期待しますが。)
だからこそ、創価学会員である公明党の政治家は、他党の政治家の元々持っている善性を引き出すつもりで、誰とでも、同じ志を持って共闘できる人と共闘して、国や、国民の生活を良くするように努力しているのです。
とはいえ、仏教では、人間の魔性を強く引き出すものは「権力」であるとも説明しています。
「権力の魔性」に魅入られた人間は、とてもタチが悪い。舛添のように多額の公費を私費として着服したりする事は「権力の魔性」に引きずり込まれた姿である、と説きます。
「権力の魔性」に魅入られた政治家は、最悪の場合、多くの人間を不幸のどん底に叩き落とす可能性があります。
その最たるものが侵略戦争でしょう。
創価学会は、初代、二代目、三代目の会長自体が戦争の被害者です。初代の牧口常三郎先生は不敬罪という軍国主義が作った馬鹿げた法律によって獄死。二代会長、戸田城聖先生も入獄し、それまでの事業は全て壊滅的な打撃を受けました。三代目会長の池田先生は青春を戦争で滅茶苦茶にされました。
だから戦争は絶対悪だ、と主張しています。
そう言う観点からいって、公明党がいる限り、与党になろうと、野党になろうと、日本を戦争に突入させる訳がないし、させないように、あの手この手を使うと信じています。
そういう意味でも、公明党は日本にとって大事な政党なのです。
だからこそ、創価学会員は選挙を頑張るのです。
多くの人に、何故、創価学会員は選挙運動をするのか、その根本の理念を知ってもらいたいと思います。