イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

タラノメ採り

2021年03月17日 | Weblog
話は夕べから始まる・・・。
駅から家に向かう途中、空を見るとえらく曇っている。にわか雨があっても大したことがないという予報だったので多分降らないんじゃないかと高を括っていたが危なそうだ。ネクタイをしたままとりあえず家の中に回収して食事をしているとパラパラと降り出した。そのパラパラがどうやら本降りの様相を呈してきた。不精せずに取り込んでおいてよかった。すんでのところで台無しにしてしまうところであった。結局今日もワカメを採りに行けないとなると貴重なワカメになる。

そう、今がワカメの採り頃なのだ。しかし、風が強すぎて船を出せない。
もう少し海の様子を見てみようと高台に向かったがやっぱり風は強い。



もっと近付いてみようと思い、この磯がある一文字の際まで行ってみたがまったく水際まで近付くことができなくなっていた。



沖からは様変わりした姿を見ていたが、陸から見るのは初めてだ。えらいことになっている。東北地方によくある防潮堤のようだ。こんなことをしてしまっては海と親しむことができなくなってしまう。
唯一残っているすき間も大きなテトラで塞がれてしまっている。



なんということだ・・・。

ただ、何とかと煙は高いところが好きだというとおり、こういうところに来るとやたらと上りたくなる。



そして僕の1日はお昼前に終わってしまった・・。

この写真を撮った時刻からさかのぼること約5時間前、タラノメの様子を見に出かけていた。
僕のなかの基準日では4日後が採り頃なのだが今年は少し暖かい日が続いていたのでひょっとしてもう大丈夫なのではないだろうかと思い第2ポイントを目指した。僕が持っているポイントでは最大かつコンペティターがいない場所なのだが、どうも敵が現れたようだ・・。ポイントへの入り口にある木が盗られたあとだった。



10年以上前は確かに見えざる敵がいたのだが敵は没したかもしくは体力がなくなったかで僕が占有し続けていたのだが、3年ほど前から周りの木々が切り払われほぼむき出しの状態になってしまったので目をつけられたのかもしれない。
これは危ない。奥のほうはどうだろうかと心配しながら崖を登ったが、ここはまだ安泰だった。どうもコンペティターは足腰が弱いらしくここまでは登って来られないようだ。少し安心した。

予想していた通り、半分くらいの芽はかなり大きくなっていた。



採り頃のものだけを採り15分ほどで収穫を終える。



家に帰って一服して紀ノ川の土手にある木を再び見に行った。あれから3日。ここも採り頃になっていると思ったが芽を出していたのは前回置いておいた芽に加えてひとつだけであった。



日当たりがいいから第2ポイントよりも早いのかと思ったがこっちのほうが遅いようだ。
これでワカメも採りに行けていればいい1日だということになったのだが・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ワカメ採り

2021年03月14日 | Weblog
春に三日の晴はなし・・・。本当は一昨日にワカメを採りに行きたかったが翌日は雨模様だったのであきらめた。週間予報を見てみると日曜日からは晴天が3日ほどは続きそうだ。むりやり休日をとって準備をしたけれども朝から強風が吹いている・・・。なんとも・・・。

午前中の気圧配置は弱い冬型ということだがそれでもこんなに風が吹くものかというほど吹いている。



干潮時刻はお昼過ぎだがワカメを干す時間を考えるとお昼までには家に帰りたい。とりあえずダメ元で午前8時半ごろに家を出た。すぐに港に行っても間違いなく風が吹いているので前に見つけておいた紀ノ川の土手のタラノメを見に行く。ここは陽当たりがよいので少し早い目でも採ることができるかと思ったが、採りごろの芽はひとつだけであった。これでは天ぷらにもできないと思いそっと残しておく。ここはコンペティターがいっぱいいそうだからだれかにかすめ取られるかもしれないが仕方がない。



ここへ向かうまで、堤防を2キロくらい走るのだが風が強く帽子も吹き飛ばされそうになる。これでは絶対に船を出すことはできない。もっと時間を潰さねばと船の燃料補給や、叔父さんの家によって円卓会議に参加したりしてから港に行ったけれども風は強いままだ。

 

仕方がないので家に帰り図書館での用事を済ませもう少し風待ちをしてみることにした。なんとしても今日は採りに行きたい。気圧配置はすこしずつ高気圧が優勢になってくるはずだという期待もある。

午後1時半を期してもう一度港へ出発。港に到着してもまだ風は残っている。ええい、ままよ!とりあえず船を出そう。ダメなら引き返すのみ・・。

午前中に比べると少し風が弱くなったとはいえ港内は相変わらず波が立っている。ゆっくり船を進めて一文字の切れ目から外の様子をうかがってみると港内と同じような感じだ。これなら出ることができそうだと一気に双子島を目指す。島のそばまで近寄ってみるとなんとか錨を下せそうだ。風で船は流されるがなんとか作業はできる。



干潮時刻を過ぎてしまっているし、波が立っているので海底の様子はうかがえないがところどころに黒くなったところがワカメのありかだ。
カネを入れてみるといいサイズのワカメが巻き付いてくる。サイズがちょうどいいと嵩が小さくてうまく巻き付いてくれないのでなかなか数が採れない。でも、これくらいのサイズのほうが美味しいと個人的には思っているので文句を言わずにせっせと船に引き上げてゆく。それでも1時間くらいでランドリーバッグ2個分くらいを採ることができた。



このくらいの時刻になってやっと風が静かになってきた。



あと4時間ほど早く高気圧が来てくれればよかったのに、なんとも恨めしい。
この時点ですでに午後3時を回ってしまっている。まだ、家に帰って干す作業をしなければならない。全速力で港に戻り叔父さんの家に少しだけ放り込んで帰宅。
物干し竿の準備はすでにやっていたのでどんどん干してゆく。物干し竿4本分ちょうど。作業が終わったのは午後5時を過ぎてからだ。



日が暮れるとまったく乾燥してゆかないので最低まる2日は干し続けることになる。
金曜日までは雨が降らないということだから今回のワカメはけっこうきれいに干しあがるのかもしれない。
今年はあと2回、行きたいと思っている。成長が早くて採り頃の期間はわずかだ。なんとか雨の日をかいくぐって思っている量を確保したいと思っているのだが・・。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

加太沖釣行

2021年03月12日 | 2021釣り
場所:加太沖
条件:大潮 6:15満潮
潮流:6:32 上り3.1ノット最強 10:15転流
釣果:ハマチ4匹 ホウボウ1匹

今日は3ヶ月に1回、病院の整形外科に受診に行く日なのだけれども、昨日の予報では風もなく、雨が降り出す時刻も遅くなってきた。本当はワカメを採りに行ってそのあとに病院に行こうと思っていたのだが、数日前からの予報で雨が降るのはわかっていたのでおとなしく病院に行こうと思っていた。しかし、風も波もなくてとなるとそうは言っていられない。夜には雨が降ってくるのは確実なのでワカメは干せないが釣りには行ける。
この病院はついこの前、コロナ感染者のクラスターが発生したところなので用心して今は行かないほうがいいなどと日ごろほとんどマスクもしないわりに殊勝な言い訳を考えて釣りに行くことに決めた。
最後に見た予報では午前10時過ぎには雨が降ってくる。それでも潮が流れている時間帯はずっと釣りができるはずだ。

できるだけ早く出発しようと午前5時過ぎに家を出たけれども、あと10日ほどで春分となると夜明けは確実に早くなっている。



気温は高めだということで薄着をしてきたらかなり寒い。油断をしてしまった。

現地に行ってみての判断だが、今日はとにかく真鯛に的を絞って釣りをしようと考えている。サビキ仕掛けを封印してずっと高仕掛けでねばるつもりだ。
朝一は四国沖ポイントで様子を見ようと思っていたが船団は第1テッパンポイントにできていた。僕も船団の端のほうからスタート。



アタリは間もなく出た。真鯛でもなく青物でもない微妙な引きで上がってきたのはホウボウだった。40センチあまりの大きさだろうか、そこそこいい型だ。

おなじようなところを行ったりきたしてハマチを2匹追加。潮がゆるくなってきているので少しづつ北上する。ナカトシタと第1テッパンポイントの間くらいの場所まで流れてきたときにまたアタリ。小さなアタリがあって、そのあとの食い込みがなかったがなんだか違和感だけは残っている。試しに合わせてみると魚が乗った。すこし大きそうだ。今日のハリスは3.5号なので無理をせずにゆっくりやり取りをすると少し型のいいハマチが上がってきた。しかしこのハマチ、長さからするともっと引きそうなものだが意外とおとなしく上がってきた。そしてなんだかちょっと痩せている・・。

4匹目のハマチを釣り上げたころには潮はほぼ止まっていて船は北風に押されて南に向かって流されている。そして相変わらず寒い。予報では南寄りの風だとなっていたけれども終始北からの風が吹いている。それも午前9時半を過ぎたころからかなり強くなってきた。足元からも風が入ってくるしネックウォーマーも持ってこなかったので首回りも冷たい。これでは体も持たないと思い午前10時に終了。

ホウボウが釣れたので半身はワイン蒸しにしようと薬味用にノビルを採りに港の近くの山に行ってみた。



展望台のあった山の中腹に1か所、ノビルが生えている。昔よくタラノメを採りに入ったところだ。タラの木は荒らされてしまったがノビルは採る人もなく今でもちゃんと生えている。少し辛味のある味はいいアクセントになるかもしれない。

 

今日はなんだか変な天気だ。沖では相当寒かったけれども港に戻ると薄日が差してきた。カッパを着たまま帰り支度をしているとすぐに汗が出てくる。かと思うと、ワイン蒸しを作るためにワインやアサリを買うために港の近くのスーパーをはしごしていると雨が降り始めた。

 

ハマチの大きいほうの片身は刺身にしようと開いてみると、何やらグロテスクな虫が出てきた。生煮えの春雨を少し赤く染めたような形でゆっくりクネクネ動くさまがかなりグロテスクだ。引っ張るとズルズルっと出てきて、取り出した場所にはぽっかりと穴が開いている。たまに小さな虫が入っていることはあるけれども、こんなに大きなものを見たのははじめてだ。こういう時はSNSでつぶやいておくと答えを返してくれる人が必ずいる。これは通称、「ブリムシ」というそうだ。大きなハマチにはけっこう入っていることが多く、これが気持ち悪くて釣っても逃がして帰ってくる人もいるそうだ。
正式名称は、「ブリ糸状虫」というらしい。ネットで調べてみると一応無害で、アニサキスと違い万が一食べたとしても悶絶することはないそうだ。
それならばとほかにも入っていないか調べながら刺身にして家族には内緒で皿に盛りつけた。
目視ではおそらく大きいブリムシのほかに小さいのと細切れになったのと合計3匹見つけた。それを取り除くとやっぱり身の中にポッカリと穴が開いている。
刺身は普通のハマチの味がするのだが、こんな虫を見てしまっている僕だけはなんだか違う味がしていそうな感じがした。

そんな虫を抱えていては魚の元気がないはずだ。胃の中も空っぽだったところを見ると、哀れこのハマチは体が弱って食べるものも食べられずなんでもいいから食べ物が欲しいと僕が下したビニール片に食らいついてしまったのだろう。ハマチくんには申し訳ないことをしてしまった・・。

しかし、真鯛が釣れない。春先はなかなか釣れないというところではあるが、年が変わってからも全然釣れていない。真鯛はどうやったら釣れるのだろう・・。
暖かくなるまでに1匹は釣りたいものだ・・。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「文豪たちの悪口本」読了

