ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

「中国は長きにわたり日本のお手本でした」

2018年10月29日 | 日本とわたし
日中首脳会談での積極的な日中友好アピール。
日中の企業関係者が集まったフォーラムでの、嵐のような中国賛美の数々。

先日26日に訪中した安倍総理が、日中第三国市場協力フォーラムに出席した際に述べた言葉が、これまでの安倍首相の言動を180度ひっくり返したようなものだったので驚きました。

まずは、
「中国は長きにわたり日本のお手本でした」
いやもう、これは、これまでの安倍首相の言動から考えると、同じ人間が言っているとは思えないほどの変節ぶりです。

さらに、
「漢文の奥深さは日本語を豊かにしており、私自身、今でも漢文から学ぶことは多いと感じています」
え?!簡単な日常漢字でさえ、フリガナをふってもらわなければ読めない人なのに?

安倍首相を支持する反中思想の人たちは、いったいこの巨大変節をどう思っているのでしょうか?
何やら聞いた話によると、そういう人たちがワラワラと集まっているサイトが、軒並み閲覧不能に陥っているらしいのですが…もう復活したのかな。

これが安倍首相お得意の、でまかせ、うそつき、その場その場でヨイショ芸であっても、
日中間の軍事衝突の危険が遠のいていく流れを作ることができるなら、それは両国の国民にとって良いことだと思いますし、
中国との関係改善に向けて、上っ面な言葉だけではなく具体的な行動を示せば、今はきっぱりと拒否されている日朝会談の実現を、可能なものにできるきっかけになるかもしれません。

ともかく、どのような狙いがあるにせよ(多分安倍氏自身の権力維持のため、というのが一番大きいと思うのですが)、『嫌中路線』から『親中路線』に切り替えたことで、
これまで親分に続け!とばかりにヘイトクライムを堂々と繰り広げていた反中の輩が、いったいどんな態度をとっていくのか、
そして安倍首相、実は何の信念も持たず、行き当たりばったりに、他国の権力者にへつらってはカネをばらまいてきた人だけに、
『親中路線』に切り替えたと見せつけて、腹の底では何を狙っているのか、そういう部分にも目を光らせていかないといけないと思います。








で、これはちょっと長いですけど、おまけのお話です。

これまでにも、呆れ返る言動を繰り返してきた百田尚樹氏ですが、彼は今回のことで、ハシゴを思いっきり外された人たちの代表格。
その彼が、昨年の4月に、こんなことを言っておりました。
安倍首相が漢文の話を出したので、思い出したんです。



百田尚樹「中国文化は日本人に合わぬ。漢文の授業廃止を」

日本はなぜ、中国の脅威を感じながらも適切な対抗策を取れないのか。
作家の百田尚樹氏は、その背景には、日本人の勘違いに基づいた「中国への憧れ」があると語る。

中国の尖閣諸島への“侵略”は日に日にエスカレートしています。
ただし、意外かもしれませんが、尖閣周辺の東シナ海や南シナ海で暴れ回る中国に対峙しようという時に、もっとも弊害になっているのが日本人の「中国への漠然とした憧れ」です。

皆なんとなく『史記』が好きだし、時代作家は『三国志』を書きたがる。
江戸時代の儒学者はとくにそうですが、長い間、日本人の間には中国は「歴史ある偉大な国」「文明的ないい国」だという誤解があった

そもそも、なぜ学校で「漢文」の授業があるのか
英語と違って使う機会なんてないし、あれは趣味の世界だと思うんです。
子供の頃から誰でも知っている「中国4000年」という言葉も、あの国への無意味な憧れを生んでいます

それらが醸成する漠然とした「中国への憧れ」があるから、「なんだかんだ言っても、最後は仲良くできる」「全面戦争は仕掛けてこない」という幻想が生まれているのだと思います。

実際の中国は、異民族が次々に侵入してきては王朝を打ち立ててきた歴史です。
易姓革命で王朝が変わるたびに、民衆の大虐殺が行われてきた。
そんな歴史のどこがいいというのでしょうか。
今、中国が本気で日本を奪りに来ていることは、誰の目にも明らかです。

そもそも、中国文化は、根本的に日本人には合いません
例えば故事にある「宋襄(そうじょう)の仁」は、紀元前の宋の国の襄公という人が、参謀から「敵が川を渡っている最中だから、今攻めれば勝てる」と進言されたのに、
「そんな卑怯なことはできん」と、相手が川を渡り終えてから正々堂々と戦って、負けたという話です。
無用な情けということで、中国では「大バカ者」という意味です。

