毎年10月の下旬にやってくる『インディアンサマー』。
今年は11月の頭にやってきた。
今日は半袖姿の人が多かった。
『インディアンサマー』というのは、晩秋から初冬にかけての、風が弱く穏やかで暖かい日が数日続く時のことを言う。
あと、気温や天気のことだけじゃなくて、「人生や時代が落ち着いてきた晩年期」とか、「晩年の穏やかで落ち着いた生活の続く一時期」などの意味があるらしい。
一時的っていう意味合いに、ちょっとドキンとしてしまうのはわたしだけだろうか…。
明日は雷が鳴るという予報が出ているので、多分それで気温が一気に下がり、また秋らしくなるのだろう。
昨日は子どもたちにとってはお楽しみのハロウィーンだったのだけど、今年はどうしても気分が乗らなくて、キャンディやチョコレートを買わないまま当日になってしまった。
朝からマンハッタンに出かけ、スタンディングをし、とんぼ返りで家に戻ってレッスンをしたら、買い物に行く気力も失せて、楽しみにやって来るだろう子どもたちに心の中で「ごめんね」を言いながら、家の中の明かりを消した。
ドアベルは3回鳴った。
この家の大人はもしかしたら、真っ暗な家の中から飛び出して、驚かせようって魂胆かもしれない。
なんて想像して、ドキドキしながらベルを押したんだろうなあ…。
ごめんね子どもたち。
来年はきっと、ちゃんと準備するからね。
このお方はずっと、この木に引っ掛けられたまま、ワハハワハハと笑っていた。
ぼちぼちとそれなりに色づいてきた紅葉を眺めながら、ついこの間年が明けたと思ったのに、もうあと2ヶ月で次の年がやって来るんだと、この時間の過ぎ方の早さにポカンとしてしまう。
年を取ると時間の過ぎ方がめちゃくちゃ早くなるって言うけど、いやいや、今どきは小学生だって同じことを言っている。
インターネットがどんどん発達してきたことが、原因の一つだって聞くけど、その通りだと思う。
ピーピーピージャンジャンジャンなんていう音を聞きながら、コンピューターの立ち上がるのを、5分近くかけて待っていた時から比べて、
今の社会には、数秒待つのも苦痛になるような、パッパッと物事が進むのが当たり前の感覚が蔓延している。
それほどさっさと済ませられるのだから、時間に余裕ができて、空を眺めたり町並みを眺めたりしてゆったりしているのかというと全く逆で、
どんどんどんどん、次から次へと、やること考えることを抱え込んで、なんでこんなに忙しいんだろうと悲鳴をあげている。
気がついたら木々が芽吹いていて、気がついたら花が咲いていて、気がついたら花が散って若葉になって、気がついたら紅葉してて、気がついたらすっかり葉が落ちてしまっている。
季節を感じる暇ぐらいあるだろうに、過ぎ去っていこうとする季節の尻尾を見て、ああ、もう行ってしまうのかと寂しくなる。
新年のお祝いが終わり、ヴァレンタインデーの大騒ぎが終わり、イースターで家族と会って、母の日でまたまた大騒ぎして、父の日は地味に終わり、独立記念日の花火を観て、夏休みを満喫し、ハロウィーンを楽しみ、感謝祭とクリスマスを家族で過ごす。
世の中は、次の行事の予告に余念が無い。
今はだから、スーパーなどの売り場では、感謝祭のメニューに合った食材や調理器具、グリーティングカードが強調されている。
ああ忙しい。
年の初めになると必ず、今年こそはもう少しゆったりとした毎日を送るぞと、けっこう真剣に思っているのだけど…。
多分来年もしばらくは無理だな。
史上最悪の安倍政権がまだ続いているだろうし、自分自身の作曲や指揮の勉強(多分ピアニカ演奏の特訓も加わる)にも励まなければならないし、
来週の火曜日の選挙でどんな結果が出るのかまだわからないけど、この国のトランプ政権も相当荒れているから。
人生の『インディアンサマー』は、まだもう少し先かな。
今年は11月の頭にやってきた。
今日は半袖姿の人が多かった。
『インディアンサマー』というのは、晩秋から初冬にかけての、風が弱く穏やかで暖かい日が数日続く時のことを言う。
あと、気温や天気のことだけじゃなくて、「人生や時代が落ち着いてきた晩年期」とか、「晩年の穏やかで落ち着いた生活の続く一時期」などの意味があるらしい。
一時的っていう意味合いに、ちょっとドキンとしてしまうのはわたしだけだろうか…。
明日は雷が鳴るという予報が出ているので、多分それで気温が一気に下がり、また秋らしくなるのだろう。
昨日は子どもたちにとってはお楽しみのハロウィーンだったのだけど、今年はどうしても気分が乗らなくて、キャンディやチョコレートを買わないまま当日になってしまった。
朝からマンハッタンに出かけ、スタンディングをし、とんぼ返りで家に戻ってレッスンをしたら、買い物に行く気力も失せて、楽しみにやって来るだろう子どもたちに心の中で「ごめんね」を言いながら、家の中の明かりを消した。
ドアベルは3回鳴った。
この家の大人はもしかしたら、真っ暗な家の中から飛び出して、驚かせようって魂胆かもしれない。
なんて想像して、ドキドキしながらベルを押したんだろうなあ…。
ごめんね子どもたち。
来年はきっと、ちゃんと準備するからね。
このお方はずっと、この木に引っ掛けられたまま、ワハハワハハと笑っていた。
ぼちぼちとそれなりに色づいてきた紅葉を眺めながら、ついこの間年が明けたと思ったのに、もうあと2ヶ月で次の年がやって来るんだと、この時間の過ぎ方の早さにポカンとしてしまう。
年を取ると時間の過ぎ方がめちゃくちゃ早くなるって言うけど、いやいや、今どきは小学生だって同じことを言っている。
インターネットがどんどん発達してきたことが、原因の一つだって聞くけど、その通りだと思う。
ピーピーピージャンジャンジャンなんていう音を聞きながら、コンピューターの立ち上がるのを、5分近くかけて待っていた時から比べて、
今の社会には、数秒待つのも苦痛になるような、パッパッと物事が進むのが当たり前の感覚が蔓延している。
それほどさっさと済ませられるのだから、時間に余裕ができて、空を眺めたり町並みを眺めたりしてゆったりしているのかというと全く逆で、
どんどんどんどん、次から次へと、やること考えることを抱え込んで、なんでこんなに忙しいんだろうと悲鳴をあげている。
気がついたら木々が芽吹いていて、気がついたら花が咲いていて、気がついたら花が散って若葉になって、気がついたら紅葉してて、気がついたらすっかり葉が落ちてしまっている。
季節を感じる暇ぐらいあるだろうに、過ぎ去っていこうとする季節の尻尾を見て、ああ、もう行ってしまうのかと寂しくなる。
新年のお祝いが終わり、ヴァレンタインデーの大騒ぎが終わり、イースターで家族と会って、母の日でまたまた大騒ぎして、父の日は地味に終わり、独立記念日の花火を観て、夏休みを満喫し、ハロウィーンを楽しみ、感謝祭とクリスマスを家族で過ごす。
世の中は、次の行事の予告に余念が無い。
今はだから、スーパーなどの売り場では、感謝祭のメニューに合った食材や調理器具、グリーティングカードが強調されている。
ああ忙しい。
年の初めになると必ず、今年こそはもう少しゆったりとした毎日を送るぞと、けっこう真剣に思っているのだけど…。
多分来年もしばらくは無理だな。
史上最悪の安倍政権がまだ続いているだろうし、自分自身の作曲や指揮の勉強(多分ピアニカ演奏の特訓も加わる)にも励まなければならないし、
来週の火曜日の選挙でどんな結果が出るのかまだわからないけど、この国のトランプ政権も相当荒れているから。
人生の『インディアンサマー』は、まだもう少し先かな。