あっという間に日が過ぎて、総裁選が終わり、太郎さんのドキュメンタリー映画『Beyond The Waves』の上映会が終わり、沖縄県知事選が終わり、もう10月に入ってしまった。
もちろんしつこい時差ボケからも抜け出した。
夏の日本旅行の後半というか、母と義父が暮らす三重県に移動してからの2週間のエピソードを、ずいぶん遅くなってしまったけれど書き記しておこうと思う。
ちなみにこれは東京のデパ地下の、カウンターのみの小さな和食屋さんで食べたランチ。
ちっちゃなおかずがみんな美味しくて、サービスも細やかで、なんだかもう嬉しくなって体をルンルン小刻みに躍らせながら食べてたら、両隣のお客さんに変な顔で見られてしまった…。
JRの駅で電車待ちしていると、長い長ーいコンテナ列車が通る。
一年ぶりの実家では、「ユリがおかえり〜って言うてるで」と母。
母は今年84歳。
もうあかん、もういつ死んでもおかしないと、毎年同じことを言ってるけれど、耳は地獄耳、抜いた歯はゼロ、親知らずも入れて全部で32本、すべて揃っている。
老眼鏡がすぐに合わなくなって見えにくい、足がふらついて歩きにくいと言うけれど、よくよく観察していると、どうも彼女は50代の目と足のままでなくてはならないと思い込んでいるようだ。
もしくは、80代でもスタスタ歩き、どこにでも出かけて行く人が、周りにたくさん居て、それが当たり前なのにと思っているのかもしれない。
確かに母がこれまでの人生で酷使したのは目と足で、だから他の部位より上手く機能しない問題が出てきているのだろうけれど、
どうやら彼女のスタンダードが高過ぎて、結局自分自身の在り方に満足できず、不満を日々募らせているようにも見える。
でもまあ、今年の3月にインフルエンザにかかってしまい、それから2ヶ月ほどずっとしんどい思いをしたし、妙な湿疹や肌荒れが指全体に出てきたりしてたので、
せめてわたしが居る2週間ぐらいは、おさんどんや他の家事を引き受けて、少しはゆっくりしてもらおうと思ったのだけど、
ここでもまた自分のやり方でないと気が済まない性格が災いして、全部丸投げができない母なのだった。
「あんたみたいに人任せができたらええんやけどなあ」、と母84歳は恨めしそうに言う。
「わたしだって、自慢やないけど、ここまでになるには相当の修行が要ってんで」、と娘61歳は小鼻をふくらませて言い返す。
母の終活に付き合って、彼女の30代の頃からの着物と帯を部屋に並べ、アメリカに送りたいもの、寄付するものに分ける作業をした。
箱詰めをしたら13キロ、船便で送るよう郵便局に行く。
すっかり出不精になっている母だけど、急きょ勤め先に承諾を得て休みを取ってくれた弟と4人で、近場の温泉、それも名前がとても可愛い『やっぽんぽんの湯』に行くことにした。
「やっぽんぽん」と聞くと自動的に「すっぽんぽん」という言葉が浮かぶ…病気か…?
その家族旅行の直前に、ウィーン国立音大で教えている幼馴染の親友佐和子が、故郷でピアノコンサートをするというので聞きに行った。
小学校の頃からお世話になったピアノの先生のお家でゆっくり過ごさせてもらい、本番の前日だけども、先生と一緒に彼女に会いに行った。
翌日のソロ曲や伴奏曲、それから大阪フィルハーモニー交響楽団メンバーによる木管五重奏とのアンサンブル曲、盛りだくさんのプログラムで、聴く方は嬉しいのだけど本人は大変だろう。
なんて思ってたら、なんと彼女は、そのコンサートが終わってすぐにウィーンに戻り、コンクールの伴奏(それも膨大な数の曲)を大急ぎで仕上げなければならないらしい。
すごい…としか言いようが無い。
そして当日、彼女のピアノ(弱く弾く音)がいつも大好きで、それを楽しみに聴いていたら、ピアノからフォルテ(強く弾く音)までの間に、今までよりももっといろんな響きや深みを出せるようになっていて、聴いていてとても心地よかった。
今回は文化協会事業の40周年記念事業ということで、会場には大勢の人が聴きに来られたのだけど、幼稚園の頃の先生や高校の同級生にばったり会って、即席の同窓会気分を味わうことができた。
ホールの駐車場で、大阪から迎えに来てくれた弟に拾ってもらい、母と義父がすでにもう着いているはずの滋賀県のホテルに向かう。
大雨が降った後に、大きな虹が現れた。
風力発電がいっぱい。
大型の台風が近づいているので、空はかなり不安定。
いきなり現れた神社の横をひたすら走る。
弟とはいつも、ゆっくりと時間を一緒に過ごせないまま別れてしまうことが多いので、このドライブは嬉しかった。
一緒にいても、別段何を話すということも無いのだけど、なんか楽しいんだなあ、一緒にいると。
元気そうだけど、体にちゃんと気をつけて、これからも長い間生きて、また一緒に遊びに行こう。
ホテルに着くと、母と義父はもうグランドゴルフのコースをふた周りもして、お風呂にも入っていた。
万歩計で測ると1万歩近く歩いたという。
途中で雨が降ってきて、いよいよ台風かと思ったけど、少ししたら止んだのでまた続きをやった、のだそうだ。
アスファルトは歩きづらいけれど、整備されたゴルフのコースはふわふわして気持ちがいいから、だそうだ。
このホテルは初めて来たのだけど、自宅から40分ぐらいで来られる母たちは常連さんで、ゴルフだけしに来たりもする。
温泉の湯は透明だけど、浸かった瞬間に肌がツルツル(どちらかというとヌルヌル)するお湯で、お風呂から上がる際にもったいなくてシャワーなんて使ってられないと母。
ふむふむ、楽しみ楽しみ。
美味しいと評判のお料理をいただく。
日本の旅行中は、グルテンも白砂糖もカフェインもお酒も全部解禁!
うわさ以上の美味しさに、舌鼓を打たせていただいた。
ホテルは両はしに宿泊の部屋が並ぶ面白いデザイン。
だから一階ロビーがめちゃくちゃ広い。
翌朝起きてすぐに天気を確かめる。
とりあえずまだ雨は降らない様子。
ではでは、いざ出発!
コースを周るグループはわたしたちだけだったので、好きなように遊ぶ。
いろんなバッタが現れた。
4人でいっぱい失敗して、いっぱい笑って、いっぱい遊んだ。
ホールポストに入ったボールを拾うのは腰が痛いからできないと言って、だから義父が拾って渡さないと文句を言う母が、自分が打つボールをピンの上に置くときは、痛いのいの字も言わずに平気でやっている。
それを見て娘のわたしと息子の弟は、ヒソヒソ陰口を言う。
なにはともあれ、元気に遊んでいる母を、ワハハと大声で笑う義父を見ているだけで、どんなに嬉しく幸せか。
ありがたいことだ。
お昼を食べてまた2周。これで全員1万歩。
『やっぽんぽんのお湯』本当にオススメです!
そして二日目の晩はまた違う趣向が凝らされていて、これも本当に美味しかった。
これはトマト鍋。
出発の朝、起きて見たら、窓の外はすっかり台風になっていた。
風がものすごく激しい。
大阪に車で戻らなければならない弟が先に出発し、母と義父、そしてわたしの3人も、少ししてから帰途についた。
途中で寄ったスーパーの棚がこんなことに。
久しぶりの日本の台風を経験した。
雨もすごかったけど、家を横に揺らすような強い風が何度も吹いて、その度にドキンとした。
でも、台風時の交通規制が、わたしが日本に居た頃とかなり変わっていたので驚いた。
まだ上陸をしていないときから、早々と運行を止めたり、いよいよ近づいてきたときには、会社や学校に行かないよう、できるだけ外出しないよう呼びかけたり。
こちらに来て、酷暑や極寒、そして自然の猛威が近づいてきたときなどは、テレビやラジオで一斉に外出禁止を呼びかけるのを聞いて、最初は大げさだなあ、なんて思ったけれど、それが当たり前だと気づいてからは、日本はまだまだ自己責任で判断させられてるなあと思ったりした。
相変わらず政府の動きは鈍かったけど、社会のシステムは良い方向に進んでいるなと思えた。
台風のすぐ後に、北海道を大きな地震が襲った。
大雨の後で地盤がゆるんでいたせいでもあったけど、たくさんの山の木が山肌ごとズルリと落ちてしまって、大変な被害が出た。
台風のせいで関西空港が浸水した。
もう気象は今までの、昭和と平成を過ごしてきた者には想像することが難しい激しさを伴って、人間社会を襲うようになった。
国はそのことを無視しないで、いろんな可能性を考慮して、それぞれの地域、それぞれの施設に応じた対策を立て、避難準備や実施を可能にできるよう、予算をしっかり当てて取り組んで欲しい。
マスコミも、ウケを狙ってばかりでなく、人々が知るべきことは何か、一番大切なことは何か、それをよく考えて報道して欲しい。
と、どこのチャンネルを回しても、同じ事件やスキャンダルのことばかりを延々と話しているワイドショーを、家族と一緒に観ながらしみじみ考えた。
母が通っている『うたごえ喫茶?』に飛び入りさせてもらった。
65歳以上の人たちが集まる会なので、わたしはちょっと規定外。
でも、みんなとってもいい声。先生が面白くて大笑いする。
可笑しかったのは、多分以前は音楽の先生や趣味で鳴らしておられただろう男性数名が、大きな声で気持ち良さそうに歌っておられるのだけど、微妙にタイミングがズレる。
それを母にこっそり伝えたら、「そやねん、わたしもそれとなく伝えたろか思うねんけど、それもちょっとなあ…」と苦笑い。
なるほど、有名人さんなのだな。
みなさんは発表会を控えているのだそうで、2回目の会にも参加させていただいたときには、運営委員会とやらも覗かせてもらった。
母ももちろん参加する。
もうあと3日で実家とさよなら、というときに、夜遅くからだけどそれでもよかったらと、名古屋から友人が会いに来てくれた。
残り少ない日の夜に出かけるのもなあ…なんて思ったりしたけど友人にも会いたい。
それで出かけたのはよかったのだけど、帰りが夜中の1時を過ぎてしまった。
裏の雨戸をそっと開けて入り、ベッドに入っていたものの、やっぱり寝てなかった母にごめんと謝って、無事就寝。
ところがその翌日、これまたメチャクチャ懐かしい20歳の頃の、そりゃもう破茶滅茶で大変なヤクザ絡みの毎日を送っていたときに付き合っていたボーイフレンドと、その彼の友人であり、また余命を宣告されたわたしを救ってくれた宗教の現在の管長、そして大大好きなあけみちゃんと会うことになっていて、
なぜか落語会が開催される場所で待ち合わせてるからと、津駅前にあけみちゃんの車で到着。
寄席が始まるまでの間に美味しい食事をいただき、今や社長の元ボーイフレンドが奢ってくれる。
3人と会うこと以外、この会のこともお店のことも全く知らなかったので、キョトンとしたまま昔話に花を咲かせる。
なんといっても40年ぶりの再会なのだ。
わたしは基本的に、学生から大人になる間に知り合った人たちには、行方不明かすでに死亡していると思われているので、同窓会の類の連絡は一切来ない。
だからこういう再会は滅多に無い。
なのでもう、頭の中も心の中もしっちゃかめっちゃかで、どんな顔をしたらいいのかわからないくらいに動揺した。
林家菊丸さん。亀山出身なんだそうな。本物の寄席は初めてだったけど、めちゃ面白かった。やっぱプロのライブっていいな。
会の後、一緒に食事に行って、もうみんな興奮しまくっちゃって、時間があっという間に過ぎてしまい、気がついたら12時?!
あっちゃ〜…母には10時半ぐらいに電話して、これからちょっと食べに行くから悪いけど先に寝て。と伝えたけど、きっとまた起きて待っているはず…61歳の娘を。
結局家に戻ったのは1時半。
母は玄関のドアをちょっと開け、わたしは起きて待っていた(怒)をアピール。
そろそろと入って行くと、廊下に立つ母が居て、わたしはもう門限を破りまくった高校生の女の子気分。
「ごめんなさい」と謝るも、「何時やと思ってんの」と低い声で遮られる。
やばい、これはほんとにやばい。
さらに歯を磨いていると、また母がやって来て、
「わたしは今夜はいささか怒っているよ」と言う。
いささか…なんて文学的な言い方。
などと、感心している場合では無いのだけれど…。
明日はこの家で過ごす最後の日なのに、これだけ怒ってたら口を聞いてくれないかもしれない…などとクヨクヨ思いながらとりあえず布団に入った。
でもありがたいことに、翌日の朝の始まりはまだちょっと硬かったけど、午後からは機嫌を直してくれた。
ありがとうお母さん。
母と義父に別れを告げていざ名張へ。
今回の名張は、伸び代が大き過ぎて、一体どこまで良くなっていくのかと楽しみなメゾソプラノ歌手と、確固たるスタイルをすでに構築してる凄腕ピアニスト、そしてこれまた素敵なマリンバ奏者3人のコンサートを聴きに行くため。
その歌手は、二日前に会ったあけみちゃんの愛娘綾香ちゃん。
あけみちゃんは前々から、絢香ちゃんのことを、母親だからじゃなくて、一人のアーティストとして惚れているからサポートしてるって言う。
その気持ちはとてもよくわかる。
綾香ちゃんのオーラは日々の鍛錬と努力が作り出したもので、彼女が舞台に立つと目も耳もうっとりとして、幸せな気持ちになる。
録画したのを何件かあけみちゃんの方から送ってもらったのだけど、それをここに載せる方法がわからない。
もしできたら載せて、ぜひみなさんにも楽しんでもらいたいと思う。
綾香ちゃんとピアニストの久美ちゃんが、コンサートの直前にワークショップを開いてくれて、発声の仕方や準備体操なんかを一緒にやっていると、ここ数ヶ月、突然声が出ない病にかかってしまって密かに悩んでいたのにずいぶんマシになった。
また家に戻ってから練習を再開しようなんて思ってたら、いきなり「まうみちゃん、歌ってみて」と、「赤とんぼの歌をピアニストの久美ちゃんに伴奏してもらって歌うことになった。
いや、ちょっとそれは無理、まだ喉の詰まりが取れてないからと、言い訳しようと思ったのだけど、綾香の目力にあっさり降参。
カラカラに乾いた喉に無理させて、なんとか1番だけ歌った。
「赤とんぼ」の歌は、わたしにとってはとても大切な思い出の歌。
だから歌い出すと必ず、胸の奥がじーんと熱くなり、じわりと涙がにじんでしまう。
まだ家の中が平穏で、恐ろしいものは両親が退治してくれると信じていた幼い頃に何度か、父におんぶしてもらいながら、彼の背中に耳を当てて聞いた「赤とんぼ」の歌。
ちゃんと歌えなかったけど、それでもやっぱりじーんとして、涙がこぼれそうになった。
この日のコンサートは客席も舞台の上、だから演奏者が間近にいる。
そういう形式は初めてだったので、すごく新鮮で楽しかった。
もちろんわたしはど真ん前のかぶりつき席。
至極の時を過ごさせてもらった。
わたしの横には、これまためちゃくちゃ久しぶりに会った友だちが二人、よねちゃんとみっきー。
二人とも全然変わってなくて、今はピアニカデュオ奏者として頑張っているらしい。すごいなあ。
その夜は、またまた通子先生のお宅に泊まらせてもらう。
一緒にお料理して、いろんな話をして、超お利口なマッサージ機でコリをほぐしてもらって、ああ極楽極楽。
本当は、数日じっくりと集中的に、通子先生にインタビューしたいとずっと思っている。
先生は会うといつも、とても興味深い話をしてくれる。
それはピアノのことだったり、教えるコツだったりいろいろで、ピアノを教えることに情熱をかたむけてきた彼女だからこその気づきや発見の話は、わたしにとっては宝ものだから、たくさん聞いて残したい。
夏の日本旅行はこれでおしまい。
大きなスーツケースを宅急便で送るというのを、今回は行き帰り両方にやってみた。
日本では別に珍しいことではないかもしれないけれど、ここアメリカではそんなサービスは無いし、あってもちゃんと着くかどうかが心配で利用できない。
どちらもちゃんと、それもそんなに高額な費用でもないのに、受け取ることができた。
日本のサービスはほんとにすごい。
こんなのが当たり前って思えるシステムって贅沢だし、それだけ働いている人が居るってことだ。
時間外や深夜に働いている人たちの賃金をもっと上げて欲しい。
これほどの夢のように便利で確実なサービスを提供してもらっているのだから、
本当は、スーパーのレジや駅の切符売り場で、すごいスピードでレジ打ちしたり切符の手配をしてくれる方々にも、迅速かつ的確な仕事をしてくれてありがとうって感謝状を贈りたい。
何回もしつこく言って申し訳ないけど、ほんとに日本のサービスは、決して当たり前なんかじゃ無い。
いっぺんこちらに来てみてください。
すぐにわかりますから。
今回もいろんな人との出会いがあった。
初めての経験もいっぱいした。
まだまだ知らないことだらけ、知りたいことだらけ。
あっつぅ〜い夏の日本、バイバイ、また来るぞぉ〜!!
もちろんしつこい時差ボケからも抜け出した。
夏の日本旅行の後半というか、母と義父が暮らす三重県に移動してからの2週間のエピソードを、ずいぶん遅くなってしまったけれど書き記しておこうと思う。
ちなみにこれは東京のデパ地下の、カウンターのみの小さな和食屋さんで食べたランチ。
ちっちゃなおかずがみんな美味しくて、サービスも細やかで、なんだかもう嬉しくなって体をルンルン小刻みに躍らせながら食べてたら、両隣のお客さんに変な顔で見られてしまった…。
JRの駅で電車待ちしていると、長い長ーいコンテナ列車が通る。
一年ぶりの実家では、「ユリがおかえり〜って言うてるで」と母。
母は今年84歳。
もうあかん、もういつ死んでもおかしないと、毎年同じことを言ってるけれど、耳は地獄耳、抜いた歯はゼロ、親知らずも入れて全部で32本、すべて揃っている。
老眼鏡がすぐに合わなくなって見えにくい、足がふらついて歩きにくいと言うけれど、よくよく観察していると、どうも彼女は50代の目と足のままでなくてはならないと思い込んでいるようだ。
もしくは、80代でもスタスタ歩き、どこにでも出かけて行く人が、周りにたくさん居て、それが当たり前なのにと思っているのかもしれない。
確かに母がこれまでの人生で酷使したのは目と足で、だから他の部位より上手く機能しない問題が出てきているのだろうけれど、
どうやら彼女のスタンダードが高過ぎて、結局自分自身の在り方に満足できず、不満を日々募らせているようにも見える。
でもまあ、今年の3月にインフルエンザにかかってしまい、それから2ヶ月ほどずっとしんどい思いをしたし、妙な湿疹や肌荒れが指全体に出てきたりしてたので、
せめてわたしが居る2週間ぐらいは、おさんどんや他の家事を引き受けて、少しはゆっくりしてもらおうと思ったのだけど、
ここでもまた自分のやり方でないと気が済まない性格が災いして、全部丸投げができない母なのだった。
「あんたみたいに人任せができたらええんやけどなあ」、と母84歳は恨めしそうに言う。
「わたしだって、自慢やないけど、ここまでになるには相当の修行が要ってんで」、と娘61歳は小鼻をふくらませて言い返す。
母の終活に付き合って、彼女の30代の頃からの着物と帯を部屋に並べ、アメリカに送りたいもの、寄付するものに分ける作業をした。
箱詰めをしたら13キロ、船便で送るよう郵便局に行く。
すっかり出不精になっている母だけど、急きょ勤め先に承諾を得て休みを取ってくれた弟と4人で、近場の温泉、それも名前がとても可愛い『やっぽんぽんの湯』に行くことにした。
「やっぽんぽん」と聞くと自動的に「すっぽんぽん」という言葉が浮かぶ…病気か…?
その家族旅行の直前に、ウィーン国立音大で教えている幼馴染の親友佐和子が、故郷でピアノコンサートをするというので聞きに行った。
小学校の頃からお世話になったピアノの先生のお家でゆっくり過ごさせてもらい、本番の前日だけども、先生と一緒に彼女に会いに行った。
翌日のソロ曲や伴奏曲、それから大阪フィルハーモニー交響楽団メンバーによる木管五重奏とのアンサンブル曲、盛りだくさんのプログラムで、聴く方は嬉しいのだけど本人は大変だろう。
なんて思ってたら、なんと彼女は、そのコンサートが終わってすぐにウィーンに戻り、コンクールの伴奏(それも膨大な数の曲)を大急ぎで仕上げなければならないらしい。
すごい…としか言いようが無い。
そして当日、彼女のピアノ(弱く弾く音)がいつも大好きで、それを楽しみに聴いていたら、ピアノからフォルテ(強く弾く音)までの間に、今までよりももっといろんな響きや深みを出せるようになっていて、聴いていてとても心地よかった。
今回は文化協会事業の40周年記念事業ということで、会場には大勢の人が聴きに来られたのだけど、幼稚園の頃の先生や高校の同級生にばったり会って、即席の同窓会気分を味わうことができた。
ホールの駐車場で、大阪から迎えに来てくれた弟に拾ってもらい、母と義父がすでにもう着いているはずの滋賀県のホテルに向かう。
大雨が降った後に、大きな虹が現れた。
風力発電がいっぱい。
大型の台風が近づいているので、空はかなり不安定。
いきなり現れた神社の横をひたすら走る。
弟とはいつも、ゆっくりと時間を一緒に過ごせないまま別れてしまうことが多いので、このドライブは嬉しかった。
一緒にいても、別段何を話すということも無いのだけど、なんか楽しいんだなあ、一緒にいると。
元気そうだけど、体にちゃんと気をつけて、これからも長い間生きて、また一緒に遊びに行こう。
ホテルに着くと、母と義父はもうグランドゴルフのコースをふた周りもして、お風呂にも入っていた。
万歩計で測ると1万歩近く歩いたという。
途中で雨が降ってきて、いよいよ台風かと思ったけど、少ししたら止んだのでまた続きをやった、のだそうだ。
アスファルトは歩きづらいけれど、整備されたゴルフのコースはふわふわして気持ちがいいから、だそうだ。
このホテルは初めて来たのだけど、自宅から40分ぐらいで来られる母たちは常連さんで、ゴルフだけしに来たりもする。
温泉の湯は透明だけど、浸かった瞬間に肌がツルツル(どちらかというとヌルヌル)するお湯で、お風呂から上がる際にもったいなくてシャワーなんて使ってられないと母。
ふむふむ、楽しみ楽しみ。
美味しいと評判のお料理をいただく。
日本の旅行中は、グルテンも白砂糖もカフェインもお酒も全部解禁!
うわさ以上の美味しさに、舌鼓を打たせていただいた。
ホテルは両はしに宿泊の部屋が並ぶ面白いデザイン。
だから一階ロビーがめちゃくちゃ広い。
翌朝起きてすぐに天気を確かめる。
とりあえずまだ雨は降らない様子。
ではでは、いざ出発!
コースを周るグループはわたしたちだけだったので、好きなように遊ぶ。
いろんなバッタが現れた。
4人でいっぱい失敗して、いっぱい笑って、いっぱい遊んだ。
ホールポストに入ったボールを拾うのは腰が痛いからできないと言って、だから義父が拾って渡さないと文句を言う母が、自分が打つボールをピンの上に置くときは、痛いのいの字も言わずに平気でやっている。
それを見て娘のわたしと息子の弟は、ヒソヒソ陰口を言う。
なにはともあれ、元気に遊んでいる母を、ワハハと大声で笑う義父を見ているだけで、どんなに嬉しく幸せか。
ありがたいことだ。
お昼を食べてまた2周。これで全員1万歩。
『やっぽんぽんのお湯』本当にオススメです!
そして二日目の晩はまた違う趣向が凝らされていて、これも本当に美味しかった。
これはトマト鍋。
出発の朝、起きて見たら、窓の外はすっかり台風になっていた。
風がものすごく激しい。
大阪に車で戻らなければならない弟が先に出発し、母と義父、そしてわたしの3人も、少ししてから帰途についた。
途中で寄ったスーパーの棚がこんなことに。
久しぶりの日本の台風を経験した。
雨もすごかったけど、家を横に揺らすような強い風が何度も吹いて、その度にドキンとした。
でも、台風時の交通規制が、わたしが日本に居た頃とかなり変わっていたので驚いた。
まだ上陸をしていないときから、早々と運行を止めたり、いよいよ近づいてきたときには、会社や学校に行かないよう、できるだけ外出しないよう呼びかけたり。
