来年の秋か冬に、カーネギーの地下にあるザンケルホール(600席)で、ACMAのオーケストラとコーラスだけのコンサートをしようという計画があげられた。
ここ数年の間にメンバーが少しずつ増えてきて、今現在は30名強の弦と木管金管の奏者が集まった。
これまでずっと、その楽団の指揮を務めてきたアルベルトが、ACMAのエグゼクティブディレクターの役目をニールに引き渡し、指揮活動に重点をおくことにしたのだけど、
それでもまだ大変だから、副主席の指揮を引き受けてくれる人を探したいと言うので、わたしは勢いよく「やらせてほしい」と手をあげた。
「え?まうみ、指揮できるの?」
「は、はい!(多分…)」
「経験があるの?」
「は、はい!(ちょびっとだけど…)」
コンサートは一部と二部に分かれていて、一部はオペラからの10分以内の小曲とバッハのピアノコンチェルト第1番、モーツァルトのピアノコンチェルト、二部はブラームスの交響曲第1番全楽章。
新米のわたしは、二部のオペラの小曲とバッハを振らせてもらうことになった。
さっそく楽譜を取り寄せて、ユーチューブの動画を使ったり、鏡の前に立っての基礎練習をしたりして、それはそれは張り切って練習を続けた。
ブラームスの交響曲第1番を演奏することについては、わたしは賛成できなかった。
なぜなら、オーケストラはまだ起動に乗り始めたところだし、各自がそれほど素晴らしい演奏能力を持っているというわけでもないからだ。
曲はいつもアルベルトが決めていた。
今回、ティンパニー奏者が見つかったからというのが、ブラームスの曲を決めた大きな理由だと聞いて、さらに反対したくなった。
確かにあの曲はティンパニーの存在が欠かせないのだけど…曲の選定の理由としてはいい加減過ぎる。
でも、彼自身の中ではきっぱりと決まってしまっていて、それをどう説得しても変えられないとわかったので、曲の変更について話し合われることはなかった。
その後、わたしがはたして指揮ができるのかどうか、それを確認するための練習日が設けられた。
その時に突然、バッハの曲は却下されたことを知った。
ものすごく練習して、ほぼ暗譜していたから、かなりがっかりしたけれどまあ仕方がない。
その練習には、ピアノでオーケストラパートを弾くアルベルトと、コンサートマスターのバイオリニストとソプラノ歌手が参加してくれた。
2時間のリハーサルを終えて、大丈夫だとみんなを安心させることができたのだけど、その後、これまた何の知らせもなく、今度はオペラの曲が変更された。
変更を受けて、またその新曲のためのテストリハーサルが行われ、それにも合格した。
今回は、ソプラノとアルトのデュエットで、やはりテンポやリズムがコロコロ変わる指揮者にとってはやりにくい曲だけど、
川辺に咲く花を愛でる二人の女性の姿や、美しい花や小川の流れが目に浮かぶような素敵な風景を、オケと歌手と一緒に、音で表せたらいいなあと思った。
それからまた、新曲の練習を重ねた。
独学ではなく、きちんとレッスンにも通うことにした。
するとアルベルトから、「最初の合わせ練習は、オーケストラのメンバーが動揺しないように、僕が振ることにするよ」と書かれたメールが送られてきた。
「まずは僕が曲の大体の形をまとめて、そのあとまうみにバトンタッチする方法がいいと思う」
ということで、今度は彼のためのリハーサルをやることになり、わたしがオーケストラパートのピアノ譜を2日で仕上げ、木管楽器主席と絃楽器主席の2名、それから歌手2名が集まった。
わたしはその日、オケパートを演奏することに専念したのだけど、アルベルトの指揮に合わせているうちに、どんどん不安になっていった。
これまで、曲の却下や変更が、何の相談もなく行われてきた。
もしかして彼は、この曲も振りたくなったのではないのだろうか。
もやもや雲が胸いっぱいに広がってきて息苦しい。
そんな気分でリハーサルを終え、アルベルトにはっきりと聞こうと思ったら、彼の方から話があるから近くのスタバに行こうと声がかかった。
歌手以外のメンバーと一緒に店の中に入り、各自の飲み物を手に席に座った。
「あれからよく考えたんだけど、ザンケルホールでの失敗は許されない。質の良い演奏をしなければならないことを考えると、ブラームスは今のオケでは無理だと思う」
「…(だからあの時、わたしたちはあんなに反対したんじゃない。それをゴリ押ししたのはあなただったでしょうが)」
「で、ブラームスのかわりにベートーヴェンの1番をしようと思う」
モーツァルトとベートーヴェン。
無難といえば無難だ。
でも、聴く側のお客さんは飽きないかなあ…。
今回もまた、違う理由で、オケのメンバーは渋い顔をした。
