ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

会う、ハグする、食べる、おしゃべりする、ちょっぴり涙ぐみながらお別れする

2016年12月07日 | 友達とわたし
あけみちゃんの忠告と手伝いのおかげで、身軽なまま東京へ行ったのは、宏さんとの初対面ティータイムと、幸雄さんが演奏するアイリッシュミュージックのライブを聴くためだった。






まずは赤坂見附のレストランで、宏さんに会う。
フェイスブックで知り合うと、初対面という感じがしない。
すぐに打ち解けるし、いきなり深い話もできる。
宏さんは、いろんな部分で気が合うというか、共感できる人で、一度でいいから会って話したいと思っていた学者さん。
だからわがままを言って、忙しいスケジュールの中、時間を割いてもらった。

そこから電車を乗り継ぎ、今度は世田谷区のCAFE MURIWUIまで出かける。

ギターとフィドルを演奏してくれた幸雄さんは、元ロックバンドのギタリスト。ヤマハのLMコンテストでグランプリを取ったツワモノバンドだった。
そもそも、なんで幸雄さんと知り合ったのかというと、長年プラントに従事していた彼が、原発事故後から、分かりにくい東電の説明を、それはそれは分かりやすく説明し直してくれていて、
それでフェイスブックの友になってくれないかと、こちらの方からお願いしたのが始まり。
それからというものの、しょっちゅう心配かけたり迷惑かけたりするばかりで、ほんとに申し訳なく思っている。

な、の、に、

本番当日の、本番直前に、最寄りの駅に着くわたしを、ライブの場所が見つかりにくいからと、駅まで出迎えに来てくれるというではないか?!
いや、一人で行けるからと言っても、大丈夫大丈夫と、全く聞き入れてくれない。
だからまたまた甘えることにしたのだけれど、幸雄さんがバッチリ調べて教えてくれた時刻表通りに行くはずが、なんと人身事故で電車が遅れ、2回目の乗り継ぎの電車に乗り遅れてしまった。
今回は、携帯電話が使えるようにして行ったので、遅れる事情を伝えられはしたが、ライブの開演を遅らせてしまったのはこのわたしです!すんません!
駅の改札口で、少し離れて待ってくれていた幸雄さんと美保ちゃん。
横浜の、偶然にも幸雄さんちのご近所に住む美保ちゃんは、ライブを一緒に聞きに行こうとわたしが誘った。

でも、迎えに来てもらったのは正解だった。
絶対に見つけられなかったと思う…わたしと美保ちゃんだけだと…。

会場に入ると、二郎さんと明日香ちゃんがいた。
毎週金曜日の夜に、国会前の希望のエリアで、声を上げ続けている二人。


二郎さんは『校長』というあだ名のドラム隊&神の手を持つ整体師さん、明日香ちゃんは、類稀なるコーラー&前進座の女優さん。
(*マガジン9の、今週も脱原発『希望のエリア』のあきらめない人々を読んでみてください)
顔を見た瞬間、「もう来ないのかと思った…」と言われてしまった。

急いでホットジンジャエールを注文し、席に着く。

ボソボソと話す幸雄さんのコメントの後、いよいよ演奏が始まる。
フルート奏者の知世さんは、フルートはもちろんのこと、ティン・ホィッスルやコンサーティーナをコロコロと軽やかに演奏してくれて、その多様な才能に聞き惚れた。
フィドルの薫くんは超自然体。だけどもきっと天才肌なのだろう、すごい技術と歌心を、ひょうひょうと、まるで当たり前のことのように聞かせてくれる。
幸雄さんは、その若者たちが持つ音楽性と勢いに、ある時は寄り添い、ある時は待ったをかけたりなだめたりしながら、生き生きとしたリズムとメロディを作り上げていく。
ああ気持ちがいい!

それにしても、アイリッシュ音楽って面白い。
まず始まり方。
クラッシックのように、あらかじめ決められたものではなくて、今度はこの曲をやりたいと言った人が演奏をし始めると、それに続いて他の人がこっそり加わっていって、いつの間にか全員で、という感じ。
メロディの糸が絡まり合い、いろんな色や空間を作り出す。
自分にできるとは思わないけれども、もっともっと聴いていきたいと思った。

この3人、なんとも自然体でふんわりしてるのに、演奏に入るとすごい!
幸雄さんはしばらくの間、ライブ活動をお休みすると言っていたが、もしまたこのメンバーが演奏するような企画を見つけたら、ぜひぜひ聴きに行ってみてください。オススメです。



左端の女性は、幸雄さんが一番好きなシンガーソングライター、舟久保香織さん



ライブの後、幸雄さん、二郎さん、明日香ちゃん、美保ちゃんとわたしの5人で、近所の中華屋さんに行って、ワイワイガヤガヤと話し込む。
そして夜遅くに美保ちゃんちに到着。
お茶を飲みながら、互いにたまっていた話をする。
すっかり遅くなってしまったのに、朝からこんな豪華な朝ご飯(名付けて料亭朝ご飯)を作ってくれた美保ちゃん。




北海道出身の彼女が、北海道産のユリ根や野菜を使って作ってくれた、それはそれは美味しい朝食だった。
もっとゆっくりしていたかったけど、大阪の弟んちに戻ることになっていたので、午前中に横浜を出発。
道中で雨が降ってきた。

弟のところでも、またまたゆっくりはできなかったのだけど、鍼治療の勉強に大分まで行っていた夫と合流し、4人で一緒に、近くの名の通ったお寿司屋さんに食べに行った。




全部めちゃウマ!












夫が頼んだ八海山の表面張力!


お代は全て弟のおごり。大変ご馳走になりました!ほんまにうまかった!おおきに!


そして次の朝、またまた三重県の、今度は名張市に戻った。
でっかい旅行カバンは、あけみちゃんが待ち合わせの駅まで運んでくれた。
わたしといえば、もう随分長い間会っていないみっきーや、大阪から会いにやって来る叔母に会うので、なんだかドキドキしたりしていた。

みっきーは、元はと言えば、ヤマハ講師時代の同僚だったのだけど、いつの間にか友人になり、親友になった。
わたしが離婚をするべきか否かで悩んでいた時も、離婚した後も、なぜかいつも、とても大切な転換期や決断時を迎えている時には必ず、そばにいてくれた人だ。
特に、離婚をほぼ決めたものの、やはり恐ろしくて踏ん切りがつかなかった時、ここに行こう!と行って、雑誌を見せてくれたのがここ、露天風呂だらけの『中房温泉』
当時は、銭湯でさえ苦手だったわたしに、山奥の露天風呂に入れとな?
いやだ〜無理だ〜と、温泉に着いてからも文句を言ってたのに、最初に恐る恐る入った風呂でお尻を火傷しそうになり、次に飛び込んだ蒸し風呂(とてつもなく真っ暗で暑かった)で吹っ切れて、
それからはみっきーがたじろぐぐらいに積極的に、羽織った浴衣を脱ぎ捨てては、露天風呂を次々にはしごして、最後のでっかい温水プールに行き着いた頃にはもう、よし、離婚するぞ!と決めていた。
それにしても、あの温水プールを囲むように建っていた旅館の部屋の窓に、巨大ヤモリのように張り付いて覗いていたおっさんたちは今、どうしているのだろうか…。

みっきーがわたしたちに見せたいと言って連れてってくれた、近所の神社。




まずは手を清めて、


真っ黄っきだったイチョウはもう、すっかり丸坊主になっていた。


でもきれい!


でっかい灯篭。


その横にはなぜか鹿さんたちが。


本堂でお祈りする。






それから地震除けのお寺が、みっきーの実家の近くにあるというので、そこにも行ってみた。
可愛いナマズさんのお守りを買い、境内の端っこに行って見ると、なんとも美しい雲と夕焼けのコラボが。


そして夜は、味噌おでん!うまかった〜!


翌日の朝、みっきーお手製のおからパンをいただき、まずは車で10分ぐらいの所にある通子先生の家まで、みっきーの車で送ってもらう。

わたしの大好きな、いつかこんなのを持ちたいと夢見る、高北家のキッチン!


孝さんも元気そう!大きな地図帳で調べるのって、ネットで調べる癖がついてしまったわたしたちの目には、とっても新鮮だった。


わたしたちが来るからと、お弁当風ランチを作ってくれた通子さん。






どれもこれも、本当に美味しゅうございました!ありがとう!



次に行った伯母の家では、90歳を超えた伯母と、うんと年下の叔母、そして多分16年ぶりのいとこが会いに来てくれていて、夫はただ一人の男として殿さま扱い。
まあわたしも、全く手伝わせてもらえなかったのだから、お姫さま扱いと言えるのだけど…。

キッチンは、60代、70代、90代の女性で大にぎわい。




できました!


ここではもう、カフェインが、グルテンが、などという話はややっこし過ぎて、だからとうとう1年ぶりにお腹に入れてみたところ、とりあえず何事もなく一安心。
懐かしい話に花が咲き、まるで毎年顔を合わせているような気持ちになって、あっという間に時間が経ってしまった。
わたしたちのためにと、朝から立ちっぱなしで準備してくれていた伯母は、疲れ過ぎたのか食事前に眠ってしまい、だから次の日の朝にまた、顔を見に来るからと約束して別れた。


翌日の朝、またまた、みっきーがおからで作った、美味しい野菜ケーキをいただいた。


この日は、彼女はある所で、オカリナを演奏することになっていて(彼女はオカリナの先生なのだ)、その場所を聞いてぶったまげた。
2000人もの人が集まる、橋下徹氏の講演会の始まりと終わりに、もう一人のオカリナ教師と一緒に、デュエットで演奏するのだそうな…。
なんでまた橋下氏の?と聞くと、支持してるとかそんなんじゃなくて、たまたまそういう仕事がまわってきたのだと言う。

そんな忙しい日に、朝からまたまたお世話になった夫とわたしなのだった。

心ばかりのお礼に。


昨日、ちゃんと話せなかった伯母に会いに、もう一度お邪魔した。


綺麗な真っ赤な実がたくさん!


再びみっきーんちに戻り、荷物をまとめてさあ出発!何から何までありがとう、みっきー!


すごく元気なレタスさん。


カエルが潜って暮らしているというプランター。


津駅前でお別れの写真。


そして最後の最後に、いとこのともちゃん家族に会いに、横浜に行った。
彼女とも16年ぶり。一人娘の来未ちゃんには、まだ一度も会ったことがなかった。
彼女が予約してくれていたホテルにチェックインし、地下鉄に乗って、彼女の家に向かった。
途中、ピアノのレッスンを終えて、わたしたちが来るのを待っていてくれた来未ちゃんを迎えに行き、恥ずかしがり屋で最初は無口になると聞いていた来未ちゃんの様子を見ていたのだけど、
いやもう、しゃべるしゃべる、これがまた、ものすごくしっかりしていて、大人びているのだ。
そしてとても優しい。

ともちゃんが作ってくれた、超〜美味しい夕食を、写真に撮らないままパクパクと食べてしまったので、ここに載っけることができない…残念無念。
食事の後、来未ちゃんの電子ピアノを弾かせてもらったのだけど、重たいカバンを引っ張り続けてたからか、ずっと弾かずに食べてばっかりだったからか、あっちこっちでコケてしまい、ミスタッチの連続?!
やばい!こんなんじゃ来未ちゃんをがっかりさせてしまうじゃないかと焦っていたら、
「ピアノが違うから弾きにくいんだよ」とぼそりと言う来未ちゃん。
いやあ、こんなかばい方、小学生にできるのかなあ…。
彼女が弾くピアノは、とても感受性が豊かで、タッチもしっかりしている。
教師からすると、教えたい気持ちになるタイプの子供である。
近くに住んでたらなあ…。

駅まで見送ってくれるという来未ちゃんが、道すがら、トランプのことを話し出した。
「もう最悪だよね。なんであんな人が選ばれちゃったんだろ?私は家族を大事にする人間だ、なんて言ってたけど、家族を大事にするなんて当ったり前じゃん。バカみたい」
「環境問題も戦争も、一体どうなっちゃうんだろう…ほんと心配だよ」

まあ、クリントンはクリントンで、また別の問題が山積みなんだけどね。などと心の中で思いながら、ああ、この子とはサシで、ゆっくりと話してみたいもんだと、しみじみと思った。


本当に、嵐のように、人々の間を通り過ぎて行ったわたしたち。
みなさん、本当にお世話になりました!
楽しかったし、とっても美味しかったです!
ありがとう!
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伊賀焼とヴァーチャルリアリティと歌姫と