こちらに来て、酷暑や極寒、そして自然の猛威が近づいてきたときなどは、テレビやラジオで一斉に外出禁止を呼びかけるのを聞いて、最初は大げさだなあ、なんて思ったけれど、それが当たり前だと気づいてからは、日本はまだまだ自己責任で判断させられてるなあと思ったりした。
相変わらず政府の動きは鈍かったけど、社会のシステムは良い方向に進んでいるなと思えた。
台風のすぐ後に、北海道を大きな地震が襲った。
大雨の後で地盤がゆるんでいたせいでもあったけど、たくさんの山の木が山肌ごとズルリと落ちてしまって、大変な被害が出た。
台風のせいで関西空港が浸水した。
もう気象は今までの、昭和と平成を過ごしてきた者には想像することが難しい激しさを伴って、人間社会を襲うようになった。
国はそのことを無視しないで、いろんな可能性を考慮して、それぞれの地域、それぞれの施設に応じた対策を立て、避難準備や実施を可能にできるよう、予算をしっかり当てて取り組んで欲しい。
マスコミも、ウケを狙ってばかりでなく、人々が知るべきことは何か、一番大切なことは何か、それをよく考えて報道して欲しい。
と、どこのチャンネルを回しても、同じ事件やスキャンダルのことばかりを延々と話しているワイドショーを、家族と一緒に観ながらしみじみ考えた。
母が通っている『うたごえ喫茶?』に飛び入りさせてもらった。
65歳以上の人たちが集まる会なので、わたしはちょっと規定外。
でも、みんなとってもいい声。先生が面白くて大笑いする。
可笑しかったのは、多分以前は音楽の先生や趣味で鳴らしておられただろう男性数名が、大きな声で気持ち良さそうに歌っておられるのだけど、微妙にタイミングがズレる。
それを母にこっそり伝えたら、「そやねん、わたしもそれとなく伝えたろか思うねんけど、それもちょっとなあ…」と苦笑い。
なるほど、有名人さんなのだな。
みなさんは発表会を控えているのだそうで、2回目の会にも参加させていただいたときには、運営委員会とやらも覗かせてもらった。
母ももちろん参加する。
もうあと3日で実家とさよなら、というときに、夜遅くからだけどそれでもよかったらと、名古屋から友人が会いに来てくれた。
残り少ない日の夜に出かけるのもなあ…なんて思ったりしたけど友人にも会いたい。
それで出かけたのはよかったのだけど、帰りが夜中の1時を過ぎてしまった。
裏の雨戸をそっと開けて入り、ベッドに入っていたものの、やっぱり寝てなかった母にごめんと謝って、無事就寝。
ところがその翌日、これまたメチャクチャ懐かしい20歳の頃の、そりゃもう破茶滅茶で大変なヤクザ絡みの毎日を送っていたときに付き合っていたボーイフレンドと、その彼の友人であり、また余命を宣告されたわたしを救ってくれた宗教の現在の管長、そして大大好きなあけみちゃんと会うことになっていて、
なぜか落語会が開催される場所で待ち合わせてるからと、津駅前にあけみちゃんの車で到着。
寄席が始まるまでの間に美味しい食事をいただき、今や社長の元ボーイフレンドが奢ってくれる。
3人と会うこと以外、この会のこともお店のことも全く知らなかったので、キョトンとしたまま昔話に花を咲かせる。
なんといっても40年ぶりの再会なのだ。
わたしは基本的に、学生から大人になる間に知り合った人たちには、行方不明かすでに死亡していると思われているので、同窓会の類の連絡は一切来ない。
だからこういう再会は滅多に無い。
なのでもう、頭の中も心の中もしっちゃかめっちゃかで、どんな顔をしたらいいのかわからないくらいに動揺した。
林家菊丸さん。亀山出身なんだそうな。本物の寄席は初めてだったけど、めちゃ面白かった。やっぱプロのライブっていいな。
会の後、一緒に食事に行って、もうみんな興奮しまくっちゃって、時間があっという間に過ぎてしまい、気がついたら12時?!
