コーラスの伴奏者としての、ダリルとの仕事が終わった。
ダリルは、今月末で退職する。
実は、彼は、そのことを全く望んでいない。
彼は、今から18年前に、隣町にある、なにがしかの障害を持つ生徒たちのための高等学校の、音楽教師として採用された。
それからというもの、毎年、学年末とクリスマス前に行われるコンサートは、多様なコーラスの曲とユーモアたっぷりの演劇で、観客を沸かせることになった。
そう、彼は、音楽全般を教えるだけでなく、おもしろ可笑しいセリフが満載の、短い劇の脚本を書くこともできるのだ。
そんな彼の目に止まり、伴奏者として雇われることになったのは、今から11年前のことだった。
丁度その頃、わたしは、高慢で態度が悪い子たちが多い、ある私学の中学校の、コーラスの伴奏を引き受けていた。
指揮をしていた音楽教師が産休に入ったので、その間の代講を引き受けたのが、彼の奥さんのテリーだった。
もちろん中には、歌うことが好きで、練習に参加していた子もいた。
けれども、いったい何がしたくてここに来ているんだ?と、肩を掴んで問い質したいような子が多過ぎた。
その子たちは、わたしと同い年ぐらいの、そして少し太ったテリーを、からかいの標的にした。
産休に入った音楽教師は美人で、スタイルも良かったから、彼らはそのことでも比べて、ひどいことを言ったりした。
練習中に、もう我慢できないと、鍵盤を両手の平でバンッ!と打ちたい衝動に何度もかられたけれど、そのたびに、テリーは目で、「気にしないで、わたしは大丈夫」と言った。
テリーは、気持ちを込めて歌うことにこだわったけれど、もともと歌う気の無い生徒たちに、そんなことが通じるわけもなく、
けれども、少なくとも、彼女とわたしは、良質の音楽を作り上げていこうという気持ちで強くつながっていた。
わたしはそのことに集中し、他のことには目を瞑ることにした。
そうでないと、本当に、気がどうにかなってしまいそうだった。
前の教師が戻ってきたら、その、良質の音楽を作り上げていこうということも不可能になる。
彼女はとりあえず、コンサートの舞台に彼らを立たせたという、既成事実を作れさえしたらよかった。
それ以外のことはどうでもよかったから、表現や響きの組み立て、それからテンポのことなどで、わたしに無茶な注文をすることが多かった。
そして観客の親たちのほとんどは、とても金持ちで、自分の子の歌が終わったら、演奏途中でも平気で席から立って帰って行った。
やめたいなあ…と、心底思っていた。
でも、当時はまだ、夫は鍼灸の勉強をしていて、生活がとても不安定だったし、上の息子の大学への進学も直前に迫っていたから、臨時収入を断つなんてことは、到底無理だとあきらめていた。
そんなところに現れたのが、テリーの夫、ダリルだった。
テリーから、とても良い伴奏者がいると散々聞かされて、どれどれと、コンサートを聴きに来たのだった。
初対面で突然、「1分1ドルで雇うから、こんなとこにいないで、僕の学校に来てくれ」と言われ、面食らったが、
テリーもそのコンサートを最後に、学校を去ることになっていたので、二つ返事で引き受けた。
それからの11年間。
まさか、こんなに長くやることになるとは思っていなかったけれど、あっという間だった、という気もする。
わたしたちがコンビを組んでいる間に、校長が2度替わり、それと共に、ダリルはどんどんと孤立していった。
経営上の問題や、カリキュラムを組む上での意見の相違など、いろんなことが原因になったとは思うけれど、
コンサートが近づいても、練習に現れない、現れても途中で退席しなければならないという生徒が増えて、ダリルはいつも、頭のてっぺんから湯気を出して怒っていた。
それが年々、特にここ数年はひどくなってきていた。
学校との軋轢がどんどん深まってきた頃、彼は突然、パートで働くように言われた。
契約は1月から12月までの1年ごとに行われ、だから今回の辞職宣告は、まだ契約期間半ばのことだった。
わたしは、そのことに関しては何も役に立てないのだから、せめて最後のコンサートとして、気持ち良く指揮ができるよう努めたいと思った。
ダリルは、本当に楽しそうに、そして生徒たちも、いつも以上に、素晴らしい声とハーモニーを聴かせてくれた。
演劇では、休んだ生徒の替わりをダリルが演じて、その可笑しさに、会場から笑いが何度も起こった。
彼自身の、歌とギター演奏もあった。
最後の舞台を楽しんでいる(ように見える)彼を、わたしはただただ見守っていた。
コンサートの締めくくりに、今年の3月に突然亡くなった、アシスタントでダリルに散々こき使われていたジョナサンのために、彼が一番好きだった歌を歌った。
何人かの生徒たちは、こらえきれずに泣いていた。
彼が亡くなった時、学校が何もしなかったことを、ダリルはとても残念に思っていた。
コンサートやコンクールがあるたびに、生徒たちのパート練習を受け持ち、リハーサル中も当日も、雑用係としていろんな協力をしてくれたジョナサン。
彼自身、とても深いバリトンの声の持ち主だったから、練習中はよく、生徒たちと一緒に歌っていた。
ダリルが、コンサートの最後に、メモリアルスピーチをするということを知り、何もしなかった学校は慌てた。
それで急遽、学校の片隅に花壇を作り、彼の名前をつけることにした、ということを、スピーチの中で言って欲しいと言ってきたのだそうだ。
そのことにも、ダリルはプンプン怒っていた。
いずれにせよ、もうこれでここともお別れだなと、本番前の緊張と共に、感慨にふけっていたら、突如、校長と総務課長がふたり、わたしの前に立っていた。
「なんでしょう?」
「あなたの住所と電話番号、念のために教えてもらえるかしら?」
「いいですけど…」
「知ってるとは思うけど、ダリルは今学期で退職します。でも、まうみには、伴奏者として残ってもらいたいので」
え…。
この臨時収入は大きかったので、失うことをちょっぴり残念に思っていたけれど、
それよりもう来年は還暦を迎えることだし、少しはゆっくりした方が良いかもと、楽しみにしてもいたので、この予定外の展開に驚いていると、
「新しい仕事ゲットだな」と、ちょっぴりイヤミな言い方で、ダリルが耳打ちしてきた。
ごめんねダリル。
でも現実はさ、自分たちはもちろん、この仔たちを食わせていかにゃならんからね。
夫が、「ダリルとテリーをうちに呼んで、夕食をご馳走しよう」と言った。
ダリルと夫の初対面、今から楽しみ。
今日は、これまでの疲れがドドッと出て、義父の誕生日&父の日の祝いに、ペンシルバニアに行くことさえもできなかった。
朝からダラダラしながら、猫用のリーシュをつけた海と一緒に裏庭に出たり、本を読んだり、ビデオを観たりしながら過ごしている。
それでもまだすっきりしない、このしつこい疲れは、今夜の湯船に溶かしてしまおう。