上杉謙信の美談となっている「敵に塩を送る」なんてメンタリティは、中国人には通用しません。
どんな手を使っても、とにかく勝ちさえすればいいというのが中国の文化なのです。

かつての日本は、今よりももっとうまく、中国とつき合ってきました。
中国の力が強大だった時は、遣隋使や遣唐使を遣って、制度や文化を取り入れましたが、それも平安時代になったら「もう中国の文化はいらん」とやめました。

中国の文化も、すべてを受け入れたわけではありませんでした。
生身の人間の肉を少しずつ切り落としてじわじわ殺す凌遅刑は、残酷だからとシャットアウトしたし、科挙も宦官も入れなかった。
纏足の習慣も、日本では根付きませんでした。
朝鮮半島は、それらすべてを無条件に受け入れましたが、日本は取捨選択をキチッとして、独自の文明を育んだのです。

それを考えれば、現在も中国に対する漠然とした憧れを持つことはやめるべきだし、そんな勘違いを育む漢文の授業も廃止したらいいのです。


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いやあ、いつものごとく、ひどい歴史観です。
それを、すぐに叱ってくれたのが『LITERA』の記者さんです。
全文をぜひお読みください。



百田尚樹が中国憎しで「漢文の授業を廃止せよ」とバカ丸出し!
右派の大好きな教育勅語も明治憲法も漢文なんですけど…

【LITERA】2017年4月30日
https://lite-ra.com/2017/04/post-3122.html

引用:

ようするに、百田は、「中国を偉大な国と勘違いさせる漢文は廃止にせよ!」とがなり立てるが、
実のところ、右派が奮って賞賛する明治憲法も、教育勅語も、十七条憲法も、日本書紀も、漢文がなくてはそもそも成立しえなかったのである。
とりわけ、百田や日本会議は、明治憲法を礼賛する一方で、日本国憲法を「押し付け」として批判し、無効論すら唱えているが、
漢文を排除すべしとの立場であるならば、むしろ口語文の日本国憲法のほうを褒め称えるべきであって、漢文の匂いが濃い明治憲法は、唾棄すべきとなってしまう。

無論、あまりにもバカらしい話だ。
 
もちろん、こんな倒錯が起きるのは、百田の主張全体が、極めてバカげているからに他ならない
そもそも「文化」なるものは、他者との交流によって影響を与え合い変化し、ときとともに醸成されていくものだ。
「自国の文化」と「他国の文化」と、明確に切り分けられるようなものではない。
中国文化と現代中国政治を混同し、後者への敵意から中国文化排斥に向かう百田の思考は、完全にネトウヨレベルだが、
それほどこの作家センセイの文化認識の浅薄さは、驚くに値する


中国の故事「宋襄の仁」を取り上げて、
〈無用な情けということで、中国では「大バカ者」という意味です。
上杉謙信の美談となっている、「敵に塩を送る」なんてメンタリティは、中国人には通用しません。
どんな手を使っても、とにかく勝ちさえすればいいというのが、中国の文化なのです〉と得意げに語っている。

ちなみに、謙信もまた、優れた漢詩を残しているのだが、それはおくとして、この大バカ者に別の故事を教えておいてやる。
 
一般に、愚かな行為や人を指す「バカ(馬鹿)」という言葉は、中世から近世にかけて広まったという。
その語源は梵語が有力とされるが、俗説のひとつに、故事成語「指鹿為馬」がある。

『史記』によれば、秦の始皇帝の死後、丞相の趙高が反乱を企てるにあたり、自らの権威を試そうと、二代皇帝胡亥に、鹿を馬だと言って献じてみせた。
家臣のある者は沈黙し、ある者は趙高にへつらって馬だと言い、またある者は正直に鹿だと言った。
その後、鹿だと言った家臣は、合法的に処罰された。
趙高は大いに恐れられたという。


「中国を偉大な国と勘違いさせる漢文は廃止にせよ!」という妄言を、恥ずかしげもなく「対中政策の秘策」と題して公開してしまう保守論壇。

どちらにせよ、“保守の頽廃”と言うしかないが、少なくとも、こういうバカにバカだと誰も言えなくなれば、日本は後戻りのできないところまでいってしまうだろう。
ただでさえ、この国の政権はいま、国民に「鹿」を「馬」と言わせるための政治をしている
そのことを忘れてはならない。


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で、百田氏は今、かなり取り乱しているのか、漢方改正についても総理を応援してください!などとツイートしています。
多分、憲法改正のことだと思うんですけど…。

コメント
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