ウード奏者 松尾 賢 のブログ(アラディーン主宰者)

ウード奏者、ダラブッカ奏者、サズ奏者、歌手、アラブ、トルコのオリエンタル音楽演奏家・作曲家である松尾賢のブログ。

「高橋美香パレスチナ帰国報告会」後記

2013-12-11 22:51:49 | インポート
Dsc_0045_2

12月7日(土)は、「高橋美香パレスチナ帰国報告会」にて、松本泰子さんからの紹介で、ウードとダラブッカを演奏して参りました。

高橋美香さんは、想像した以上に明るく、素敵なエナジーを持った方でした。何でも、私がタブラクワイエサに居た時に見たことがあったそうで、美香さんも、「この人のこと、何処かで見たことがあるんだけど・・」と思っていたそうですw

さて、イベントは、時代を逆行しているパレスチナ分離壁に、平和理に抗議して来たバーセムの活動と、亡くなるまでのドキュメンタリー映画「グッバイ・バーセム」を上映した後、美香さんの、スライドを交えたトークが始まりました。

「グッバイ・バーセム」は短い映画でしたが、エネルギッシュにデモに参加し、イスラエル兵に平和を呼びかけ、みんなから愛されていたバーセムが、催涙弾を胸に打たれて苦しそうに息をして亡くなるシーンは、涙無しには見れませんでした。

恥ずかしながら、私は、現在、イスラエルの西岸地区で建設された分離壁の事を、このイベントに参加するまで全く知りませんでした。

私と同じく、知らない方に「分離壁」について簡単に説明すると、

2000年に起きた第2次インティファーダ(民衆蜂起)に対抗して、イスラエル側がパレスチナを再占領し、イスラエル西岸地区、つまり1949年に決められた停戦ラインから、内側に入り込む形で、パレスチナ人居住区からの「自爆テロ防止のため」分離壁を作ったそうで、その距離は700km以上に及ぶそうです。

分離壁は、現在では、ほぼ全てがコンクリート製になっており、その壁の上には高圧電流の鉄線がめぐらされ、まさしく刑務所の壁と言っていいと思います。

この分離壁によって、分離壁内側に住むパレスチナ人は、皆、生活が制限されており、ナチス・ドイツがユダヤ人を集めて生活させたゲットーの壁と同じく、多くのパレスチナ人を苦しめているそうです。

その、パレスチナ人居住区に何度も赴き、悲喜こもごもの現状を伝える美香さんの話は、明るい声ではありましたが、淡々と(そう私には聞こえた)響きました。

相当経済的に困っているにも拘らず、美香さんをもてなす為に、なけなしお金をはたいてくれて食事を作ってくれた難民のお母さん。拷問された為に重い病気になって寝たきりになり、つい最近亡くなってしまった、その旦那さん。その二人を支える為に働く4人の子供。亡くなってしまったお父さんの名前をつけられ、一族の希望となっている赤ちゃん等など・・。

もちろん、美香さんが話してくれたエピソードは、悲惨な現状も勿論ではありますが、再会した友人達との心温まる交流の話も多くあり、

聴きながら、2005年にカイロに滞在した時の懐かしい思い出や、人懐っこいエジプトの人々を、久しぶりに思い出しました。

ともあれ、今後、イスラエルに作られた分離壁がどうなっていくのかは分かりませんが、確実にいえる事は、ベルリンの壁と同じく、人間が作った憎悪と不信の壁は、必ず、平和と友好を求める人間によって打ち壊されるはずだ、と言うことです。

この相互不信の壁を壊すには、私と同じく、現状を知る人が世界中に増えていく事が重要なのだと思います。

そういう意味でも、このイベントに参加して本当に良かったと思いました。

主催の高山さん始め、スタッフの方々、美香さん、共演して頂いたDanae さん、演奏をじっと聞いて頂いた皆様、真にありがとうございました。

写真は、美香さんの著書です。是非、皆さんも読んで下さい。
http://www.miraisha.co.jp/np/isbn/9784624410919






最新の画像もっと見る