あっちゃ〜…母には10時半ぐらいに電話して、これからちょっと食べに行くから悪いけど先に寝て。と伝えたけど、きっとまた起きて待っているはず…61歳の娘を。
結局家に戻ったのは1時半。
母は玄関のドアをちょっと開け、わたしは起きて待っていた(怒)をアピール。
そろそろと入って行くと、廊下に立つ母が居て、わたしはもう門限を破りまくった高校生の女の子気分。
「ごめんなさい」と謝るも、「何時やと思ってんの」と低い声で遮られる。
やばい、これはほんとにやばい。
さらに歯を磨いていると、また母がやって来て、
「わたしは今夜はいささか怒っているよ」と言う。
いささか…なんて文学的な言い方。
などと、感心している場合では無いのだけれど…。
明日はこの家で過ごす最後の日なのに、これだけ怒ってたら口を聞いてくれないかもしれない…などとクヨクヨ思いながらとりあえず布団に入った。
でもありがたいことに、翌日の朝の始まりはまだちょっと硬かったけど、午後からは機嫌を直してくれた。
ありがとうお母さん。
母と義父に別れを告げていざ名張へ。
今回の名張は、伸び代が大き過ぎて、一体どこまで良くなっていくのかと楽しみなメゾソプラノ歌手と、確固たるスタイルをすでに構築してる凄腕ピアニスト、そしてこれまた素敵なマリンバ奏者3人のコンサートを聴きに行くため。
その歌手は、二日前に会ったあけみちゃんの愛娘綾香ちゃん。
あけみちゃんは前々から、絢香ちゃんのことを、母親だからじゃなくて、一人のアーティストとして惚れているからサポートしてるって言う。
その気持ちはとてもよくわかる。
綾香ちゃんのオーラは日々の鍛錬と努力が作り出したもので、彼女が舞台に立つと目も耳もうっとりとして、幸せな気持ちになる。
録画したのを何件かあけみちゃんの方から送ってもらったのだけど、それをここに載せる方法がわからない。
もしできたら載せて、ぜひみなさんにも楽しんでもらいたいと思う。
綾香ちゃんとピアニストの久美ちゃんが、コンサートの直前にワークショップを開いてくれて、発声の仕方や準備体操なんかを一緒にやっていると、ここ数ヶ月、突然声が出ない病にかかってしまって密かに悩んでいたのにずいぶんマシになった。
また家に戻ってから練習を再開しようなんて思ってたら、いきなり「まうみちゃん、歌ってみて」と、「赤とんぼの歌をピアニストの久美ちゃんに伴奏してもらって歌うことになった。
いや、ちょっとそれは無理、まだ喉の詰まりが取れてないからと、言い訳しようと思ったのだけど、綾香の目力にあっさり降参。
カラカラに乾いた喉に無理させて、なんとか1番だけ歌った。
「赤とんぼ」の歌は、わたしにとってはとても大切な思い出の歌。
だから歌い出すと必ず、胸の奥がじーんと熱くなり、じわりと涙がにじんでしまう。
まだ家の中が平穏で、恐ろしいものは両親が退治してくれると信じていた幼い頃に何度か、父におんぶしてもらいながら、彼の背中に耳を当てて聞いた「赤とんぼ」の歌。
ちゃんと歌えなかったけど、それでもやっぱりじーんとして、涙がこぼれそうになった。
この日のコンサートは客席も舞台の上、だから演奏者が間近にいる。
そういう形式は初めてだったので、すごく新鮮で楽しかった。
もちろんわたしはど真ん前のかぶりつき席。
至極の時を過ごさせてもらった。
わたしの横には、これまためちゃくちゃ久しぶりに会った友だちが二人、よねちゃんとみっきー。
二人とも全然変わってなくて、今はピアニカデュオ奏者として頑張っているらしい。すごいなあ。
その夜は、またまた通子先生のお宅に泊まらせてもらう。
一緒にお料理して、いろんな話をして、超お利口なマッサージ機でコリをほぐしてもらって、ああ極楽極楽。
本当は、数日じっくりと集中的に、通子先生にインタビューしたいとずっと思っている。
先生は会うといつも、とても興味深い話をしてくれる。
それはピアノのことだったり、教えるコツだったりいろいろで、ピアノを教えることに情熱をかたむけてきた彼女だからこその気づきや発見の話は、わたしにとっては宝ものだから、たくさん聞いて残したい。
夏の日本旅行はこれでおしまい。
大きなスーツケースを宅急便で送るというのを、今回は行き帰り両方にやってみた。
日本では別に珍しいことではないかもしれないけれど、ここアメリカではそんなサービスは無いし、あってもちゃんと着くかどうかが心配で利用できない。
どちらもちゃんと、それもそんなに高額な費用でもないのに、受け取ることができた。
日本のサービスはほんとにすごい。
こんなのが当たり前って思えるシステムって贅沢だし、それだけ働いている人が居るってことだ。
時間外や深夜に働いている人たちの賃金をもっと上げて欲しい。
これほどの夢のように便利で確実なサービスを提供してもらっているのだから、
本当は、スーパーのレジや駅の切符売り場で、すごいスピードでレジ打ちしたり切符の手配をしてくれる方々にも、迅速かつ的確な仕事をしてくれてありがとうって感謝状を贈りたい。
何回もしつこく言って申し訳ないけど、ほんとに日本のサービスは、決して当たり前なんかじゃ無い。
いっぺんこちらに来てみてください。
すぐにわかりますから。
今回もいろんな人との出会いがあった。
初めての経験もいっぱいした。
まだまだ知らないことだらけ、知りたいことだらけ。
あっつぅ〜い夏の日本、バイバイ、また来るぞぉ〜!!