結局、わたしの話は出来ずじまいで別れた。
街まで迎えに来てくれた夫との待ち合わせ場所に向かう。
もやもやとぶすぶすが入り混じった心と、急に冬になったみたいな寒さについていけない体が、わたしをどんどん不機嫌にしていく。
空はこんなに晴れているのに。
あのクレーンが落ちてきたら大変だ。
黒いビルの右側は、ぶっといパイプがくっついている。
夫よ、メンクイ亭でお腹がいっぱいになるまで、ずっと機嫌が悪かったわたしを許してください。
美しい音楽を演奏する人たちの間にも、良い世界を願って活動する人たちの間にも、政治は存在する。
エゴやプライドが過剰になると、大小さまざまな衝突が発生する。
言った言わない、やったやらない、聞いた聞かない、見た見ない…。
思い込み、勘違い、説明不足や説明過多が生む衝突が、あちこちにゴロゴロ転がっている。
SNSは世界を広げ、気持ちの疎通を妨げた。
キーで打ち込まれていく言葉に、発信する側が込めた気持ちは、受信する側が読んだ途端に、受信する側の望む姿に変わってしまう。
想像する力は、送る側も受け取る側も、相手を尊重しているかどうか、好きかどうかで、強くなったり弱くなったりする。
友だちも同志も、どうしたって他人なんだから、大事な話をするときや話を曲解される可能性が大きいときは、少なくとも電話で、できたら会って話をするべきだと、
春からこれまでの半年の間に、しみじみ考えさせられた。
それで、先週行けなかったふみこさんちに、のんちゃんと一緒に押しかけた。
いつもの超〜ウマな一品料理の数々(写真はねぎ納豆をお揚げさんに詰めて焼いたもの)と、とんでもなく玄人はだしの和菓子。
話が弾みすぎて、あっという間の9時間?!
それでもまだ足りない。
終わり頃にはあっこちゃんもやって来た。
彼女は今、本当に大変な時を踏ん張って過ごしている。
乗りきれるには相当な気力が要るだろうし時間もかかるだろう。
でも彼女は、SOSのサインを出してくれた。
だから助けたり手伝ったりできる。
そこには政治なんてまったく関係がない、助けてほしい人と助けたい人がいるだけ。
気持ちが先にきちんとつながっていると、SNSでも気持ちが通じる。
想像すること、尊重すること、思いやることがまず一番にある人と人は、気持ちを歪めたり歪められたりする心配が無い。
夫がバーベキューコンロで焼いてくれた焼き芋と焼き茄子…うまかった〜…。
ここ数年の間にメンバーが少しずつ増えてきて、今現在は30名強の弦と木管金管の奏者が集まった。
これまでずっと、その楽団の指揮を務めてきたアルベルトが、ACMAのエグゼクティブディレクターの役目をニールに引き渡し、指揮活動に重点をおくことにしたのだけど、
それでもまだ大変だから、副主席の指揮を引き受けてくれる人を探したいと言うので、わたしは勢いよく「やらせてほしい」と手をあげた。
「え?まうみ、指揮できるの?」
「は、はい!(多分…)」
「経験があるの?」
「は、はい!(ちょびっとだけど…)」
コンサートは一部と二部に分かれていて、一部はオペラからの10分以内の小曲とバッハのピアノコンチェルト第1番、モーツァルトのピアノコンチェルト、二部はブラームスの交響曲第1番全楽章。
新米のわたしは、二部のオペラの小曲とバッハを振らせてもらうことになった。
さっそく楽譜を取り寄せて、ユーチューブの動画を使ったり、鏡の前に立っての基礎練習をしたりして、それはそれは張り切って練習を続けた。
ブラームスの交響曲第1番を演奏することについては、わたしは賛成できなかった。
なぜなら、オーケストラはまだ起動に乗り始めたところだし、各自がそれほど素晴らしい演奏能力を持っているというわけでもないからだ。
曲はいつもアルベルトが決めていた。
今回、ティンパニー奏者が見つかったからというのが、ブラームスの曲を決めた大きな理由だと聞いて、さらに反対したくなった。
確かにあの曲はティンパニーの存在が欠かせないのだけど…曲の選定の理由としてはいい加減過ぎる。
でも、彼自身の中ではきっぱりと決まってしまっていて、それをどう説得しても変えられないとわかったので、曲の変更について話し合われることはなかった。
その後、わたしがはたして指揮ができるのかどうか、それを確認するための練習日が設けられた。
その時に突然、バッハの曲は却下されたことを知った。
ものすごく練習して、ほぼ暗譜していたから、かなりがっかりしたけれどまあ仕方がない。
その練習には、ピアノでオーケストラパートを弾くアルベルトと、コンサートマスターのバイオリニストとソプラノ歌手が参加してくれた。