2016年12月07日 | 友達とわたし
日本に帰省する際に、いつも悩ましいのは、誰と会うかを決めること。
80歳を超えた母とはできるだけ一緒に時間を過ごしたいから、友人や親戚に会いに行ける時間は、いつもたったの1週間弱になってしまう。
だからもう、とんでもなくバタバタするし、今回はごめんね、またいつかねと、先送りになってしまう人が続出する。
いつか、発表会後の休暇を、思い切って1ヶ月ぐらい取って、お正月も含めてのんびりしたいと思ってはいるものの、そんな勇気も出ないまま、とうとう17回目の冬を迎えている。
まあでも、空と海を残して1ヶ月も留守にできないだろうし、わたしが日本に行くと言うと必ず、僕にも平等の権利があるなどと言ってくる夫が、じゃあ行っておいでと送り出してくれるとも思えない。
ここ数年は、毎年帰ることができているのだから、それだけでもありがたいと思わないとね。
母の家に滞在していた最後の日は、大津の友人二人と京都駅で会い、互いに元気でいることを喜び合い、その後、大津まで迎えに来てくれた宏弥師匠と一緒に、車の中で積もる話をしながら、また母の家まで戻った。
そしてその翌日から、友だちの家にお世話になりながら会いに行く、という毎日が始まった。

今回は、これまでずっと会えずにいた人に会うことにした。

その一人、というか二人が、あけみちゃん&洋くん夫妻。
彼らはともに、第一線で活躍している陶芸家で、彼らの一人娘の綾香ちゃんは、これまた第一線で活躍しているメゾソプラノ歌手。
三人ともに、キラキラと輝く星一家なのだ。

洋くんのお父さんは、古伊賀焼きの第一人者、谷本光生氏。
光生氏は、山深い里山の広大な敷地の中に、自宅陶房と、彼自らが発掘した品や、自他の作品を収めた展示場を建てた。
彼らとはずいぶん前に知り合い、以来ずっと大ファンであり続けているのに、会ってもろくに話ができないまま月日が過ぎていったのだけど、
数年前に起こった(まだ継続中だからここに書くことはできない)トンデモな人間によるトンデモな悪事に巻き込まれた彼らから、その話をチラチラ聞かせてもらっているうちに、
今以上に荒らされてしまう可能性がある光生氏の作品の数々を、何としても目に焼き付けておきたい、彼らともゆっくり話したいと思い、超多忙のふたりに無理を言ってお邪魔させてもらった。

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谷本 光生(たにもと こうせい) 窯名:三田窯(みたよう)
大正5年10月5日伊賀市三田に生まれる。
本名 光生(みつお)
洋画、書、俳句、彫塑、篆刻、曼荼羅などの趣味を背景に、戦後古伊賀、伊賀焼の復興に尽力し、谷本伊賀を確立。
作陶の他に抽象版画も手がけ、東京銀座のサロン・ドゥ・ボナで、シルクスクリーンによる版画の個展を開く。
自宅陶房には。縄文・埴輪時代から鎌倉・室町・桃山・江戸・明治・大正期までの伊賀焼を中心に。展示場を増設し、発掘品や作品を公開中。
谷本伊賀の他には、日本初「抽象陶画」の制作、版画「シルクスクリーン」、コンピュータグラフィックスなどにも新境地を拓き、着目される。
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伊賀上野の駅まで迎えに来てくれた洋くんの車に乗って、ぐんぐんぐんぐん山に入っていく。
その道ったらもう、とんでもなく狭くて、だけどここも往路なんだと聞いてたまげてしまった。
もうすっかりアメリカンサイズに慣れてしまってる自分だけど、こんな道をぐいぐい走っていたこともあったのだと、ちょっと懐かしくなったりもした。

到着して、話し込んでいる間にどんどん日が暮れて、気がついたら真っ暗になってしまった。
慌てて、洋くんの仕事場と、まだ見たことがなかった光生氏の展示館に、洋くんと彼のお弟子さんに案内してもらう。

真っ暗闇の中で撮った写真なので、色合いや存在感がちゃんと表せてないけれども…。

洋くんの穴窯。


奥がとても深い。




火を焚く薪にも、いろんな種類があるのだなあ。


神棚。


光生氏の自宅前から見ると。


展示館には、発掘品、作品がたくさん並べられていたけれど、すでに不正に持ち出されてしまった物も多い。






この皿の色合いや質感は、どうしても伝えきれない…。










光生氏が、全て木から作った筆。毛筆ではなくて樹筆というべきか?




