ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

矢部宏治著「知ってはいけない2 日本の主権はこうして失われた」を読んで知らなければいけない!

2018年11月12日 | 日本とわたし
日米地位協定の見直しが今やっと、国会や報道の中で、チラチラと語られるようになってきました。
日本が直面している、いえ、長年抱え続けてきている問題が、かなり深刻なものだとは思っていましたが、この問題を一人一人がきちんと捉えるべきものだと、改めて考えさせられました。

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岸がアメリカ政府やCIAとのあいだで結んだ、国民の知らないあまりに異常な合意が、いま「戦後日本」という国に大きな危険をもたらしている。

自国の軍事主権を完全に他国の手に委ねることは、ほとんど自殺行為に近い暴挙。

軍事主権の放棄とは、戦争を「始める権利」の放棄であると同時に、戦争を「しない権利」の放棄でもある。

国家にとってそれほど危険な状態はない。

「朝鮮戦争の終戦」という、世界史レベルの変化が起こりつつあるいま、
私たち日本人には、かつて自国の首相が結んだ「誤った密約」の存在に、真正面から向き合い、「ポスト戦後日本」の行方を正しく選択する、大きな歴史的使命が与えられている。

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デモクラTV マエキタミヤコ・伊勢崎賢治「 RADIO HIKESHI Live!」第37回 ゲスト:矢部宏治





なぜ日本は、アメリカによる「核ミサイル配備」を拒否できないのか
理由は岸が結んだ「密約」にあった
【GENDAI.ISMEDIA】2018年11月2日

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58278

◾️主権の回復へ向かう韓国と、状況が悪化する日本

1年前には誰も予想できなかったことだが、今年の3月、突然朝鮮半島で劇的な南北の緊張緩和が始まり、6月には歴史的な米朝首脳会談も行われた。
平和条約締結へのタイムテーブルはまだわからないが、「終戦宣言」そのものは、いつ出されてもおかしくない状況となっている。

一方、先月〔10月〕の20日、アメリカのトランプ大統領は、約30年間続いたロシアとの中距離核ミサイル(INF)全廃条約の破棄を表明した。

私のような日米の軍事上のウラの取り決めばかりを見ている人間からすれば、一見、矛盾するように見える、この2つの動きの意味するところは明らかだ。

つまり、スピードはどうあれ、すでに制空権を失い、反米軍基地運動も強力な韓国から、やがて米軍は撤退していく。
その過程で、日本にとって「対米従属の最後のお友達」だった韓国の国家主権も、しだいに回復していくことになるだろう。

しかしその一方、日本の状況は悪化する。
同じく制空権を失った、すべての自衛隊基地と米軍基地のあいだで共同使用が進み、そこにやがて対中国・ロシア用の中距離核ミサイルが配備されることになる。
そして米軍の主要部隊は、グアムその他へ撤退するが、「共同基地」に配備された核ミサイルの発射ボタンは、米軍が握り続けるのだ……。

たんなる悪夢だと思われるだろうか。
そうではない。
すでに何十年も前から、「全自衛隊基地の米軍共同使用」と「日本の陸上基地への核ミサイルの配備」は、アメリカの軍産複合体が具体的な目標としてきた現実なのだ。
日本国民の抵抗が弱ければ、必ず実現するだろう。

なぜ韓国にできる国家主権の回復が、日本にだけはできないのか。
最新刊『知ってはいけない2——日本の主権はこうして失われた』を書く過程でわかったことだが、
その最大の原因は、現在の安倍首相の祖父である岸首相が、「安保改定」で結んだ「3つの密約」にあったのである。


◾️岸が結んだ密約中の密約『討議の記録』

みなさんは『討議の記録』という密約文書について、聞いたことがあるだろうか。



これは、安保改定時に、岸政権がアメリカ政府と結んだ、「密約中の密約」といっていいほど重要な超極秘文書(藤山外務大臣がサインした)なのだが、
おそらく普通の人はほとんどその名前さえ知らないだろう。

戦後日本における圧倒的な米軍従属体制(いわゆる「安保村」)のなかで、この密約文書は、50年ものあいだ、その存在を隠蔽され続け
いまからわずか8年前(2010年)になって、ようやく「文書の存在」そのものは公認されたものの
その後も、外務省から、「こんな文書に効力はない」と、その法的有効性を否定され続けているからだ。

現在も、日本のほとんどの有識者たち(大学教授、官僚、メディア関係者)が、この外務省の説明を疑わずに信じている
その意味で、やはり、「戦後日本(=安保村)」における社会科学の知的レベルは、世界一低いと言っていいだろう。

いかなる形態の文書であれ、外務大臣がサインした文書に法的拘束力があることなど、日本以外の国では高校生でも知っている事実だからである(「条約法に関するウィーン条約」第2条・7条・11条他を参照)。


◾️「討議の記録」に書かれた驚くべき内容

ここで、その「討議の記録」という密約文書の驚くべき内容を、ごく簡潔に紹介しておこう。

1960年1月6日、安保改定の調印(同19日)から約2週間前、岸政権の藤山外務大臣と、アメリカのマッカーサー駐日大使(有名なマッカーサー元帥の甥)によってサインされたその文書には、次の4つの密約条項が明記されていた(以下、著者による要約。〔 〕内は補足説明部分)。



いかがだろうか。
この4つの密約条項を読んで、「ふざけるな!」と、腹の底から強い怒りがわいてくると同時に、
「ああ、そうだったのか」と、これまで不思議に思っていたさまざまな出来事の意味が、すっきり腑に落ちた人も多いのではないだろうか。

つまり、これらの密約をまとめると、
米軍は日本国内において、「事前協議なしでの核兵器の地上配備」以外は、ほぼ何をやってもいいし(上記AとCによる)、
事実上、日本の基地から、自由に他国を攻撃してもいい(上記BとDによる)ということになるからだ。

さらに、岸首相自身が、晩年の回顧録(*)で明らかにしているように、
たとえ将来、これまで一度も行われたことのない日米間の「事前協議」が、形式上行われたとしても、
そこでアメリカ側が、日本の陸上基地への核ミサイルの配備を提案したら、日本政府がそれを拒否するケースは最初から想定されていない
のである。



(詳しくはあとで述べる『知ってはいけない2――日本の主権はこうして失われた』の第3章・p.137本文と注を読んでいただきたいが、
ほぼ間違いなく、「緊急時には事前通告により核ミサイルの地上配備を認める」という「沖縄核密約」と同じ密約が、本土についても口頭で結ばれているものと思われる)

(*)
「条文でどうなっていようと、本当に危急存亡の際、事前に協議して熟慮の結果、拒否権を発動するに決めてノーと言ったからといって、それが日本の安全に効果があるかどうかは議論するまでもないだろう」『岸信介回顧録―保守合同と安保改定』広済堂出版


◾️岸が犯した〝最大の罪〟

なぜそのような馬鹿げた状態が、これまで半世紀近くも続いてきてしまったのか

それには理由がある。

安保改定で岸が犯した最大の罪は、この軍事主権を放棄したとんでもない内容の取り決めを、「国民に知らせず結んだ」ことだけでなく、それを「結んだあと、破って捨てた」ということなのだ。

つまり、この「討議の記録」については、すべて民間から登用した「親友」の藤山にだけ責任を負わせ、自分は知らぬ存ぜぬを決め込んで、次の政権(池田政権)にも引き継がなかったのである。

岸が、満州時代に述べた、有名な「政治哲学」として、

「政治資金は、濾過器(ろかき)を通ったきれいなものを受け取らなければいけない」
「問題が起きたときには、その濾過器が事件となるので、受け取った政治家はきれいな水を飲んでいるのだから、掛かり合いにならない」


という言葉があるが、要するに、安保改定において岸は、親友だった「藤山という政治的濾過器」を使って、密約の問題を処理したわけだ。




◾️改ざんされていた外務省の最重要文書

この、岸の信じられない行動が原因で、その後、日本の外務省は大混乱に陥り、対米交渉能力を完全に喪失していくことになる。
その過程で起こった象徴的な出来事が、今回、私が本を書く過程で発見した、「外務省における公文書改ざん」事件である。



上の図版を見てほしい。
これは、外務省が、問題の「討議の記録」について、「こんな密約に法的根拠はない」と主張する最大の根拠としてきた、極秘文書(「核兵器の持ち込みに関する事前協議の件」)である(*)。

ところが、この「安全保障課y(のちに北米局安全保障課長となる山下新太郎氏)」という、記述者名が書かれた4枚の「極秘報告書」の後半(「1」「2」と各パートの冒頭に番号が打たれた「2」の部分)が、突然まったく別人の筆跡になっているのだ。

すでに正式な筆跡鑑定もしたが、「前半(1・2枚め)」と「後半(3・4枚め)」の文字を実際に比べてみれば、それが別人の手によるものであることは、どなたにでもすぐにおわかりいただけるだろう。



なぜ、外務省がこんなことをしたかというと、日本国民に対して絶対に明らかにできない、「米軍艦船による核兵器の持ち込み」を、「そんなことは絶対に行われていない」と強弁するための、隠蔽工作だった

そして、そうした外務省の論理的な矛盾は、1974年に頂点に達する。
というのもこの年、佐藤首相が、「非核三原則」でノーベル平和賞を受賞する一方、
なんとその前年には、核攻撃用の爆撃機を多数搭載した、航空母艦ミッドウェイの「横須賀・母港化」(=これは小規模の核攻撃基地を国内に設置したに等しい行為だ)が、実現していたからである。

以後、このあまりに巨大な矛盾を、アメリカ側から絶対に公表されたくない外務省が、対米交渉能力を完全に喪失していったのは、極めて当然だったと言えるだろう。

そのため外務省は、2ページめのマンガの3コマめにあるように、「討議の記録」を約半世紀に渡って金庫にしまいこみ、その存在を否定しつづけるしかなかった

しかしその一方でアメリカは、もともと、同じマンガの4コマめにあるように、
「討議の記録」の内容を2つに分割した「基地権密約文書」〔=日本の国土の軍事利用についての密約〕と、「朝鮮戦争・自由出撃密約文書」〔=他国への軍事攻撃についての密約〕という、2つの密約文書を、「討議の記録」と同じ日に藤山にサインさせ
前者は日米合同委員会、後者は日米安保協議委員会という、安保条約にもとづく密室の協議機関の議事録に、それぞれ編入していた

その結果、日本人は誰一人、その正確な意味を知らない、とんでもない内容の取り決めであるにもかかわらず、
「討議の記録」のほとんどすべての内容が、新安保条約・第6条にもとづく正式な日米合意として、日米の協議機関に受け継がれ、
安保改定で回復したはずの日本の国家主権は、再び激しく奪いとられていくことになった
のである。

(*)外務省「いわゆる「密約」問題に関する調査結果報告対象文書(35点)の「1.1960年1月の安保条約改定時の核持込みに関する「密約」問題関連」P.84-87参照/ https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/mitsuyaku/pdfs/t_1960kaku.pdf


◾️親米路線がもたらす〝大きな危険〟

みなさんもよくご存じのとおり、岸は、獄中のA級戦犯容疑者の身から、わずか8年で日本の首相となる過程で、早くからCIAの協力を得ていた政治家だった。
そうした異常な環境が、彼の密約についての、同じくあまりに異常な行動に関し、どのような影響を及ぼしていたのか
それを短く説明することは、とてもできない。

そこで、版元の講談社の許可を得て、その背景を説明した『知ってはいけない2』の第3章を、特設サイトで全文公開することにする(「ウェブ立ち読み」のPDFをご覧ください)。

その本当の経緯を、多くの人が正確に理解することが、今後の日本社会の進路と選択を考える上で、非常に重要な意味を持つと思うからだ。

岸を過剰に評価したり、逆にたんなる売国奴として切り捨てることは、おそらくどちらも間違いである。
彼が確立した親米路線のなかで、その後日本は、大きな経済的繁栄を遂げることになった。

しかし、その過程で、岸がアメリカ政府やCIAとのあいだで結んだ、国民の知らないあまりに異常な合意が、いま「戦後日本」という国に大きな危険をもたらしている

なぜなら、自国の軍事主権を完全に他国の手に委ねることは、ほとんど自殺行為に近い暴挙だからだ。
少し想像してほしい。

今年の2月までの米朝の軍事的対立期に、もし米軍が日本の基地から北朝鮮を攻撃したら、私たちの未来にどんな悲劇が待ち受けていただろう。
もしも、米軍が、核兵器の地上配備を行っていたら、私たちはどれほど深刻な危険にさらされていただろう。


軍事主権の放棄とは、戦争を「始める権利」の放棄であると同時に、戦争を「しない権利」の放棄でもある
国家にとってそれほど危険な状態はないのだ。

「朝鮮戦争の終戦」という、世界史レベルの変化が起こりつつあるいま、
私たち日本人には、かつて自国の首相が結んだ「誤った密約」の存在に、真正面から向き合い、「ポスト戦後日本」の行方を正しく選択する、大きな歴史的使命が与えられている
のである。


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無料立ち読みマンガより(以上に載せた2枚以外のもの)






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デニー知事「日米両政府が辺野古の新基地計画を断念するまで、みんなでぜひ動いていこうではありませんか」

2018年11月12日 | 日本とわたし




デニーさんの言葉を文字起こししました。
質疑応答は、また体力が戻り次第、作業させてもらいます。

ニューヨークのみなさま、はじめまして。
沖縄県知事の玉城デニーと申します。
どうぞよろしくお願いいたします。

見た目はほぼアメリカ人なんですが、だけど英語はあまり話せないので、今日は日本語で話をして、目方さんに通訳をしていただきますのでよろしくお願いいたします。

まず最初に、今日の講演の準備には、島袋マリア先生にとてもお世話になりました。
まず初めに感謝いたします。
ありがとうございました。
そして今日、ほんとにたくさんの皆さんにおいでいただきました。
本当にありがとうございます。

先ほどのご紹介にもありましたが、私は国会議員を務めていた2009年から2018年までは、3回アメリカを訪問しました。
今年の9月30日に選挙で当選して、10月4日に沖縄県知事に就任してからは、もちろん初めてです。

これまでは主に、ワシントンDCを中心に、訪米活動を行なっていましたが、
今回は多様性の持つ力、沖縄の民主主義の誇りをテーマにお話しするために、アメリカでも多様性にあふれている都市ニューヨークを、県知事としてアメリカでの活動をスタートする場所に選びました。

沖縄は、第二次世界大戦後、73年間も米軍基地の問題と戦い続けています。
今、名護市辺野古の新基地建設をめぐり、後戻りできない事態へと追い込まれています。

今後、どのような手段で、この埋め立てを阻止していくのか、そのために何か具体的な策があるのか、日本のメディアは、新しく県知事になった私の決断に注目しています。

私はここで、なぜ沖縄が、このような状況に追い込まれているのか、日本とアメリカの安全保障体制の過剰な負担をなぜ、沖縄だけが背負い続けているのか、皆さんに話をさせていただきたいと思います。

そして、沖縄だけに解決策を問うのではなく、日本とアメリカの市民の皆さんが、自分のこととして捉えていただき、一緒に解決策を考え、太平洋を越えて繋がって、行動する輪を広げていただきたいという思いで、これからお話をさせていただきます。

さて、私は1959年、日本のいちばん南にある小さな島、沖縄に生まれました。
私の父は米国人で元海兵隊員、母は日本人です。
母は80歳を過ぎて元気です。
笑顔のとてもチャーミングな人です。
しかし、私は父の顔も出身地も知りません。
私がまだ母のお腹にいた時に、父が先にアメリカに帰還することになり、母は私を産んでから、アメリカに渡るという約束でした。
ところが生まれてから後、母はアメリカに渡ることを断念し、沖縄で私を育てました。
手紙も写真も、母は、悔いを残すからと、全て焼いてしまいました。
このような形で、日米双方の関係を持つ子どもたちは、少なくありません。
しかし私は、幼い頃は、外見が違うというだけで、いじめに遭ったりもしましたが、私を実の母以上に可愛がってくれた養母は、差別や偏見が心の傷にならないように、優しく教えてくれました。

ですから私は、自分の生い立ちを肯定していますし、海兵隊の基地周辺にある、飲み屋で働いている女性たちの、食事や洗濯などの世話をする賄いが生活をするための仕事だった私の母の姿をよく知っています。

つまり私にとっての米軍基地とは、政治的な問題というよりも、日常生活の延長に見ていたものです。
基地を抱えながら生活をしてきた、ウチナーンチュの現実でもあったわけです。

沖縄における多様性は、生きるためのたくましさを必要としながらも、人としてのチムグクル、真心を決して失ってはいけないというアイデンティティとして、私たち沖縄県民が誇りに思っているマブイ(魂)でもあります。

普段のウチナンチュは、兵隊とほとんど揉めたりしません。
しかし沖縄は今、辺野古で新基地建設を強行しようとしている、日本とアメリカの両政府とぶつかっています。

この対立は、反米とか、あるいは反基地というイデオロギー的な主張ではなくて、これ以上基地はいらないという、生活者のリアルな声です。

細かい点については、今日皆さんに資料をお配りしていますので、どうぞそちらをご覧ください。


辺野古の新基地問題をめぐる沖縄の現状について、簡単にご説明いたします。

沖縄県の人口は今、145万人です。
現在は、ハワイと肩を並べるくらいに、好調な観光産業を中心に発展しています。

県全体から見る基地の関連収入は、わずか4%から5%にしか過ぎません。
沖縄は基地経済に依存しているわけではないのです。
沖縄の国土の面積は、日本全体のわずか0.6%です。
その小さな沖縄に、日本全国の70.3%もの、米軍専用基地が集中しています。


圧倒的な集中であるにも関わらず、日本政府はさらに、新たな米軍基地の建設を辺野古で強行しています。


これには、沖縄の県民の60%から70%が反対しており、翁長雄志前沖縄県知事も、そして私も、新基地建設反対という民意で、選挙では相手候補に大きな票差をつけて、県知事選挙で圧勝しています。

沖縄が現在直面している政治問題として、私は、全ての米軍基地の即時閉鎖ではなく、辺野古の新基地建設という、沖縄県民に対しての、さらなる負担の増加に反対しているのです。

沖縄に米軍基地が集中している理由について、日本の政治家や評論家は、アジアに近い地理的優位性や戦後の安全保障上のことなどを理由に挙げています。

この米軍基地が沖縄に造られてきた経緯を観察すると、米軍が基地建設を試みた1950年代に、日本本土での反対闘争が凄まじかったことや、かつて防衛大臣を担った方の発言にあるように、九州でも西日本にでもいいが、政治的に沖縄、というように言っています。

それは米軍にとって都合がいいのではなくて、日本政府にとって沖縄に置く方が、手っ取り早い。日本国民からの反対を避ける意味でも、基地が集中している沖縄しかない、という考えにこだわっているとしか思えません。

しかし、残念ながら、日米安保は支持する、けれども米軍基地は来ないでくれ、という矛盾が、日本の国民の中にもあります。
しかし、その民主主義の矛盾を、当たり前のように押し付けられているのが沖縄なのです。

日本が民主主義の国家であるというのであれば、米軍基地を巡って、政府と国民の間にある矛盾に向き合い、それを解決するべきです。

その矛盾を沖縄に押し付けられている以上、沖縄のことを抜きにして、日本の民主主義の問題を解決することは不可能であると、沖縄は言わざるを得ないわけです。

沖縄県は、8月31日に、辺野古の新基地建設に伴う埋め立て承認を撤回しました。
これに対して政府は、国民の権利、利益の救済を目的とする行政不服審査法を用いて、撤回の効力を無力化しました。
本来このやり方は、国民が政府と戦うために使う権利なんですが、日本政府は、辺野古の新基地建設工事を再開させるために、政府が私人に成りすまして、法の趣旨を捻じ曲げています。


沖縄県は、法治国家にあるまじき行為だとして、強く批判しています。
米軍基地を優先するために、政府は、法の例外規定まで押し付けているわけです。

しかし、こうした問題は、日本にだけにとどまりません。
アメリカも当事者です。
沖縄県は、沖縄と日本と米国と、この三者対話を持ちたいと切望していますが、アメリカは沖縄に対して、それは日本国内の問題だと片付けてしまいます。
沖縄がアメリカに直接、米軍基地に関する苦情を訴えると、アメリカは苦情を日本政府に回します。
そして日本政府は、地位協定などを理由として、沖縄からの苦情を切り捨てるわけです。
沖縄からの民意の声は最初から無かったかのように消されていくのが常となっています。


非常に残念なんですが、この民意の声をしっかりと受け止め、私、あるいは私たちが、責任を持って解決しようと主張する政治家は、アメリカにも日本にもいません。

こうした国際社会のもとで、沖縄県民はいったい、どのようにして声を上げることができるというのでしょう。

基地を造る日本、基地を使うアメリカ、どちらも責任の当事者であるはずですが、その基地を押し付けられている沖縄からの声は、どこに届ければいいのでしょうか?

民主主義のあるべき姿を、私たち沖縄県民は、どこでつかむことができるのでしょうか?

民主主義の尊厳をアメリカとともに分かち合いたいという、沖縄県民の心からの願いは、どのようにすれば繋がることが可能なんでしょうか?


沖縄県は、政治的かつ法的な、あらゆる手段を尽くして、辺野古の新基地建設を阻止しようとしています。

しかし、政府の扉と法律の門は、閉じつつあるという厳しい現実に直面しています。

沖縄は一体、いつまで政府の扉の前で、待たなければならないのでしょうか?

一体いつまで、法律の門の前で、待たなければならないのでしょうか?

そうした沖縄に対する扱いを、まるで植民地のようだと反発する沖縄県民も少なくありません。

沖縄の立場から見た場合、日本は法治国家であるという政府のコメントに対して、自作自演と言わざるを得ないのです。

そうでないとするならば、民主主義の誠意を持って、沖縄と真摯に対話をするべきです。


さて、第二次大戦後、アメリカは沖縄を、太平洋の要石、キーストーンと呼びました。
米軍の軍事戦略において沖縄は、太平洋から東アジアへの鍵であるという意味です。

しかし、これまで説明してきたように、沖縄を常に、民主主義からも法律からも例外的な存在に置き続けていくならば、その鍵の石は、沖縄から激しい反発が飛び散っていく、パンドラの箱の鍵に変わってしまうかもしれません。

そうなれば、日米両国と沖縄県民との間に、修復不可能な亀裂が生じてしまうでしょう。
翁長雄志前知事も、沖縄の民意をおろそかにすることは、安全保障体制を敷く日本とアメリカの両国の政府に対して、大きな反発が起こりうるかもしれないと警鐘を鳴らしていたのです。

私は沖縄県知事として、米軍基地が駐留する地域の民意を、尊重するよう呼びかけたいのです。

日本はアメリカにとって最も重要な同盟国の一つですが、一方で、沖縄を民主主義の手続きから排除するという姿勢を支えています。

私が考えますに、沖縄にとっての安全保障体制は、右か左かというイデオロギー的な政治問題ではなく、日常生活に根ざしたリアリティなのです。

だからこそ翁長雄志前知事は、イデオロギーよりアイデンティティだと主張していたのです。
つまり、イデオロギー的、反米的なことではなく、日常生活の中から、国の政治について考えるという、民主主義の魂が沖縄に根づいているわけです。

沖縄県民は、日米両政府が、矛盾を押し付けられましたが、その矛盾をチムグクルで包み込み、多様性へとウチナンチュは変えてまいりました。

その一例となるのが、沖縄本島南部の糸満市にある、平和の礎(いしじ)です。
沖縄戦においては、民間人約10万人を含む、20万人以上の方々が亡くなりました。
平和の礎には、国籍を問わず、亡くなった全ての人々の名前が刻銘されており、新たに確認された方々の名前も、追加で刻まれています。

これは、沖縄の多様性を反映している大切な事業の一つです。

私の母の父親、つまり私の祖父と、二人の叔父の名前も刻まれています。

このように、苦い苦しみの経験も含めて、平和への思いを大事に育んできたからこそ、沖縄県民は、日米両政府が強行する、辺野古新基地に反対を主張するのです。
新基地はいらないと主張しているわけです。

アメリカではおそらく、沖縄の問題はあまり報道されない、あるいは、知られていないという現実があるかもしれません。

しかし私はこのことを、とても不思議に思います。
なぜなら、1945年の沖縄戦から現在に至るまで、多くの数のアメリカ人が、沖縄に駐留してきているからです。

ですから、実際には、アメリカと沖縄の関係は、非常に深いと言えます。
この深い関わりの中から、私も生まれてきたのです。

政治家が沖縄の運命を決めるのかもしれませんが、その沖縄を知っているのは、政治家よりも、多くのアメリカの元軍人や、軍属や、その家族なのではないのでしょうか?

沖縄のダイバーシティというのは、私のような存在であり、米兵と結婚して渡ってきた、今アメリカにいらっしゃる沖縄の女性たちであり、そして親から沖縄の魂を受け継いだ子どもたちであり、そして沖縄にふれてきた数多くの軍人、軍属なのです。

私はこのダイバーシティを、誇るべき民主主義の力に、ぜひ変えて欲しいんです。

米軍が沖縄に来て、73年になります。
米軍がせめて、キーストーンである沖縄の声ぐらいは聞くという敬意を払って欲しいと思っています。

アメリカは沖縄を、日本国内の問題に閉じ込めていますが、実は沖縄の中でも、アメリカの民主主義が問われているのです。

ですから私は、米国政府をはじめ、沖縄に駐留したアメリカ人、そしてそのご家族の方々にも、沖縄の問題を自分の問題のこととして考えて欲しいんです。

膨大な数の軍人が、海外の基地に駐留するという現実からいえば、アメリカ軍の基地の問題は、アメリカの問題と同等に扱われるべきであり、アメリカの民主主義もまた、国境を越えるべきではないかと私は考えるんですね。

保存されるべき豊かな自然環境と、互いの友情を将来の子どもたちにつなげるために、正しいと心から信じる声と行動が必要です。

お互いの沖縄のために、皆さん立ち上がって、ぜひ行動してください。

あなたの国の政府に、アメリカの民主主義の誇りを沖縄にも届けるように、どうぞ要求してください。

沖縄県民に残された時間はあまりありません。
しかし、みんなが立ち上がれば、変化が起こります。
変化が大きく早くなるほど、状況は大きく早く変わります。
日米両政府が、辺野古の新基地計画を断念するまで、みんなで、ぜひ、動いていこうではありませんか。







デニーさんをお迎えする準備中。たくさんの作業をほんとにありがとうございました!


歌の歌詞。


ワシントン・スクエアに集まって、














講演会会場のニューヨーク大学へ








そしてお出迎え


嬉しくてピョンピョン飛び跳ねてるわたしたちが、ニュース画面に映ったそうです…。

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