毎朝毎晩、大さじ山盛りをお湯に溶かしたわたし用の漢方を、エイっと覚悟を決めて飲む。
マンハッタンのソーホーにある診察所に11時。
9時45分発のマンハッタン直行のバスに乗って行けば十分間に合うだろう。
…と思ったのが甘かった。
ここは日本ではなくてアメリカなのだ。
それをすっかり忘れてた。
バスがやって来たのは、30分遅れの10時15分。
このバスは大抵10分から20分遅れるけれども、そしてたまーに通過時間より早い時間に来て、知らんふりしてスーッと走り去って行ったりもするけれども、
この時間帯だと滅多に道が混まないので、マンハッタンのミドルタウンまで30分もかからないだろうから、そこから地下鉄に乗ったらギリギリ間に合う。
念のために普段から用心深い夫にも聞いてみたら、大丈夫だと太鼓判をもらった。
だが…すでに30分遅れのバスが、ニュージャージーとマンハッタン島をつなぐリンカーントンネルのうんと手前から、とんでもない渋滞に巻き込まれてしまった。
やっと終点に到着した時にはもう11時25分になっていて、地下鉄の駅に走るよりタクシーに乗って行くほうが早いと思い、ウーバーの車を予約しようとしたら、なぜか支払いができなくて車を呼べない。
もうヤケクソで南下するアヴェニューまで走って行き、そこでタクシーを拾った。
タクシーに乗ってからも、なぜか街中の道がどこもかしこも混んでいて、時計を見るだけで心臓の鼓動が早まってしまうので目を閉じた。
11時45分。
やっと到着。
9階までのエレベーターがやけにゆっくりに思えた。
部屋に飛び込み、出迎えてくれた漢方医のダニエルと秘書の人に、ごめんなさい!ほんとにごめんなさい!と謝ったのだけど、もう診察時間はほとんど終わりだ。
バスやタクシーの中からメッセージを送っていたので、事情はわかってもらえているのだけど、次の患者さんが来るはずなので、脈診と舌の観察だけでもやってもらえたらありがたいと思っていた。
申し訳なさすぎて縮こまっているわたしに、ダニエルはニコッと笑って、「まあこちらへどうぞ」と隣の部屋に手招きしてくれた。
「もうこんな時間になってしまったので、また別の日に来ます」と言うと、「少しなら大丈夫だから」と、椅子を進めてくれた。
夫は今、2年間のカリキュラムで漢方を学んでいる。
ダニエルはその学校の先生なのだ。
先日、ダニエルが夫のために処方した漢方がすごく良さそうだったので、わたしも処方してもらおうと思ってお願いすることにした。
2、3枚の、すでにわたしについてのアレコレが書かれた紙に、ダニエルの質問に答えるわたしの言葉が書き足されていく。
大きな事故や事件が起こった15歳から31歳までの話は、診察時間が何時間あっても足りないからと、夫が先にダニエルにメールで伝えてくれていたのだけど、
ダニエルはその時その場で、わたしが目で見たこと耳で聞いたことを、さらに詳しく話して欲しいと言って、そのいちいちを書き込んでいった。
そしてわたしは、この夏に知った、とても大きな記憶違い(というより記憶をすっかり消して、全く違うものにすり替えていた)のことを話した。
ダニエルはその時、それまでよりも一番深くうなずいて、わたしの目を彼の目にくくりつけるように強く見つめた。
時間がとても気になったのだけど、ダニエルは一向に話を止めようとしない。
話を締め括ろうと、「結局何度も死にかけて、そのたびに助けてもらった人生だから、感謝しかありません」と言うと、
「僕も何度も死と直面しました」とポツリと言ったので、本当にびっくりした。
「こんなことを聞くのはいけないことかもしれませんが、もしよかったら理由を聞かせてもらえませんか」と言ってしまった。
すると何秒か間があいて、床からわたしの目に視線を戻したダニエルは、「親です」と答えてくれた。
「親?」
「そうです」
「虐待、ですか?」
「そう」
「おとうさん、ですか?」
「そうです」
「それも、死を意識するほどの…?」
ダニエルは薄く笑ってうなずいた。
今度はわたしが言葉を失くしてしまった。
「記憶がどこかで切れてしまったり、失ったり、全然違う状況にすり替えて覚えていたり、そういうことは起こります」
「そうしないと体や心が壊れてしまうギリギリのところで、意識の有る無しにかかわらず、脳が判断して、自衛のための行動を取るんだと思います」
漢方を処方する際には、その患者の人となりや体の様子を、とても丁寧な会話を通じて理解し、脈をとり、舌を診る。
脈を長い時間とりながら思案していたダニエルは、やっとその手を離したと思ったら、「痛みがとてもひどいですね」と言った。
「今は痛みは感じません」と言うと、「体ではなく心です」と言われた。
「心?」
「そうです、心です」
「そんなふうに言われるとは思っていませんでした」
「僕も、こんなふうに心が痛んでいる人を診たのは滅多にありません。トラウマの傷が深いので、そこから治していきましょう」
いい先生に出会えた。
結局ダニエルは、次の患者さんがいつも遅刻して来る人なのでと言って、たっぷり1時間診てくれた。
きっと昼食時間を犠牲にしてくれたのだと思う。
帰り道はゆっくり歩いた。
ゆっくり歩きながら、ダニエルがもうすでに軽くしてくれた心を感じていた。
漢方医は、漢方と言葉で、患者を治してくれるんだなあ。
夫も、鍼灸と漢方、そして患者さんとの会話で、心や体を癒すことができる鍼灸師・漢方医を目指している。
いい仕事だとあらためて思う。
マンハッタンのソーホーにある診察所に11時。
9時45分発のマンハッタン直行のバスに乗って行けば十分間に合うだろう。
…と思ったのが甘かった。
ここは日本ではなくてアメリカなのだ。
それをすっかり忘れてた。
バスがやって来たのは、30分遅れの10時15分。
このバスは大抵10分から20分遅れるけれども、そしてたまーに通過時間より早い時間に来て、知らんふりしてスーッと走り去って行ったりもするけれども、
この時間帯だと滅多に道が混まないので、マンハッタンのミドルタウンまで30分もかからないだろうから、そこから地下鉄に乗ったらギリギリ間に合う。
念のために普段から用心深い夫にも聞いてみたら、大丈夫だと太鼓判をもらった。
だが…すでに30分遅れのバスが、ニュージャージーとマンハッタン島をつなぐリンカーントンネルのうんと手前から、とんでもない渋滞に巻き込まれてしまった。
やっと終点に到着した時にはもう11時25分になっていて、地下鉄の駅に走るよりタクシーに乗って行くほうが早いと思い、ウーバーの車を予約しようとしたら、なぜか支払いができなくて車を呼べない。
もうヤケクソで南下するアヴェニューまで走って行き、そこでタクシーを拾った。
タクシーに乗ってからも、なぜか街中の道がどこもかしこも混んでいて、時計を見るだけで心臓の鼓動が早まってしまうので目を閉じた。
11時45分。
やっと到着。
9階までのエレベーターがやけにゆっくりに思えた。
部屋に飛び込み、出迎えてくれた漢方医のダニエルと秘書の人に、ごめんなさい!ほんとにごめんなさい!と謝ったのだけど、もう診察時間はほとんど終わりだ。
バスやタクシーの中からメッセージを送っていたので、事情はわかってもらえているのだけど、次の患者さんが来るはずなので、脈診と舌の観察だけでもやってもらえたらありがたいと思っていた。
申し訳なさすぎて縮こまっているわたしに、ダニエルはニコッと笑って、「まあこちらへどうぞ」と隣の部屋に手招きしてくれた。
「もうこんな時間になってしまったので、また別の日に来ます」と言うと、「少しなら大丈夫だから」と、椅子を進めてくれた。
夫は今、2年間のカリキュラムで漢方を学んでいる。
ダニエルはその学校の先生なのだ。
先日、ダニエルが夫のために処方した漢方がすごく良さそうだったので、わたしも処方してもらおうと思ってお願いすることにした。
2、3枚の、すでにわたしについてのアレコレが書かれた紙に、ダニエルの質問に答えるわたしの言葉が書き足されていく。
大きな事故や事件が起こった15歳から31歳までの話は、診察時間が何時間あっても足りないからと、夫が先にダニエルにメールで伝えてくれていたのだけど、
ダニエルはその時その場で、わたしが目で見たこと耳で聞いたことを、さらに詳しく話して欲しいと言って、そのいちいちを書き込んでいった。
そしてわたしは、この夏に知った、とても大きな記憶違い(というより記憶をすっかり消して、全く違うものにすり替えていた)のことを話した。
ダニエルはその時、それまでよりも一番深くうなずいて、わたしの目を彼の目にくくりつけるように強く見つめた。
時間がとても気になったのだけど、ダニエルは一向に話を止めようとしない。
話を締め括ろうと、「結局何度も死にかけて、そのたびに助けてもらった人生だから、感謝しかありません」と言うと、
「僕も何度も死と直面しました」とポツリと言ったので、本当にびっくりした。
「こんなことを聞くのはいけないことかもしれませんが、もしよかったら理由を聞かせてもらえませんか」と言ってしまった。
すると何秒か間があいて、床からわたしの目に視線を戻したダニエルは、「親です」と答えてくれた。
「親?」
「そうです」
「虐待、ですか?」
「そう」
「おとうさん、ですか?」
「そうです」
「それも、死を意識するほどの…?」
ダニエルは薄く笑ってうなずいた。
今度はわたしが言葉を失くしてしまった。
「記憶がどこかで切れてしまったり、失ったり、全然違う状況にすり替えて覚えていたり、そういうことは起こります」
「そうしないと体や心が壊れてしまうギリギリのところで、意識の有る無しにかかわらず、脳が判断して、自衛のための行動を取るんだと思います」
漢方を処方する際には、その患者の人となりや体の様子を、とても丁寧な会話を通じて理解し、脈をとり、舌を診る。
脈を長い時間とりながら思案していたダニエルは、やっとその手を離したと思ったら、「痛みがとてもひどいですね」と言った。
「今は痛みは感じません」と言うと、「体ではなく心です」と言われた。
「心?」
「そうです、心です」
「そんなふうに言われるとは思っていませんでした」
「僕も、こんなふうに心が痛んでいる人を診たのは滅多にありません。トラウマの傷が深いので、そこから治していきましょう」
いい先生に出会えた。
結局ダニエルは、次の患者さんがいつも遅刻して来る人なのでと言って、たっぷり1時間診てくれた。
きっと昼食時間を犠牲にしてくれたのだと思う。
帰り道はゆっくり歩いた。
ゆっくり歩きながら、ダニエルがもうすでに軽くしてくれた心を感じていた。
漢方医は、漢方と言葉で、患者を治してくれるんだなあ。
夫も、鍼灸と漢方、そして患者さんとの会話で、心や体を癒すことができる鍼灸師・漢方医を目指している。
いい仕事だとあらためて思う。