富士山のような絵画を見て、黒澤監督の『夢』の赤富士を思い出した。


孫の綾香ちゃんから影響を受けて始めた、コンピュータグラフィックスによる作品。


そしてこれは、ネパールに何度も通っては集めたという曼荼羅の数々。








版画「シルクスクリーン」の展示館。








すごいとしか言いようのない芸術作品の数々を生み出した、すごいとしか言いようのない芸術家の父を、洋くんはとても尊敬し、心身ともにずっと支えてきた。
そんなお父さんと服飾デザイナーのお母さんの血を引く洋くんの手と心は、その作品に出会った人の魂を揺さぶるような伊賀焼を、次々に生み出していく。

作品の一部を見せてもらった。ちゃんと伝えられないのがとても残念!
洋くんの作品のちゃんとした映像は、ここで。




あけみちゃんの工房と作品は、うっかり撮り忘れてしまったので、ここを見てください。


さてその夜は、感謝祭をミスしたアレッサンドロ君とわたしのためにと、あけみちゃんが感謝祭ディナーを作ってくれた。
どうこのご馳走!




洋くんとお弟子さんが作ってくれたシューマイ鍋。


料理はもちろんだけども、器が贅沢すぎてうっとり…。




お友だち夫妻も合流して、美味しくいただいた後、アレッサンドロくんが開発したバーチャル世界で遊ぶことに。






初めての経験だったけれども、めちゃくちゃ現実味がある空間の中の物を、手に取ったり操作したりできたりして大興奮。
彼は今、京都のあちこちを細かに撮影し、それをヴァーチャルリアリティの世界に移して、人々に京都を体感してもらうというプロジェクトに関わっている。
そして彼はまた、テコンドーの達人だったりする。

やっと思いが果たせて興奮したのか、なかなか眠れなかった。
次の日の朝に出て、東京に向かい、その日一泊しただけでまた、大阪と三重に戻って来ると言ったら、
「まさかまうみちゃん、そのでっかい荷物と一緒に行くつもりじゃないよね」とあけみちゃん。
「え、そのつもりだけど」
「ダメダメ、絶対にダメ!そんなバカなことしちゃダメ!わたしが送っといたげるから、ここに置いていきなさい!」

そ、そんな…申し訳なさすぎるし、送り賃だってかなりかかるんじゃ…。
などとウジウジしているわたしを見て、「もうほんとに信じられないんだから!」と呆れるあけみちゃん。

結局甘えさせてもらい、横浜と東京で会う人たちへのお土産と着替えだけ持って行ったのだけど、行ってみてつくづく思った。
あけみちゃんの言うことを聞いてよかったと。
そして、これまで一度もそんなふうに考えずに、パンパンに膨れた重たいったらないカバンとバックパックと一緒に、あちこち周っていた自分の姿を思い出して、深いため息をついた。

次回からは賢くやろう。


🌸綾香ちゃんからのメッセージ🌸

ホセ・マリアとのCD「Sakura Variations~さくら変奏曲~」が完成しました〜♪
リリース記念のコンサートは、12月9日に、東京ハクジュホールで、19:00開演です。
チケットまだありますので、聴きに来て頂けるようでしたら、メッセージでご連絡下さい〜

また、コンサートには来れないけど、お手元にCDが欲しいという方も、メッセージ下さい♪
全てホセ・マリアの作曲とアレンジで、さくら変奏曲、クリスマス歌曲集、そして人生の歌曲集が入っています。

リリースを先取りして、人生の歌曲集から少しお聴き下さい。



Sakura Variations Release Concert(さくら変奏曲リリース記念コンサート)
日時:
12/9(金) 開場 6:30pm 開演 7:00pm
 
場所:
東京ハクジュホール

問い合わせ先:
ムジカキアラ Tel: 03-6431-8186


【谷本綾香】
英国以外では、スペインとの縁が深く、音楽を通してスペインとの交流に貢献するプロジェクトも数々行っている。
2014年より、スペインのギターリスト、ホセ・マリア・ガジャルド氏とのプロジェクト、”Alma Española en Japón”を開始し、
9月より日本でコンサートツアー。
11月にはロンドンの日本大使館において、日本スペイン交流400周年記念事業の一環として、Sakura Variationのプレミアコンサートが、スペイン・日本大使館の共同で開催。
同時に、ロンドン日本大使館のGreen Park Youth Concertと名付けられたコンサートシリーズで、期待の若手音楽家として、谷本綾香が紹介された。

2016年末にはホセ・マリア・ガジャルド氏とのプロジェクト”Alma Española en Japón”のプロジェクトで日本ツアーを行う予定。
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