ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

貧乏暇無し街道まっしぐら!

2011年11月09日 | ひとりごと
この土曜日の、生徒達の発表会に向けて、最後のレッスンが続いてる。
もうちょっと心配な生徒が若干名、なんとか間に合わせようと、今週だけ二回来る人もいる。

プログラム作成や挨拶文、まだ全然手つかずのまま。
日本滞在の準備に至っては、ほんまに行く気あんのか?ぐらい全然手つかずのまま。
家の中を掃除したり、台所をピカピカに磨いたりする時間はあるのに……。

土曜日の発表会の最後に、再演奏を買って出てくれたサラと、カーネギーの曲を再演する。
その練習もせなあかんやん自分!!
彼女へのお礼は、手作りの日本料理。
そのための買いもんと準備もせなあかんやん自分!!

今回の日本行きは、母のめでたい喜寿の祝い。
そやし、母のそばでできるだけ長いこと居て、四方山話に耳を傾けようと思てる。
今年の夏の経済状況がかなりキツかったので、いつも楽しんでる『JRパス』をあきらめた。
なので、新幹線乗り放題、とかいうお楽しみは今回無し。
近所の国際空港から成田経由で、中部国際空港に着き、そこから三重県の田舎に直行する。

来年こそは、できたら夏に、こちらの仕事も空いてる時に、旦那とふたりで、ゆるりゆるりと旅ができるようにがんばっぞぉ~!!

と、毎年のように気合いを入れる旦那とわたしなのであった……現実はキビシィ~!



気分直しに、うちの窓から見える紅葉シリーズ。

まずは居間から。


同じく居間のおっきな方の窓から。桜のポンちゃん、黄金色に変身してる!


ピアノの部屋から。


台所から。



こないだの雪嵐が堪えたのか、やっぱり例年よりは控え目な紅葉。
それでも、やっぱり自然はすばらしい!
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一日も早く『原発国民投票』を実現させよう!

2011年11月09日 | 日本とわたし


原発、
いつ、やめるのか、

それとも
いつ、再開するのか。

それを決めるのは、

電力会社でも
役所でも
政治家でもなくて、

私たち
国民一人一人。


通販生活 秋冬号の
巻頭特集は、
原発国民投票




通販生活!がんばれ!
日本の大人!がんばれ!
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50才以上は汚染食品を食べるべきか否か?

2011年11月09日 | 日本とわたし
(必見)9月13日大阪、「小出裕章氏が語る福島原発事故の核心」と「50歳以上は汚染食品を食べるべきか」という、ゆたろんさんのブログの記事から引用させていただきました。



あの原発事故が起こってからずっと、毎日毎日、一日も欠かさず、原発事故関連の記事を読み、動画を観、自分の意見を話してきました。
この事故が起こって初めて、広瀬氏や小出氏をはじめとする、原発というものを何十年も監視し、原発村の企みをなんとか阻止しようとしては挫折を繰り返しながらも、それでも志と生き方を変えなかった方々の存在を知りました。
原発というものが、多くの村や町を札束で買収し、利権漬けにしながら増やされていったこと、
ほんの一部の地域を除いて、反対しようとどうしようと、どうしてもそこに建てられてしまう物だという、わたしのような外部の人間の安易なあきらめが、実は原発村を支えていたこと、
いちいち書き連ねることができないほどに多くのことを、やっとこの年になって、あんな悲惨な事故が起こって初めて知りました。

小出氏の、長年に渡る原子力との関わりと研究、そして学びは、本当に尊敬に値するものであり、反骨の持続を支える人間としての強さには感銘を受けました。
彼の一言一言にうなづきながら、これまで彼の話を聞いてきました。
ところがここにきて、たったひとつの点だけ、どうしてもうなづけないことが出てきました。
そのことを、非常にわかりやすく、簡潔にまとめられたものが、このゆたろんさんのブログに載せられていたのです。


以下は、小出氏の、『私の願い』についての話です。

『私の願いと書きましたが、私の願いはこうです。
『子供を被曝させない』ということが第一です。そしてもう一つあります。
それは、
『1次産業を守る』ということです。

この二つのことをどうしたら実現できるか?ということを考えてきて、私は、提案があって、それをこれまで発言してきたわけです。
まず、子供を被曝から守らなければならない理由というのは、かなり単純です。
一つは、子供は放射線の感受性が高い、ということです。
私は先ほど、生き物というのは、大変不思議なものだといいましたけれども、
DNAというものを複製するという、間違いなく複製するということで、生き物というものが成り立っているわけで、
複製する細胞分裂を起こしている、その器官に傷をつけられてしまうと、どんどん傷が拡大していくといことになって、被害が大きくなるわけで、
細胞分裂がしなくなるような大人というのは、不活発になる大人は、ほとんど危険が無くなる、ということになるわけです。
ですから、放射線の感受性の高い子供というものは、やはり守らなければいけないということが、私の根拠の一つです。
そして、何よりもですが、子供には、原子力を選択した責任がありません。
今日、この場に居るのは、そこそこの大人の方で、選挙権も持っているわけだし、
どういう政治を作るか、どういう社会を作るかと、それなりに発言権もあっただろうと思われる方々がいるわけで、
そういう私を含めた大人というものが、今日の原子力をここまで許してきたわけだし、事故も許してきた。
汚染も許してきた責任がある、と思うわけですが、子供に関しては一切そんな責任がないんです。
何としても、彼らに危険を負わせるということは、避けたい
と私は思います。

そして、ちょっとだけ言っておきますけど、子供の放射線の感受性というのは、大変高いと私は思います。
30歳という人の放射線の感受性。
これはちょっと理解がなかなか難しいかもしれませんが、1万人シーベルト当たりのガン指数という、そういう評価基準です。
1万人シーベルトというのは、1人が1シーベルト被曝をした人を1万人集めてくれば、合計の被曝量が1万人シーベルト、そういう意味です。
もし、一人一人が、0.1シーベルトしか被曝をしていなければ、逆に人数は10万人集めてこなければいけないという、そういう単位ですが、
そうすると、そのうち3855人が、ガンで死にます。30歳の人であれば。
そして、これは、ごくごく平均的な人間の危険度、というのが30歳の人です。

今日この会場は、ほとんど30歳以上の方が多いように見えますが、30歳の方が居れば、ごく平均な方だと思っていただければと思います。
そして、年を取るだけ、生命体としての活動はどんどん衰えていくわけで、細胞分裂なんかもうしないわけですね。
体が大きくならないし、むしろどんどん小さくなっていく。年を取ればとるだけ。
そういうことになるわけで、放射線に対する感受性は、どんどん鈍くなってきます。
55歳を過ぎれば、もう平均的な人に比べて、ほぼ100分の1です。
私はすでに60歳を超えてますので、もうほとんど危険はない、というくらいの感受性しかなくなっているわけですね。
逆に、子供のほうに行くにしたがって、感受性はどんどん上がっていきます。
ゼロ歳の赤ん坊というのは、平均的な人に比べたら、4倍も5倍も危険だという。
そして彼らには、原子力に関する何の責任もないですから、何としても守りたいというのが、私の根拠です。

さて、1mSvの被曝をした人が1万人集まった場合のガン死者についてお話します。
1mSvというのは、皆さん判っていただけると思いますけれども、普通の皆さんが1年間に許されるというか、これ以上は被曝をするなよ、と言って決められたのが、1mSvです。
それで、そういう基準をあてはめられた人が、1万人集まれば、日本の政府が言っていても、1人はガンで死ぬと。
私が信頼している米国の医師Gofmanさん、その方の放射線の危険度の評価によると、4人が死ぬと。
1mSvでも、危険が無いということではない。
「1年間に1mSvの被爆をしていれば、1万人に1人、或いは1万人に4人はガンで死ぬよ。でも、それはこういう社会を維持するためには諦めろ」
という、そういう基準なんです。
安全でも安心でも大丈夫でもない。
危険はある、ということは判っている。
「子供の場合には、それが4倍、或いは5倍近くになりますよ。それを諦めるしかない」
というのが、法律の定めだった
わけです。

次に、1次産業を私が守りたい、という理由ですけれども、
原子力という、今私たちがどっぷり浸かってきてしまったものは、エネルギー浪費社会の象徴だ、と私は思っています。
とにかく、エネルギーを使えば豊かになれるというふうに、日本と言う国がなってきてしまった、その象徴が、私は原子力だと思っています。
そして、そういうエネルギー浪費社会というのは、持続可能ではありません。
絶対にいつか破綻するという、そういうものです。

資源という面からも、かならずそうなるし、環境破壊という意味でも、必ずそうなります。
ですから、エネルギー浪費社会というのを、どこかで断ち切らなければいけない、と私は思っていますし、
そのためには、原子力を止めるしかないし、そうなら、1次産業をもっと大事にするという、そういう社会に変えなければいけないと思っていますので、
今日、今の福島のように、原子力による事故が起きたときに、1次産業をより壊滅させていく、というような選択は、絶対にとってはいけない!
こうなったからこそ、むしろ、1次産業を守らなければいけない、ということが、私の願いの一つです。

こういう時に、国がやろうとしているのは何か?というと、
『まず基準を決めます。
例えば、1㎏あたり500ベクレルという暫定基準が今、牛肉なら牛肉の暫定基準を決めます。
そして、それを超えたものは排除して、市場に流通させない。だから安全です』
と言うんですね。そして、
『基準以下のものはもともと安全ですから、勝手に流通させます』
と言っているんですね。
その結果、
『放射能の問題は、もう日本には何もありません。原子力はこれからもやりましょう』
と、そういう論理の組み立てを、日本の政府はしている
わけです。

私は、それは正しくないと思います。
例えば、1㎏あたり499ベクレルの汚染があったとすれば、それはそれで危険なんです。
仮に400ベクレルだって危険だし、300ベクレルだって危険だし、100ベクレルだって危険だ。
もっと言ってしまえば、10ベクレルなら10ベクレルの危険がある、ということなんです。
国がやっていることは、ほんとうにインチキだ、と私は思います。
そういう時に、私がさっき願った、子供の被曝を守る、そして1次産業を守る、というためには、どういうことをすればいいかというと、
まず、強制的に今避難させられている地域があるんですが、私は避難させなければいけないと思うけれども、そこの1次産業は必ず崩壊します。
要するに、村自身、町自身が無くなってしまうわけですから、もう何もできない、崩壊すると思います。
大変残念ですけど、なるだろうと思います。

次に今現在、強制的に避難させられていないというところでも、ものすごい被曝をしていて、
私はそこの人たちも、逃がしたいと思っていますけれども、国はそうしない。
そこでも、汚染した食料が多分、これからもできてくるというときに、そこで少なくとも、そこで踏みとどまて生産してくれる人たちが居る限りは、その食べ物は捨ててはいけないと私は思う……のです。
そういうところで生産したものは、汚染されています。
その汚染されたものは、誰にも食べさせたくない、と私は思うし、普通の方はみんなそう思う。
そういうものは、東京電力に買い取らせて、補償させろ、と言うんですね。
じゃ、東京電力は、買い取った食べ物をどうするかというと、捨てるんです。
でも、東京電力に買い取らせて捨てる、ということを判っている食べ物というものを、農業者や酪農業者が作ることができると思いますか?皆さん。
捨てちゃうために、自分がモノを作れるでしょうか?
私は、それはできないと思う。
それなら、きちっと流通させるということを、やはり受け止めるしかないということを私は思っているのです。
議論はあるだろう、と覚悟しています。
私はもちろん、放射能を食べたくないし、誰にも食べさせたくありません。
でも、汚染したものは東電に買い取らせろ、というのであれば、汚染していないものっていうのはあるのか?と逆に問いたい、と私は思う。
でも、汚染していないものなんて、もう無いんです。
福島の事故が起きてしまった以上は、程度の違いがあっても、すべて汚染しているんです。
500じゃない。
400かもしれない。
300かもしれない。
100かもしれない。
10かもしれない。
でも、日本中、或いは世界中、全部福島の放射能で、汚れているのです。
どこかで基準を決めるなんてやり方は、日本の政府はやっているけれども、そんな基準の決め方はインチキです。
すべてが危険だ、と思うしかない
んです。
そうなれば、汚れていないものと、仮にどこかで線を引いたとしても、引いた線以下の汚染の食べ物に、私たちは向き合わなければいけない。
どんなことをしても、そうなります。
そうなったときに必要なことは、東電に汚染したものだけを買い取らせる、ということを求めるのではなくて、
どういう食べ物がどれだけ汚染している、ということを、東電に、それをしっかりと測定して、みんなに知らせろと要求することのほうが、私は大切だと思います。
そして、その上で、私たちが向き合う
ということです。

一つ目の目標を実現する、つまり、子供を守るための手段というのは、これは比較的簡単です。
今聞いていただいたように、東電に、食品の汚染を徹底的に調べさせる。
そしてその上で、汚染の度合いごとに、60禁、50禁、40禁というように、仕分けをしていって、
子供には汚染の低いものを与えると、それはどういうことかというと、汚染の高いものは大人が食べる
、ということです。
何度も聞いていただいてますけれども、被曝をするということは、必ず危険があります。
安全だとか、安心だとか、大丈夫だとか、そういう言葉は、決して使ってはいけません。

被曝が多ければ危険度も多い。
被曝が少なくなってくれば、危険も下がってくるわけで、
国のほうの推進派の学者ですけれども、あるところよりもっと少ない被曝は『容認できるレベルだ』というふうなことを、原子力を推進している人たちが言っているのですけれども、
容認できるなんてことを私は国に決めてほしくない

「どこまでの汚染なら容認できるか?」
「引き受けることができるか?」
と、ただただそれだけのことです

ですから、国は、500ベクレルなら500ベクレルと決めて、あとはみんな容認しろ、と言ってくるわけですけれども、
私はそんなことを国に決めてもらう筋合いはない
、と思います。
何度も聞いていただいていますけれども、放射線の感受性は、歳ごとに違うんだし、責任の度合いも違うのです。
容認できるかどうかというのは、大変個人的な判断によるだろう、と私は思います。
自分に加えられる危害を容認できるか?
或いは、罪のない人々に、いわれのない危害を加えることを見過ごすかは、誰かに決めてもらうのではなく、一人一人が決めるべきこと
だ、と私は思います。
皆さんも、こういう覚悟を決めて、これから放射能の汚染に向き合っていってほしい、と思います。

蛇足ですけれども、ちょっと言っておくならば、責任の度合いに応じて、汚染食品を食べろと、私は言っているわけですから、
皆さんのような大人に対しても、そう言っていますし、
もっと言うなら、東電の社員食堂は、猛烈な汚染食料で作ってほしいと思うし、
国会議員の議員会館もそうだし、経産省の食堂も猛烈な汚染食品でこれから維持する、
そういうようなことを踏まえて、汚染の分担を覚悟して生きるべき
だ、というのが、私の主張
です』



きっと彼はもう、長年の研究と調査を経て、この地球がどれだけ放射能で汚染されてしもてるか、その現実をつぶさに見てるんやろう。
そやから、今更なにをギャーギャー騒いでるねん、という気持ちもあるんかもしれん。
ほんで、汚染されとうないという、わたしみたいな自分勝手でナイーブな大人を、呆れて見てはるんかもしれん。
彼の、一次産業を守りたいという気持ち。
それはわたしも心から同感やねん。
大きな政府より小さな政府。大きな店より小さな店。
地元に密着した、生産者や飼育者、もしくは捕獲者の顔が見える食べ物。
その一次産業が蔑ろにされるような国はきっと、いつか崩壊する、と思てるねん。
けど、彼の言う『そこで少なくとも、そこで踏みとどまって生産してくれる人たちが居る限りは、その食べ物は捨ててはいけないと私は思う』には、どうしても賛成できひん。
そこに踏みとどまっても生産したらあかんねん。
実際、農家の人の中には、もうここでは作りとうない思てはる人がいはるねん。
ほんまは作りとうないけど、そうかというて他の場所で作らせてもらえへんし、なんもせんかったら収入も無い。
そんなんでイヤイヤ、渋々作って、出荷しても二束三文、なんの儲けにもならんと、毒まき散らしたみたいなこと言われてる人がいんねん。
どんな理由があろうと、そんな食べもん市場に流したらあかんねん。
いくら40禁50禁60禁なんていう規則作ったかて、どうせ金のあるもんが安全なんどんどん買い占めしてしもて、
子どもであろうが若者であろうが妊婦であろうが、汚染されまくったもん食べなあかん羽目に陥るのは我々市井の市民やねん。
『東電に、食品の汚染を徹底的に調べさせる。
そしてその上で、汚染の度合いごとに、60禁、50禁、40禁というように、仕分けをしていって、子供には汚染の低いものを与える』
それこそが絵空事やとわたしには思えるねん。
汚染の数値が正確に表示される日がいつか来るんかもしれんけど、放射線の感受性と責任の度合いで、食べたらあかんもんがどんどん増えてくる。
食べてもええけど、それはものすごく汚染されてる。
それが実年の我々の運命やと。
そうしてでも、福島の、避難せんと居残ってる一次産業従事者を守らなあかんと。

なんでわたしらも、自分の死に方を選んだらあかんのか?
この事故を起こした責任を、そういう形でとらなあかんのか?
今もわたしにはようわからん。
利己主義なんか、まだこの事故の真の現実をわかってないからか、それとも意気地なしなんか、
もうちょっと考えなあかん。
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除染→数年後健康障害発症→失職→国は無視して『棄民』扱い→『除染キャンペーン』の成れの果て

2011年11月09日 | 日本とわたし
とても危険!除染作業での内部被曝を避けよう

ここで何回も紹介させていただいている『カレイドスコープ』のダンディ・ハリマオさんの記事です。

除染作業員50万人のうち2万人が死亡して、20万人が放射能障害に苦しんでいる、という現実

チェルノブイリ原発事故から25年経った今も、現地では除染活動が続いています。

当局は、ウクライナとベラルーシの国境にまたがる半径30km圏内を立入禁止区域にしました。
現在は、約3500人の除染スタッフが毎日この圏内に入ってきて、事故現場の監視や除染、警備を行っています。

除染作業は、最低でもあと50年間は続けられることになっています。
気の遠くなるような話ですが、日本でも、これから本格的な除染作業が始まります。
何年も何十年も、それは続けられます。


チェルノブイリの遺産

チェルノブイリでは、多くの除染作業員が動員されました。
そして、新たな内部被曝の悲劇が、ここから始まったのです。

この動画の、08:40からご覧ください。


除染作業員には、何年も何十年も経ってから健康障害が顕れ、仕事もできず、国からの十分な補償もなく、数年後には「棄民」扱いになっているのです。

まだ、若いのに容貌は老人のように衰え、自分で動こうという気力も萎えてしまっています。

チェルノリブイリでは、放射線障害の恐ろしさなど何も知らされないまま、軍人や警察官が、除染活動に投入されました。
爆発直後の、こうした作業員は全員、まもなく亡くなったのですが、
次の段階の除染作業に担ぎ出された人々は、ガンや、放射線による内臓の機能障害、脳神経障害に今も悩まされ続けて入ます。

その数は、軍の発表によれば、
「50万人の除染作業員のうちのほとんどが何らかの症状を訴え、病院に通っていたが、やがて早い時期に2万人が死亡、20万人が今でも障害に苦しんでいる」。

残りの約30万人の人たちにも不安は残ります。

(公式発表では犠牲者は59人ということにされてしまっていますが、現場作業員50万人と避難した13万人に対して調査を行ったことがないので、実際は2万人以上と言われています)。

チェルノブイリでも福島と同じく、初期の段階でIAEAが介入してきて、「心配ない、ただちに健康被害はない」を繰り返したのです。
日本では、猪八戒・枝野という、どこかの考えなしの男が、この役目を引き受け、数百万人の日本人、外国人を被曝させました。
IAEAは、そういう組織であることを、くれぐれも承知しておく必要があります。




チェルノブイリ原発事故(原子炉の爆発)が起きたのは、1986年4月26日。
この写真が撮影されたのは、1986年8月。約4ヵ月後のことでした。
この除染作業で、大勢の人たちが亡くなっていったのです。

フクシマとチェルノブイリとは、線量が違う?
ところが、福島は場所によってチェルノブイリ以上の汚染スポットが見つかっています。

8月30日に、文部科学省が福島県の「放射線量等分布マップ」を発表しました。

セシウム134とセシウムウム137の汚染度マップがあります。
セシウム134の物理学的半減期は2.06年(約2年)、セシウム137の物理学的半減期は約30年です。

ここでは半減期の長いセシウム137の土壌汚染度マップを見てみます。
下の画像です。


下は見やすいように一部を拡大して切り取ったものです。


赤丸は測定したポイントで、3000K(キロ)ベクレル以上。
つまり、1平方メートル当たり300万ベクレル以上のセシウム137がある、ということです。

国会の質疑応答でも、よく使われるこの汚染マップを作成した群馬大学の早川由紀夫教授が、三改版を作成しました。


その早川教授によると、福島第一原発から放出されたセシウムに関して、134と137は、ほぼ等量ということなので、
ここでは細かい計算はせずに、セシウム137のマップで、赤丸(300万ベクレル/m2)のところは、大雑把に、その倍であると考えればいいと思います。

チェルノブイリでは、セシウム134は、ほとんど放出されず、大部分がセシウム137であったということですから、両方を比べてみるといいと思います。

その比較マップが下です。

早川教授のブログ「フクシマとチェルノブイリの比較」より

一目瞭然です。
福島県には、「濃縮された“チェルノブイリ地帯”」があるのです。

チェルノブイリの居住禁止区域は、1平方メートル当たり148万ベクレル以上。
厳戒管理区域(強制的移住区域)は、1平方メートル当たり55.5万ベクレル以上ですが、
飯館村、大熊町では、チェレルブイリと同等か、それ以上に汚染された地域が見つかりました。

東日本大震災:土壌汚染マップ作製 セシウム蓄積、福島・大熊町で最高値

最も高かったのは、原発がある大熊町で、土壌1平方メートル当たり1545万ベクレル。
これはセシウム137だけの値ですから、セシウム134とあわせると、そのほぼ倍。3000万ベクレル。
度肝を抜かれるように数値です。

その他、南相馬市と富岡、大熊、双葉、浪江の各町、飯舘村の6市町村34地点で、
チェルノブイリ原発事故の居住禁止区域基準の148万ベクレルを超えているといいます。

それでも福島の子供たちが流出しないように、しばりつけている一群の人間たちがいます。
佐藤雄平と山下俊一が、本当は何を計画しているか、ほとんどの人は気づいていません。
それは、書くことも憚かるような、恐ろしいことなのです。
それは“フクシマのABCC”のことです。

こんな場所に、子供たちをしばりつけているような国はありません。

5年後に、この犯罪が、どれほど規模の大きなものか、やっと分るのです。
佐藤雄平と山下俊一が法廷に送られても、そのときは手遅れ。
喜ぶのは、歴史上、もっとも大規模な人体実験のデータが取れると、小躍りしている山下俊一や、影で糸を引いている佐藤雄平のような人間だけです。

私たちが、どのようにして被曝させられたか、3月のことを忘れてはならない

日本の福島第一原発周辺でも、9月から本格的な除染活動が始まろうとしています。
にもかかわらず、テレビは、除染活動の危険性については、何も報じないのです。

このブログでは、3月13日の早い時間に、ヨウ素131の被曝について書きました。
12日に原子炉が爆発したというのに、子供の放射性ヨウ素被曝の危険性については、マスコミ各社のうち、ただの一社も報道しなかったのです。
政府などは、おくびにも出しませんでした。

これは大変なことになる、と已むに已まれず、記事をアップしたのですが、案の定、「そんなに煽るな」というメールが数通来ました。
なんと愚かなことに、水素爆発が続いていた初期の頃は、日本人が日本人を被曝させるお手伝いをしていたのです。

記事をアップした翌日に、専門の薬剤師の方から、ヨウ化カリウムの取り扱いについて、注意すべき点を教えていただいたので、捕捉説明を加えたのです。

その後は、13日、14日、15日と、まさにシビア・アクシデントの様相を呈していったのです
そんなとき、テレビのキャスター、アナウンサーたちは何と言っていたか、思い出してください。

「それほど心配することはありませんので、みなさん冷静に対処してください」。
いったい、何を冷静に対処しろというのでしょうか。
テレビを始めとするマスメディア自体が、誤報を撒き散らしておきながら。

そして、こうしたキャスターの隣に座っている補佐役の女子アナは、
「ネットの情報は正しくありません。政府の情報が正しいので、そうした情報に惑わされないでください」と早口でまくしたてるように言っていました。

さらには、御用学者ばかり出演させて、ホウレンソウはどんどん食べてください、人体への健康被害はありません、と繰り返していたのです。
これを信じた人たちは、少なからずいたことでしょう。
内部被曝しました。

連日、こうしたことを繰り返していた、宮根誠司のワイドショーは、本当に罪が重いのです。
しかし、これだけ人の命を左右するような大嘘を、毎日言い続けておきながら、視聴者には「誤報でした」の一言もないのです。
これが、日本のテレビの現状です。

こんな「人殺し情報」を連日、流しておいて、こうしたキャスター、アナウンサー連中は、事態の深刻さが分ってくると、
今度は一転して、「政府、東電は情報を出さない」と、打倒・菅直人内閣キャンペーンを展開したのです。

連日、大量の「デマ」を流し続けたのは政府であり、マスコミでした。
ネットだけが、正しい情報を知らせてくれたのです。
このことは、決して忘れないでください。

彼らマスコミ、特に電波マスコミの人々は、何も分析できないし、何も想像できないし、何も自分の頭で考えることのできない人々ですから、これからも何度も何度も同じことを繰り返すはずです。
そうしたマスコミの垂れ流す「人殺し情報」から身を守るために、このことは、どうしても必要なことです。

さて、ドジョウくん総理・野田が、どんな組閣をやるか分りませんが、
原発担当大臣(今日現在は細野豪志)が、9月からの「ステップⅡ」に向けて、福島第一原発周辺で、本格的な除染作業に取り掛かることを発表しました。

もう、この人には本当に困ったものですが、プロパガンダと化したテレビは、これから除染作業の映像を何度も流すことでしょう。
その前に、テレビは除染作業の危険性について、報道する必要があるのです。
まったく、やっていません。

これは、3月13日に、ヨウ素被曝のことを書いた時点の状況と似ています。
マスメディアには、「視聴者にとって、危険性があるかどうかを感じ取るセンサー」がないのです。
新聞記者上がりの老獪コメンテーターの、まるで飼われた動物のような情けない顔は、彼らの自己欺瞞がつくりだしたものなのです。

このままでは、多かれ少なかれ安易な除染作業で、再び内部被曝する人が大勢出ます。

ここに、以前は、
南相馬市の教育委員会『速やかに学校も再開する』と、宮城県最南端の丸森町『住民が通学路周辺の除染作業』のふたつのユーチューブ動画が載っていました。
そして今、それが削除され、観られなくなっています。
こういうことこそが、今の日本の醜くて愚かしい実態だと思います。
こんなことをして、こんなふうに騙して、さらに市民の命を蔑ろにし、苦しみを与えている人間が、この真っ暗な動画の後ろに隠れているのです。


なんと、ボランティアの人の中には、マスクさえしていない人がいます。
一応、除染作業に入る前に、簡単なブリーフィングのようなことはやったとは思いますが、
一番、肝心な場面でマスクを取ってしまったのでしょうか、着けていない人がいます。

こういう場合は、ご近所同士、和気藹々はダメで、作業する人たちが危険な行為をした場合には、厳しく指摘できるような、除染ディレクターのような人を置くことが大切だと思います。



これは、高圧洗浄機を使って、自宅を洗い流している場面ですが、お父さん(それとも業者かな?)はマスク、ゴーグル、放射線防護服まで着用して、ほぼ完璧ないでたちですが、なんと近くで子供が見ています。

もしプロを自負する業者なら、子供に家の中に入るように促して欲しいし、この動画を撮影しているのが、お父さんなら、
「あなたは自分のお子さんに内部被曝させているかもしれませんよ」と言ってあげたいものです。

高圧洗浄機の水で、網戸や外壁に付着した放射性物質が舞い上がっているはずです。
呼吸から放射性物質を肺に取り込んでしまいます。

作業中は、子供は家の中に入れて、外に出さないことが大事です。
また、作業が終っても、数分間は、舞い上がった放射性物質が周辺に漂っていますから、これが地面に完全に落ちるまで家の中にいないと危険です。

庭の隅っこに子供の遊び道具が見えますが、これにも放射性物質が付着してしまいます。
そして、芝生には濃縮されていきます。

後になって、庭の土を削り取らないと危険です。
屋根の除染は、特に危険です。
除染は、まるで設計図を描くように、事後の始末をどうするかまで考慮に入れて、行う必要があるかもしれません。
また、風の強い日は避けたほうがいいことは言うまでもありません。

福島県で一般向けの除染マニュアルを公開しています。
ホームページから、生活空間における放射線量低減対策についての項目を選んで、ダウンロードしてください。

その他、山田國廣・京都精華大学教授も、とても親切な除染マニュアルをアップしています。

ご近所でもやっているし、テレビでも紹介していたので、気軽にできそうな感じですが、とても危険です。
どうしても、ご家庭で除染を行なわなければならない場合は、くれぐれも内部被曝をしないよう細心の注意を払ってください。



わたしは専門家でも科学者でもない、ただの一介のピアノ弾きやけど、
この8ヶ月間、毎日毎日いろんなものを読んで、何が正しそうで、何が間違ってそうなことか、それに勘づけるようになってきた。
この『除染しましょうキャンペーン』は、国民殺しキャンペーン。
アウシュビッツに匹敵する、けども非常に緩やかな大量殺人計画。
この計画を作った人間は多分、罪を問われんまま逃げられると思てる。
わたしは、世界中の、できたら宇宙からも加えて、超能力者というものがもしいるんなら、そいつらをとことん痛めつけて、死ぬ一秒前までもがき苦しめて欲しいと、腹の底から思う。
簡単には死なさへんで。
役職のリコールぐらいで済むと思てんのやったら大間違いや。
そいつらのせいで苦しんで、死んでいった人らそれぞれの分を、たっぷり味わせな意味あらへん。


追記

報道カメラマン冨田きよむ氏の写真とつぶやき


10月28日。福島市南向台小学校前にて。
除染作業員は線量を知らされていなくて、線量管理もまったくしていなかった。
不安に思った作業員は、「ココどのくらいありますか?」と聞いた。

作業員のはがしている芝生は、補正値で1.65μSv/h。
歩道の上約1mでは同じく2.1μSv/h。
ここで、マスクなしで作業させていいのだろうか、という疑問がわき上がった。
除染といっても、最終処分の方法が決まっていないのだ。
放射性物質を、A地点からB地点に移すだけのことだ。
問題は何も解決などしない。
いわんや、ボランティアに除染させるなど言語道断である。
コメント
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