2021年03月09日 | 2021読書
彩図社文芸部 「文豪たちの悪口本」読了

「人は心の中に思っていないことは口には出さない。」そう書いていたコラムニストがいた。ましてや文章にも書かないということになる。そうなると、この本に登場する文人たちは相当ひねくれた性格の人たちであるようだ。
元々、作家という人たちはステレオタイプな見方だろうけれども、自己破滅的、自己中心的そういった印象がある。とくに明治の終わりから昭和の初めにかけての作家たちというのはなかなかの人たちが揃っているような気がする。

おそらく、今ではコンプライアンス、ジェンダー、個人情報、何を取っても完全にアウトなことばかりが収録されている。
日記や手紙、これも作家たちもよもや今の時代まで人目に晒され続けると思って書いているわけではない(幾人かは後世に人目に触れると想定して書いていたということもあるらしいが。)からえげつないことを書くというのもあるけれども、雑誌や新聞の記事を通してバトルを繰り返す段になってくると、よくここまで他人の悪口を書いたものだとなってくる。
菊池寛と今東光のバトルもえげつないし、太宰治が文芸通信(文藝春秋社)に掲載している川端康成に対する非難はどう見てもひとりよがりだ。芥川賞が欲しくて仕方がない作家の悪口雑言を文藝春秋社の雑誌が掲載するというのも無法地帯だ・・。
その太宰治は自殺をする数日前まで志賀直哉への悪口雑言をしたためた原稿を書いていたそうだが、そんなエネルギーを持っている人が自殺なんてするもんなんだとなんだか感心してしまう。それにしても太宰治は誰にでも噛みつくひとだったようだ。
中原中也も太宰治に引けを取らないどうにもひどい人の双璧だったようだ。いろいろな人が迷惑を被っていたそうだ。酒癖の悪さと生活力のなさについては、今の時代に生きていたとすれば多分どうしようもないというところだろう。昔は生きてゆくにもそれほどお金が必要ではなく、人々も寛容であったということだろう。
そして、中原中也という人は、あの純真そうな写真とは裏腹の腹黒さには写真家の撮影能力がすごいのか人は見掛けで判断してはいけないという典型なのか、チキンなくせに誰かれなく食って掛かってくるなんて、絶対に友達ができない典型だろう。あの時代だから見捨てられずに生きて行けたのだからこの人はきっと幸せだったのだろうと思ったりしてしまう。(それほど長生きはしなかったそうだが、それも含めてきっと幸せだったのだろう。)

永井荷風の日記もすごい。そのタイトルは、「断腸亭日乗」というらしいが、国語の教科書や歴史の文学史には必ず出てくる人の割には人を人とも思わない書き方というのはどうなんだろう。こんなことが暴露されていて、今でも教科書に載っているのだろうか。この本では菊池寛ばかりを攻めている部分を抜き出しているがこの日記にはいろんな人の悪口も書かれているそうだ。そんなものを教科書に載せてもいいのだろうか・・。

宮武外骨というひとは、今でいうなら東スポみたいな雑誌を発行していたひとだそうだ。誰が成金だなどと下世話なことを書いては人気を博していたそうだが、多分、大した裏も取らずに書いていて、これも今ではすぐに裁判沙汰になってしまうような内容だ。
この時代は媒体も少なかったからこういったものが庶民の娯楽の中心を占めていたのだろうけれどもやはり寛容であったのだろうという感想しか出てこない。

今だにこんなことをやっている人たちはいるのだろうかと思いを巡らせると、そういえば、政治家の皆さんがいた。堂々と他人の悪口を言っているかと思ったら、日ごろのオイタが見つかって逆につるし上げを喰らったりっていうのは、まったくこの本の登場人物そのものだ。こういう人たちも生きづらいというのは、やっぱり今の時代は寛容という言葉が失われてしまった時代だということなのだろうなとつくづく思うのだ。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論」読了

2021年03月06日 | 2021読書
デヴィッド・グレーバー/著、 酒井 隆史/訳、芳賀 達彦 /訳、森田 和樹/訳 「ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論」読了


この本、というか、この言葉は最近けっこう流行っているそうだ。そして僕も、ああ、そういうのってあるよな、でもそれを言ってしまってはおしまいじゃないかとタジタジとなってしまった。
この本でいう、「ブルシット・ジョブ」とは、時間労働の中でただ、時間を浪費するためだけに作られた仕事という意味合いのものであるとわかる。

タイトルを読みながら、ああ、これは僕みたいな人間がやっている仕事のことじゃないだろうかと恐れを抱きながら読み始めたのだが、ちょっと違っていた。
確かに、僕がやっている仕事もどうだかと思うし、就業時間内で十分終わってしまう仕事だ。しかし、ホワイトカラーとしては、残った時間に何をするかで会社の中で重要視されるかどうかが決まってくるのだろうなと改めて思い直してしまった。
居眠りをしているんじゃなくて新しい企画の種を考えるとかエイギョウケイカクに役立つ指標を見つけ出すとかそういうことをやり続けなければならないのがホワイトカラーの仕事の仕方だ。ただ、そもそもの業務に対してブルシットの気持ちを持ってしまうとそういう意欲が湧いてこないし、これまでもそうだったが新しい提案をしても良いとも悪いとも、ここをこうすればいいのじゃないかとか何も言われたことが一度もないとなるとブルシットがブルシットとしか見えなくなる。そんなことをかれこれ30年以上も続けてきてここに至ったような気がする。特に、管理職というようなものになってからはもっとそういう気持ちが強くなってきた。

半端なことを考えずに、とにかく休日も出勤してデスクに座っておくというのがわが社でもついこの前までの成功の道のように見えていた。いやいや、そんな人たちも密かに名案を作り出して業績に貢献していたのかもしれないが・・。

この本は、なぜそういった仕事が生まれ、効率重視の世の中で消滅していかないのかということを考察している。

まず、この本でのブルシット・ジョブの定義は、被雇用者本人でさえ、その存在を正当化し難いほど完璧に無意味で不必要で有害でもある雇用の形態。そして、本人もそう思っていることが重要であるとされている。
部分的に仕事もあるが、この本では純粋なブルシット・ジョブを取り扱う。僕がやってきた仕事も、“部分的”なブルシット・ジョブであったのだろうと思う。

1930年、ケインズは20世紀までにテクノロジーの進歩により週15時間の労働が達成されるだろうと予測していた。しかし、実際はますます仕事の量は増えている。その仕事の大半は、ブルシット・ジョブ(くそどうでもいい仕事)であるというのが著者の見解だ。

テクノロジーが進歩し、すべての業務が効率的になってきたが、人間は仕事がなくなるのが困るので様々な無駄な仕事を作りだしてきたというのだ。そのほとんどは管理部門といわれる部分の仕事である。

時間の尺度が日の出から日没までを12等分していたころには時給というような概念はなかった。時間を売って日銭を稼ぐという感覚は当時の人々には奇妙に映ったに違いないという、時間というあいまいなものを売れるのか。そういう感覚だ。その頃は自分が作り出したものを売っていくらになるかということだけであった。その物を作り出すのに何時間かかったかということは関係なかった。
おそらく産業革命が始まったころになるのだろう。工場労働が始まると労働時間を賃金に引き換えるという形式がはじまる。それは、どんなに速く仕事を片付けても労働時間内は拘束されるという世界だ。その隙間にブルシット・ジョブが生まれてくる。

ブルシット・ジョブが生まれるきっかけはまだほかにもある。いくつかの例があがっている。その時間内である仕事が終わっても次にあてがわれる無駄な仕事、ある上司の見栄のために採用された秘書役や書類作成の代行などの役割、役所の書類作成のためだけの仕事などだが、それは日本人の僕が読んでいると、そんなことをするためだけの仕事ってあるの?と思うようなものも出てくるが、そんなことを思わなくても 僕のすぐそばにもいっぱいある。たとえば、メンバーがきちんと顧客に電話をし続けているかどうかを監視するためのシート作りや、エイギョウケイカクやフソクタイサク、ゲツマツウリアゲヨソウ・・。確かに管理部門の仕事が多そうだ。経費削減という大義名分だけで何の戦力にもならない人間をコンビニで働かせるというのも間違いなくブルシット・ジョブだったのだろう。
この本にもそっくりなことが書かれていて、時間つぶしに整然と整えられている陳列棚の商品をきちんと並べ直す仕事ってまさに僕がやっていたことにほかならなかった。

そして問題なのが、そういった仕事は無駄であるというだけでなく、人の心を蝕むというのだ。人の役に立っていないと思うこと、無駄なことをしているということだけで人は病を引き起こす。
これもアメリカの話なのだからだろうが、そういった人たちの中のいくらかは内職や別の暇つぶしを見つける。上司に見つからないように副業や趣味に時間を潰す。これもコンピューターの画面に向かって仕事をするようになった現代ならではということなのだろう、モニターに向かってキーボードを叩いていると仕事をしているのかまったく違うことをしているのか一見わからない。
著者の見解では、TwitterやFacebookなどのSNSがこれだけ広がったのはブルシット・ジョブが生み出した“暇”のせいだというのである。ある意味納得した。

こういうことをテーマにした本には、必ず、「ベーシックインカム」ということに触れた内容が入っている。この本もそうであったが、ベーシックインカムを導入することによって労働と生活を切り離すことができるというのがこの本の主張である。人は生きるために働かなくてもよくなるというのである。
財源をどうするかということまでは言及されていないけれども、ベーシックインカムで問題にされている、生きることに対する意欲がなくなるのじゃないかということや、暇を持て余して犯罪が増えるのじゃないかということに対しては、多少そういうことがあるかもしれないが、一説には労働の37%がブルシット・ジョブであるという大きな問題と比較して、犯罪や自殺が数パーセント増えたところでそれほど問題ではないだろうというのである。人を飢えさせないためだけにあるブルシット・ジョブに就いていた人たちもそれから解放され、そのせいで仕事がなくなってもベーシックインカムがるから大丈夫なのだ。ベーシックインカムに加えてささやかな収入を得たければブルシット・ジョブでない仕事(ケインズが予言した週15時間
で十分という部分の仕事)をすればいいのだというのだ。
また、基本インフラや少しのテクノロジーの進歩もなくなってしまうのではないかという懸念に対しては、絶対にボランティア精神でそういうことに貢献したい人たちが現れるという。人は誰かの役に立っていると思わないと生きてゆけないからだそうだ。確かにそう言われればそう思えてしまう。だからブルシット・ジョブに人々は苦悩するというところは論としては整合性があるように思う。

まあ、確かに、アホみたいな仕事をグダグダやってるのなら質素でもいいから小さな幸せを見つけるほうがよほど人間的であるとも思うのだ。特に歳をとるほどそういう思いが強くなってくる。僕にも誰か奇特な人がベーシックインカムを恵んでくれないかしら・・。
この本の構成は、様々な人々の体験談を挙げながらブルシット・ジョブが生まれた原因、弊害、その歴史などを説明している。しかし、それはどうも科学的なものではなく、感情論的なものであるように思う。事実、ブルシット・ジョブであることの条件として、自分がそう認識していることとある。
となると、五百羅漢像の中に自分の似姿を見つけるように、たくさんの体験談の中から自分と同じようなブルシット・ジョブを探しながら、自分だけがそうなのではないと安心をするためのだけの400ページだと言えなくない。
それじゃあ、ちょっと寂しいなとも思うのであった。

今度の異動先の仕事はブルシットなのか、それとも生産的なのか、どちらにしてもこの業種は社会貢献という面では全くクソどうでもいい業種だ。コロナでも大地震でもえいぎょうしていてもいなくても人々の生活にはまったく影響がない。
と、いうことは、あとは気持ちの問題である。完全に萎えてしまったモチベーションを復活させることはできるだろうか・・。
古来、人の役に立つ神聖な仕事はおカネに換算するということはタブーだとされてきた。だから人の役に立つ仕事ほど賃金が安いというのがどの国でも共通していることだそうだ。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

加太沖釣行

2021年03月04日 | 2021釣り
場所:加太沖
条件:中潮 9:23満潮
潮流:7:32転流 10:43 上り1.5ノット最強 13:30転流
釣果:サバ4匹 ガシラ1匹

今月は休日がまだ決まっていない。昨日になって急きょ今日が休みになった。しかし、自分の席もパソコンもないので明日の天気も潮もわからない。外を観てみると夕焼けがきれいなので明日もきっと天気がいいのだろうと釣行を決めた。



大概は仕事をしているふりをして次の休みの天気と潮流をチェックしてどうしようかな~。などとボ~っと考えているのだが、ここの職場では落ち着くまではこんな日々が続きそうだ。

夜明けから潮は上りだがそれほど速くはないようだ。そしてその通りで午後の転流時刻までほとんど潮が動かずに終わってしまった。

潮流が最強時刻を迎えるまではサビキをやってみてそこから真鯛を狙ってみようといういつものパターンを考えて出港した。
夜明けはどんどん早くなってきて油断をしていたら出港時刻には完全に明るくなってしまっていた。



真鯛狙いの場所に近いところをと考えて、四国沖ポイントからスタート。



潮流が止まっている時刻だからなのだろうか、まったくアタリがない。帝国軍はテッパンポイント辺りに集結している。ひょっとして真鯛が釣れているのだろうかと予定を切り上げて高仕掛けに変更して移動。



ここも潮がほとんど動いていなくてまったくアタリがない。まだ時刻は午前7時半を少し回ったところ。最強時刻を迎えるまでは3時間ある。このままでは真鯛が釣れるであろう時刻まで何にも釣れない恐れがあるかもしれないと再びサビキに仕掛けを変えて四国沖ポイントに戻った。これがよかったか、なんとかサバを1匹確保。
しかしここも次のアタリが出ない。この時刻くらいになると大和堆ポイントに船団ができ始めた。四国沖ポイントと大和堆ポイントは思っているよりも意外と近いのでダメ元で移動。



これも運よくここでサバを3匹確保。

最強時刻の30分前になったので予定通りテッパンポイントに移動。この時刻には帝国軍はどこかへ散らばって行ってしまっていたが自分の勘を信じて釣りを続けるがダメだ。少しづつ北上を開始したところやっとアタリが出た。



魚が掛かっているようだがなんだか変だ。鯛でもないしアジサバでもない、ただ微妙に何かが引っかかっているという感じで上がってきたのはガシラだった。高仕掛けでガシラが掛かって来るとはなかなか珍しい。というか、鯛が来なくてガシラが来るというのは、水温も低いのかという感じなのだろう。
どんどん北上してナカトを過ぎてカメガサキまでやって来てしまった。



ここでもアタリがなく、お昼も過ぎたのでここで終了とした。
が、帰り道、ナカトシタで魚の反応が頻繁に出ていたので泣きの1回仕掛けを流したがやはりダメ。
午後1時まで頑張ったが、釣果は午前9時半までで終わってしまった。

釣りをしている間はけっこう北風が吹いていたが帰投するくらいからその風も穏やかなものに変わってきた。



今日の夕飯のメニューをどうしようかと考えるのだが、夕べ赤ワインを1本開けたので最初は〆サバとサバサンドだと思ったが、ワカメが採れたらサバと一緒にしゃぶしゃぶができるぞと考えた。幸いにして今は干潮時刻に近づいている。
そうするとガシラも一緒に鍋に入れることができる。
港に戻って小船に乗り換え一路ワカメポイントを目指す。
前回の調査の時は小さな芽だけが見えるだけであったが半月で食べることができるほどに大きくなっていた。

今夜はワカメとサバのしゃぶしゃぶと〆サバでとっておきのお酒の封を開けて味わった。
この食卓に真鯛の刺身がないのが寂しいが、次のお楽しみとしておこう。

  
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする