現在茶道の流派の代表といえば、千利休に繋がる表千家と裏千家です。
5) 千宗旦の子供達の三千家
利休の孫の宗旦が、千利休本来の「わび茶」を再興しますが、宗旦の子供達が興したのが
この「三千家」です。茶道は町人の階級にも広がりを見せるに従い、有力な勢力に成ります。
・ 実際に三家は(久田家を含)互いに養子を出し合い、共同で制度整備に当ています。
各々を別流派と見なす様になるのは、明治以降の事です。
① 表千家 : 千宗左(宗旦の三男 )が利休伝来の不審庵(ふしんあん)に住み、利休の正統を
継いだ事から始まります。表千家より、幾つかの分派が発生します。
) 松尾(まつお)流: 表千家六世覚々斎宗左に師事した松尾宗二は、分派し名古屋に
茶道を広めます。
) 三谷(みたに)流: 表千家六世覚々斎宗左に師事した三谷宗鎮は後に、安芸浅野藩に
召抱えられ一派を興こします。
) 江戸千家 流 : 川上不白が、 表千家七世如心斎の命を受け、江戸に下向して分派したもので
不白の死後、分派が進みます。
a) 不白(ふはく)流(表千家不白流): 比較的現代になってから、江戸千家流より
分派して結成します。開祖は川上宗順 です。
) 堀内(ほりのうち)流: 表千家の茶で、利休流茶道の分派。堀内浄佐が開祖です。
② 裏千家 : 千宗室(宗旦の四男)が宗左に不審庵を譲り、今日庵(こんにちあん)一世を
称したのが始まりです。
茶道諸流派中最大の流派で、茶道人口の過半数は 裏千家門下であるとみられています。
) 速水(はやみ)流 : 速水宗達が 岡山池田藩に茶道として赴く際に、裏千家八世
又玄斎宗室に奥義を受けて分派します。
岡山県を中心に広まり、古式の点前作法が余り変わらず、現存しています。
③ 武者小路(むしゃのこうじ)千家 : 千宗守(宗旦の次男) 宗守が晩年、武者小路に
官休庵(かんきゅうあん)を建て、官休庵一世を称したのに始まります。
宗家は「宗守」を名乗り、後嗣(あとつぎ)は「宗屋」、隠居後は「宗安」を名乗る伝統が
あります。 現在の家元は14代目になり、不徹斎千宗守と言います。
・ 分家(新たな流派)の禁止
『千家を名乗るのは表千家、裏千家、武者小路千家(の嫡子)とし、二男三男にはこれを
名乗らせない』と、表千家七代目、如心斎が定め、裏千家と武者小路千家もこれを了承し、
茶道の千家といえば、表千家、裏千家、武者小路千家の三家のみに限定され、分派する事は
なくなりました。
6) 肥後古流(肥後古流三家)古市流、小堀流、萱野(かやの)流
肥後古流(ひごこりゅう): 熊本藩で伝承された茶道の流派の一つ。
千利休の流儀をそのまま「古風の茶の湯」を伝えているとの事です。
① 流古市(ふるいち)流: 古市宗庵 が江戸初期、細川忠利(三斎の子)に藩の茶道方として
当用された事に始まります。
② 小堀 流: 宗庵の高弟の小堀長斎 が、江戸初期、師と共に藩の茶道方を勤めた事に始まります。
③ 萱野(かやの)流: 宗庵の高弟 の萱野隠斎が 江戸初期、師と共に藩の茶道方を勤めた事に始まる。
7) その他の流派
① 南坊(なんぼう)流 、立花流 : 筑前黒田家家臣の立花実山は、「南坊録」の茶風を表し、
利休の茶に帰ることを主張して創始します。
② 大日本茶道学会(だいにっぽんちゃどうがっかい)
田中仙樵が、1898年茶道本来無流儀を掲げて創設し、出版による研究活性化、秘伝開放、
理論的研究、人格形成によって真の茶道人育成を目指しています。
以下次回に続きます。
5) 千宗旦の子供達の三千家
利休の孫の宗旦が、千利休本来の「わび茶」を再興しますが、宗旦の子供達が興したのが
この「三千家」です。茶道は町人の階級にも広がりを見せるに従い、有力な勢力に成ります。
・ 実際に三家は(久田家を含)互いに養子を出し合い、共同で制度整備に当ています。
各々を別流派と見なす様になるのは、明治以降の事です。
① 表千家 : 千宗左(宗旦の三男 )が利休伝来の不審庵(ふしんあん)に住み、利休の正統を
継いだ事から始まります。表千家より、幾つかの分派が発生します。
) 松尾(まつお)流: 表千家六世覚々斎宗左に師事した松尾宗二は、分派し名古屋に
茶道を広めます。
) 三谷(みたに)流: 表千家六世覚々斎宗左に師事した三谷宗鎮は後に、安芸浅野藩に
召抱えられ一派を興こします。
) 江戸千家 流 : 川上不白が、 表千家七世如心斎の命を受け、江戸に下向して分派したもので
不白の死後、分派が進みます。
a) 不白(ふはく)流(表千家不白流): 比較的現代になってから、江戸千家流より
分派して結成します。開祖は川上宗順 です。
) 堀内(ほりのうち)流: 表千家の茶で、利休流茶道の分派。堀内浄佐が開祖です。
② 裏千家 : 千宗室(宗旦の四男)が宗左に不審庵を譲り、今日庵(こんにちあん)一世を
称したのが始まりです。
茶道諸流派中最大の流派で、茶道人口の過半数は 裏千家門下であるとみられています。
) 速水(はやみ)流 : 速水宗達が 岡山池田藩に茶道として赴く際に、裏千家八世
又玄斎宗室に奥義を受けて分派します。
岡山県を中心に広まり、古式の点前作法が余り変わらず、現存しています。
③ 武者小路(むしゃのこうじ)千家 : 千宗守(宗旦の次男) 宗守が晩年、武者小路に
官休庵(かんきゅうあん)を建て、官休庵一世を称したのに始まります。
宗家は「宗守」を名乗り、後嗣(あとつぎ)は「宗屋」、隠居後は「宗安」を名乗る伝統が
あります。 現在の家元は14代目になり、不徹斎千宗守と言います。
・ 分家(新たな流派)の禁止
『千家を名乗るのは表千家、裏千家、武者小路千家(の嫡子)とし、二男三男にはこれを
名乗らせない』と、表千家七代目、如心斎が定め、裏千家と武者小路千家もこれを了承し、
茶道の千家といえば、表千家、裏千家、武者小路千家の三家のみに限定され、分派する事は
なくなりました。
6) 肥後古流(肥後古流三家)古市流、小堀流、萱野(かやの)流
肥後古流(ひごこりゅう): 熊本藩で伝承された茶道の流派の一つ。
千利休の流儀をそのまま「古風の茶の湯」を伝えているとの事です。
① 流古市(ふるいち)流: 古市宗庵 が江戸初期、細川忠利(三斎の子)に藩の茶道方として
当用された事に始まります。
② 小堀 流: 宗庵の高弟の小堀長斎 が、江戸初期、師と共に藩の茶道方を勤めた事に始まります。
③ 萱野(かやの)流: 宗庵の高弟 の萱野隠斎が 江戸初期、師と共に藩の茶道方を勤めた事に始まる。
7) その他の流派
① 南坊(なんぼう)流 、立花流 : 筑前黒田家家臣の立花実山は、「南坊録」の茶風を表し、
利休の茶に帰ることを主張して創始します。
② 大日本茶道学会(だいにっぽんちゃどうがっかい)
田中仙樵が、1898年茶道本来無流儀を掲げて創設し、出版による研究活性化、秘伝開放、
理論的研究、人格形成によって真の茶道人育成を目指しています。
以下次回に続きます。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます