時差が無いってすばらしい!
頭はちょっとボケてますけど、生きてます、血尿もすっかり止まりました!
あんな記事書いてご心配かけてすんませんでした。
自分でもかなりヤバいと思てたので、つい……。
母の家のパソコン事情が進化しており、ただいまひとりの時間もとれたので、ちょいと昨日の飛行機の中で書き留めていたことをここに載せときます。
昨日の夕方に突然やってきた膀胱炎。
ずっと無茶をしてきた自分の自信過剰が原因。
なので腹が立った。
モールから急いで家に戻った時にはもう、立派で重症な膀胱炎で、おしっこがしたくてたまらないのに少ししか出なくて、
最初っから最後まで、焼けるような痛みがつきまとい、出てくるのは真っ赤な液体と血の塊……めげた……。
まるで、60度の坂道を転げ落ちるように体調が悪くなり、疲労困憊を絵に描いたような哀れな自分の姿に、ぶったまげるやらムカつくやら。
我が家の赤ひげ鍼師から、飲めと言われた漢方薬を飲み、白湯をがぶ飲みし、焼けるような痛みを堪えながらトイレに通った。
けれども、残念なことに、血尿は一向に改善せず、楽観をモットーにしている我々の脳みそにも、さすがにキャンセルという言葉が浮かび始めた。
下腹に力が入らないし、頭も朦朧としている。
前々から、今度もし日本に行く時には持って行こうと思っていたお土産を、とりあえずあちこちから寄せ集めた。もちろん包装なんてされていない。
機内持ち込みで手軽く行こうなどと思っていたが、100ミリ以上の液体は許可されていないことを思い出し、結局はデカいカバンに変え、そこに、そこらへんにあた洋服や下着を放り込んだ。
なぜかいつもよりもメチャクチャ早くパッキングが終わり、旦那がびっくりしていた。
その日は最後の最後まで立派な血尿だったので、もし翌朝起きて、それでもまだ続いていたら、その時はキャンセルしようと決心して寝た。
夜中に一度だけ起きてトイレに行った。
まだ血がしっかり出ていた。
手のひらを膀胱のところに当てて祈った
そして自分の体に謝った。
途中、少し熱が出てき寒気がした後、今度は暑くて仕方がなかった。
闘っているんだなあ……などと思いながら軽く眠った。
早朝、目覚ましが鳴る前に目が覚めてトイレに行った。
痛みがまだ残っていたので恐々下を覗いてみたら、なんと、血尿は止まっていた!
体はまだまだ疲れていたけれど、とりあえず空港まで行ってみることにした。
うちから数分歩いた所から、空港行きのバスが、毎時15分おきに出ていて、しかも2ドル!
けれども、今回は旦那に送ってもらった。
というわけで、とりあえず無事に、コンチネンタル航空の飛行機に乗った。
1時間以上も遅れて出発したけれど、なかなかに良い乗り心地の飛行機。
今回、わたしは自分が被ばくしていることを考えながら乗っている。
あと1時間で着くらしい。
今回ほどトイレに通った旅は無い。
トイレ近くの席の人たちはきっと、えらい頻尿な女だなと思ったに違いない。
甘いものは食べてはだめ!と旦那から言われていたのに、おやつに配られたハーゲンダッツのアイスクリームを我慢できなくて食べてしまった……。
けれども後はひたすら、緑茶オンリーで頑張っている。
さあ、到着まであと1時間を切った。
飛行経路と日本地図の画面を見ている。
前はあんなふうに成田に向かっただろうか……沿岸から離れた所を南下し、成田が近づいたところで急に直角に右折して向かっている。
つい先日、夏に日本に帰省した友人と話している時に、彼女が「わたしは放射能なんて全く気にしない」と、何度もきっぱりと言い切っていたことを思い出している。
彼女は、関東より北に実家がある人だ。
出発前に1時間半遅れた飛行機は、さらに成田空港がとても混んでいるからと、空港上空をグルグルと旋回し、やっと上陸できた時には、次の名古屋までの便が出る時間だった。
もう間に合うはずがないと思いつつ、係員に尋ねると、「カウンターに行って、満員でない飛行機を探してください」と笑顔で言われた……。
予定便は4:45分、代替便は6:15分。
残っている席は、三人掛けの真ん中にひとつ、それと通路側にひとつだけ。
今日はトイレの事情があるので、迷わず「通路側にしてください」と言うと、
「実はこの席は、非常口のすぐそばにあるので、もしもの時は乗員の手助けをしてもらわなくてはならないので、年齢を聞かせて欲しい」と言われた。
年齢は立派だが、非常時に手助けができるような者ではない」ときっぱり言ったが、また笑顔でかわされてしまった……。
なにも起こりませんように。
わたしが絡むと、普通で済むことでもややっこしくなりがちなんだから……。
空港の外に出て、バスで小型飛行機まで行く。
マスクをしているのはわたしと、あと、若い女性のみ。
席に着くや否や、搭乗員からにこやかな歓迎を受け、注意事項を手渡された。
1.非常用扉が搭乗員によって完全に開かれるまで、他のお客様を制止する。
2.機外が安全であることを確認し、他のお客様を非常口から出られるよう誘導する。
3.後ろの方におられるお客様を、速やかに避難できるよう促す。
って……わたしもお客様なんやけど……ほんで、なんも訓練受けてへんねんけど……。
15日の母の誕生日に合わせて帰り、美味しいものを一緒に食べながらお祝いしようと思っていたのに、やっぱりなんかけったいなことになってしまった。
ふう~これが一日目……先が思いやられる。
セントレアに着いたのが7時半。
なかなか出てこない荷物を手にしたのが7時45分。
津行きの高速船が出ている波止場までの長い通路を全力で走り、切符を買って、公衆電話から間に合ったことを母に連絡し、高速船に乗ったのがギリギリの7時55分。
この行き方はすごく便利!
わたしの日本行を知ったH師匠が、旅行前日の夜に教えてくださった。
津在住の師匠は、「セントレアから亀山に行くなら、僕が津新港まで迎えに行ってあげる」と申し出てくださったのだった。
今回は母の誕生日当日に戻るので、ありがたくお気持ちだけをいただくことにしたのだけど、このアイディアはわたしにとってすごく助けになった。
さて、これが第一日目。
写真も撮ったが、パソコンにつなげるコードを忘れた。
また後で少しずつ。
日本に降り立ち、成田空港の「おかえりなさい」の文字を読んだ時、胸がぐっと詰まった。
この、以前となにも変わらない日本に実際に身を置いてみると、みんなが言っている難しさがわかるような気がした。
マスクをしている人などひとりもいない。
見た目が平常の中、見えない異常を気にして生きることの難しさは、わたしが考えている以上のものだ。
自分では人の立場に立って、一所懸命考えてものを言っているつもりだったけれど、まだまだわかっていないのだと痛感した。
これから2週間、といっても関西だけど、みんなのことを思いながら過ごそうと思う。
頭はちょっとボケてますけど、生きてます、血尿もすっかり止まりました!
あんな記事書いてご心配かけてすんませんでした。
自分でもかなりヤバいと思てたので、つい……。
母の家のパソコン事情が進化しており、ただいまひとりの時間もとれたので、ちょいと昨日の飛行機の中で書き留めていたことをここに載せときます。
昨日の夕方に突然やってきた膀胱炎。
ずっと無茶をしてきた自分の自信過剰が原因。
なので腹が立った。
モールから急いで家に戻った時にはもう、立派で重症な膀胱炎で、おしっこがしたくてたまらないのに少ししか出なくて、
最初っから最後まで、焼けるような痛みがつきまとい、出てくるのは真っ赤な液体と血の塊……めげた……。
まるで、60度の坂道を転げ落ちるように体調が悪くなり、疲労困憊を絵に描いたような哀れな自分の姿に、ぶったまげるやらムカつくやら。
我が家の赤ひげ鍼師から、飲めと言われた漢方薬を飲み、白湯をがぶ飲みし、焼けるような痛みを堪えながらトイレに通った。
けれども、残念なことに、血尿は一向に改善せず、楽観をモットーにしている我々の脳みそにも、さすがにキャンセルという言葉が浮かび始めた。
下腹に力が入らないし、頭も朦朧としている。
前々から、今度もし日本に行く時には持って行こうと思っていたお土産を、とりあえずあちこちから寄せ集めた。もちろん包装なんてされていない。
機内持ち込みで手軽く行こうなどと思っていたが、100ミリ以上の液体は許可されていないことを思い出し、結局はデカいカバンに変え、そこに、そこらへんにあた洋服や下着を放り込んだ。
なぜかいつもよりもメチャクチャ早くパッキングが終わり、旦那がびっくりしていた。
その日は最後の最後まで立派な血尿だったので、もし翌朝起きて、それでもまだ続いていたら、その時はキャンセルしようと決心して寝た。
夜中に一度だけ起きてトイレに行った。
まだ血がしっかり出ていた。
手のひらを膀胱のところに当てて祈った
そして自分の体に謝った。
途中、少し熱が出てき寒気がした後、今度は暑くて仕方がなかった。
闘っているんだなあ……などと思いながら軽く眠った。
早朝、目覚ましが鳴る前に目が覚めてトイレに行った。
痛みがまだ残っていたので恐々下を覗いてみたら、なんと、血尿は止まっていた!
体はまだまだ疲れていたけれど、とりあえず空港まで行ってみることにした。
うちから数分歩いた所から、空港行きのバスが、毎時15分おきに出ていて、しかも2ドル!
けれども、今回は旦那に送ってもらった。
というわけで、とりあえず無事に、コンチネンタル航空の飛行機に乗った。
1時間以上も遅れて出発したけれど、なかなかに良い乗り心地の飛行機。
今回、わたしは自分が被ばくしていることを考えながら乗っている。
あと1時間で着くらしい。
今回ほどトイレに通った旅は無い。
トイレ近くの席の人たちはきっと、えらい頻尿な女だなと思ったに違いない。
甘いものは食べてはだめ!と旦那から言われていたのに、おやつに配られたハーゲンダッツのアイスクリームを我慢できなくて食べてしまった……。
けれども後はひたすら、緑茶オンリーで頑張っている。
さあ、到着まであと1時間を切った。
飛行経路と日本地図の画面を見ている。
前はあんなふうに成田に向かっただろうか……沿岸から離れた所を南下し、成田が近づいたところで急に直角に右折して向かっている。
つい先日、夏に日本に帰省した友人と話している時に、彼女が「わたしは放射能なんて全く気にしない」と、何度もきっぱりと言い切っていたことを思い出している。
彼女は、関東より北に実家がある人だ。
出発前に1時間半遅れた飛行機は、さらに成田空港がとても混んでいるからと、空港上空をグルグルと旋回し、やっと上陸できた時には、次の名古屋までの便が出る時間だった。
もう間に合うはずがないと思いつつ、係員に尋ねると、「カウンターに行って、満員でない飛行機を探してください」と笑顔で言われた……。
予定便は4:45分、代替便は6:15分。
残っている席は、三人掛けの真ん中にひとつ、それと通路側にひとつだけ。
今日はトイレの事情があるので、迷わず「通路側にしてください」と言うと、
「実はこの席は、非常口のすぐそばにあるので、もしもの時は乗員の手助けをしてもらわなくてはならないので、年齢を聞かせて欲しい」と言われた。
年齢は立派だが、非常時に手助けができるような者ではない」ときっぱり言ったが、また笑顔でかわされてしまった……。
なにも起こりませんように。
わたしが絡むと、普通で済むことでもややっこしくなりがちなんだから……。
空港の外に出て、バスで小型飛行機まで行く。
マスクをしているのはわたしと、あと、若い女性のみ。
席に着くや否や、搭乗員からにこやかな歓迎を受け、注意事項を手渡された。
1.非常用扉が搭乗員によって完全に開かれるまで、他のお客様を制止する。
2.機外が安全であることを確認し、他のお客様を非常口から出られるよう誘導する。
3.後ろの方におられるお客様を、速やかに避難できるよう促す。
って……わたしもお客様なんやけど……ほんで、なんも訓練受けてへんねんけど……。
15日の母の誕生日に合わせて帰り、美味しいものを一緒に食べながらお祝いしようと思っていたのに、やっぱりなんかけったいなことになってしまった。
ふう~これが一日目……先が思いやられる。
セントレアに着いたのが7時半。
なかなか出てこない荷物を手にしたのが7時45分。
津行きの高速船が出ている波止場までの長い通路を全力で走り、切符を買って、公衆電話から間に合ったことを母に連絡し、高速船に乗ったのがギリギリの7時55分。
この行き方はすごく便利!
わたしの日本行を知ったH師匠が、旅行前日の夜に教えてくださった。
津在住の師匠は、「セントレアから亀山に行くなら、僕が津新港まで迎えに行ってあげる」と申し出てくださったのだった。
今回は母の誕生日当日に戻るので、ありがたくお気持ちだけをいただくことにしたのだけど、このアイディアはわたしにとってすごく助けになった。
さて、これが第一日目。
写真も撮ったが、パソコンにつなげるコードを忘れた。
また後で少しずつ。
日本に降り立ち、成田空港の「おかえりなさい」の文字を読んだ時、胸がぐっと詰まった。
この、以前となにも変わらない日本に実際に身を置いてみると、みんなが言っている難しさがわかるような気がした。
マスクをしている人などひとりもいない。
見た目が平常の中、見えない異常を気にして生きることの難しさは、わたしが考えている以上のものだ。
自分では人の立場に立って、一所懸命考えてものを言っているつもりだったけれど、まだまだわかっていないのだと痛感した。
これから2週間、といっても関西だけど、みんなのことを思いながら過ごそうと思う。