2時間のリハーサルを終えて、大丈夫だとみんなを安心させることができたのだけど、その後、これまた何の知らせもなく、今度はオペラの曲が変更された。
変更を受けて、またその新曲のためのテストリハーサルが行われ、それにも合格した。
今回は、ソプラノとアルトのデュエットで、やはりテンポやリズムがコロコロ変わる指揮者にとってはやりにくい曲だけど、
川辺に咲く花を愛でる二人の女性の姿や、美しい花や小川の流れが目に浮かぶような素敵な風景を、オケと歌手と一緒に、音で表せたらいいなあと思った。
それからまた、新曲の練習を重ねた。
独学ではなく、きちんとレッスンにも通うことにした。
するとアルベルトから、「最初の合わせ練習は、オーケストラのメンバーが動揺しないように、僕が振ることにするよ」と書かれたメールが送られてきた。
「まずは僕が曲の大体の形をまとめて、そのあとまうみにバトンタッチする方法がいいと思う」
ということで、今度は彼のためのリハーサルをやることになり、わたしがオーケストラパートのピアノ譜を2日で仕上げ、木管楽器主席と絃楽器主席の2名、それから歌手2名が集まった。
わたしはその日、オケパートを演奏することに専念したのだけど、アルベルトの指揮に合わせているうちに、どんどん不安になっていった。
これまで、曲の却下や変更が、何の相談もなく行われてきた。
もしかして彼は、この曲も振りたくなったのではないのだろうか。
もやもや雲が胸いっぱいに広がってきて息苦しい。
そんな気分でリハーサルを終え、アルベルトにはっきりと聞こうと思ったら、彼の方から話があるから近くのスタバに行こうと声がかかった。
歌手以外のメンバーと一緒に店の中に入り、各自の飲み物を手に席に座った。
「あれからよく考えたんだけど、ザンケルホールでの失敗は許されない。質の良い演奏をしなければならないことを考えると、ブラームスは今のオケでは無理だと思う」
「…(だからあの時、わたしたちはあんなに反対したんじゃない。それをゴリ押ししたのはあなただったでしょうが)」
「で、ブラームスのかわりにベートーヴェンの1番をしようと思う」
モーツァルトとベートーヴェン。
無難といえば無難だ。
でも、聴く側のお客さんは飽きないかなあ…。
今回もまた、違う理由で、オケのメンバーは渋い顔をした。
結局、わたしの話は出来ずじまいで別れた。
街まで迎えに来てくれた夫との待ち合わせ場所に向かう。
もやもやとぶすぶすが入り混じった心と、急に冬になったみたいな寒さについていけない体が、わたしをどんどん不機嫌にしていく。
空はこんなに晴れているのに。
あのクレーンが落ちてきたら大変だ。
黒いビルの右側は、ぶっといパイプがくっついている。
夫よ、メンクイ亭でお腹がいっぱいになるまで、ずっと機嫌が悪かったわたしを許してください。
美しい音楽を演奏する人たちの間にも、良い世界を願って活動する人たちの間にも、政治は存在する。
エゴやプライドが過剰になると、大小さまざまな衝突が発生する。
言った言わない、やったやらない、聞いた聞かない、見た見ない…。
思い込み、勘違い、説明不足や説明過多が生む衝突が、あちこちにゴロゴロ転がっている。
SNSは世界を広げ、気持ちの疎通を妨げた。
キーで打ち込まれていく言葉に、発信する側が込めた気持ちは、受信する側が読んだ途端に、受信する側の望む姿に変わってしまう。
想像する力は、送る側も受け取る側も、相手を尊重しているかどうか、好きかどうかで、強くなったり弱くなったりする。
友だちも同志も、どうしたって他人なんだから、大事な話をするときや話を曲解される可能性が大きいときは、少なくとも電話で、できたら会って話をするべきだと、
春からこれまでの半年の間に、しみじみ考えさせられた。
それで、先週行けなかったふみこさんちに、のんちゃんと一緒に押しかけた。
いつもの超〜ウマな一品料理の数々(写真はねぎ納豆をお揚げさんに詰めて焼いたもの)と、とんでもなく玄人はだしの和菓子。
話が弾みすぎて、あっという間の9時間?!
それでもまだ足りない。
終わり頃にはあっこちゃんもやって来た。
彼女は今、本当に大変な時を踏ん張って過ごしている。
乗りきれるには相当な気力が要るだろうし時間もかかるだろう。
でも彼女は、SOSのサインを出してくれた。
だから助けたり手伝ったりできる。
そこには政治なんてまったく関係がない、助けてほしい人と助けたい人がいるだけ。
気持ちが先にきちんとつながっていると、SNSでも気持ちが通じる。
想像すること、尊重すること、思いやることがまず一番にある人と人は、気持ちを歪めたり歪められたりする心配が無い。
夫がバーベキューコンロで焼いてくれた焼き芋と焼き茄子…うまかった〜…。