ウード奏者 松尾 賢 のブログ(アラディーン主宰者)

ウード奏者、ダラブッカ奏者、サズ奏者、歌手、アラブ、トルコのオリエンタル音楽演奏家・作曲家である松尾賢のブログ。

臨終只今に在り

2007-10-07 02:06:28 | 音楽
無事にマルマラ・カフェ vol.2 も終了しました!!

今回もやっぱりドタキャンが発生し、当日お越しくださった方々をお店側が「着席は無理です・・・。」と返したがために満員には到りませんでしたが、

まぁ、それはそれ、イーチャン、タニシュクの素晴らしいパフォーマンスに、皆大満足で帰っていきました。

いいですね、ベリーダンスって。

もともと結婚式などのお祝いで踊る「ハレの日のダンス」な訳ですから、皆幸せな気分に浸ることが出来ます。

それは、伴奏を勤めるミュージシャンとて同じです。

さて、いまだに悩んでいるウードの右手の位置。

ある所が解決すると、またあるところが問題になり、と、まるでイタチごっこのような展開で、ドツボにはまっていく気がして物凄いストレスなのですが、

また今回のライブでの失敗点から分かったことなどを分析してそれを還元したことによって、またある事が分かり・・、

時間が掛かるのだけど、一歩一歩着実に進むしかないようです。

世阿弥の「花伝書」という本には、「花」、つまり美しさは二通りあって、「時分の花(若さゆえの花、時とともに散る)」と、「まことの花(鍛えぬいた修行による美しさ、時とともに輝く)」を説いていますが、

その「まことの花」を咲かせるには、まず師匠が絶対に必要な訳ですが、それにも増して必要な事は、

強い意思と飽くなき努力しかないのだと思います。

また努力するに当たって大きな視点が必要だと思います。

「臨終只今に在り(りんじゅうただいまにあり)」とは仏教の用語ですが、文字通り読むと「死はすぐそこにある」ということですけども、

これは非常にポジティブな見方をした「死」への捉え方です。

つまり、「死」というひとつの人生の終了点は、ぼやぼやしているとあっという間に来るんだから、一瞬一瞬を悔いの無いよう大事に生きていこう!!

という胸中に燃え立つ太陽のような希望をもって自分の人生に挑戦していく姿を指すわけです。

ある人が「あなたは良く勝利、勝利って言うけど、それって勝ち負けにこだわること?」といわれた事がありますが、

私が言いたい「勝利」とは、己の弱さに対して打ち勝つ「勝利」です。

決して勝負事に対しての勝ち負けだけを指す「勝利」ではありません。

「臨終只今に在り」の精神で、1日1日を清清しく勝利していく、そこには、なんら卑屈な感情や他人を羨む嫉妬もない訳ですから、この精神で行きたいものです。

<script type="text/javascript"></script>


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする