茶の湯の懐石道具について、お話いたします。
茶会で出される料理を、懐石(又は、会席)料理と言い、料理と共に、供せられる食器類を、
懐石道具と言います。
懐石と会席の文字が有りますが、歴史的には、会席が古く、室町時代末には、使われていました。
懐石は、江戸時代末期に、流布される様に成ります。
語源は、禅宗の「ひもじさを、凌ぐため、懐に温石(おんじゃく)を、忍ばせておく」事に、由来します。
ほんの少量の料理を、意味します。
現在では、両方とも、同じ意味で、使用されていますが、懐石の文字の方が、優勢ですので、
ここでは、懐石の文字を使います。
1) 向付(むこうずけ)
一汁一菜、即ち、膳に飯碗と汁碗が置かれ、その向こう側に、皿や鉢を置き、お刺身などの、
お造り又は、冷たい和え物などを、盛ります。
それまで、単に皿と、呼ばれていた物が、江戸後期以降、向付と呼ぶ様に、成ります。
・ つぼつぼ(壷々):袋状の、小さな器で、膾(なます)を盛ります。
初めての客を、迎える際に、一汁一菜と共に、供されます。
① 志野焼
16世紀末に、美濃(岐阜県)に、黄瀬戸、瀬戸黒、織部、志野と言う、優れた茶陶が、登場します。
志野は、我が国初の、白い焼き物と、言われています。
百草土(もぐさつち)と言う、「ざんぐり」した白い粘土に、長石釉を掛けて、焼きます。
白磁の白さが、透明性を、有しているのに対し、長石釉は、失透性の乳白色です。
釉肌には、所々に、火色や貫入が、入ります。
志野は、技法によって、無地志野、絵志野、鼠志野、練込志野などが、有ります。
) 絵志野
鉄絵で模様を描き、長石釉(志野釉薬)を掛けます。
・ 志野鶯宿梅千鳥図向付(径:16.2、高さ:7.2) 桃山時代
梅に宿る鶯と、川面を飛ぶ、千鳥の絵模様で、濃い黒色で、縁取りが、線で描かれています。
器の形は、縁がやや広目の、丸い皿(浅鉢)で、四隅を変形し、やや四角に成っています。
(志野の向付の、基本的な形です。)
半月状の粘土紐を、3ヶ箇所に付け、脚としています。
) 鼠志野
絵志野とは、明暗が反転しています。(即ち、ネガとポジの関係です)
鉄絵の具(鬼板、酸化鉄)を、百草土の上面に塗り、各種模様を、箆(へら)で、堀込みます。
志野釉を掛け、焼成すると、褐色から鼠色に発色し、白い模様が、浮き出てきます。
絵志野より、はっきりしたした、模様が出ます。
・ 鼠志野向付(径:15.8、高さ:6.0)桃山時代
尚、1953年荒川豊蔵によって、岐阜県可児市大萱牟田洞で、志野の窯跡と、陶片が発見され、
志野が美濃産である事が、確認されました。
② 黄瀬戸の向付
◎ 参考資料 「茶の湯の懐石道具」矢部良明著 (東京美術)
以下次回に続きます。
茶会で出される料理を、懐石(又は、会席)料理と言い、料理と共に、供せられる食器類を、
懐石道具と言います。
懐石と会席の文字が有りますが、歴史的には、会席が古く、室町時代末には、使われていました。
懐石は、江戸時代末期に、流布される様に成ります。
語源は、禅宗の「ひもじさを、凌ぐため、懐に温石(おんじゃく)を、忍ばせておく」事に、由来します。
ほんの少量の料理を、意味します。
現在では、両方とも、同じ意味で、使用されていますが、懐石の文字の方が、優勢ですので、
ここでは、懐石の文字を使います。
1) 向付(むこうずけ)
一汁一菜、即ち、膳に飯碗と汁碗が置かれ、その向こう側に、皿や鉢を置き、お刺身などの、
お造り又は、冷たい和え物などを、盛ります。
それまで、単に皿と、呼ばれていた物が、江戸後期以降、向付と呼ぶ様に、成ります。
・ つぼつぼ(壷々):袋状の、小さな器で、膾(なます)を盛ります。
初めての客を、迎える際に、一汁一菜と共に、供されます。
① 志野焼
16世紀末に、美濃(岐阜県)に、黄瀬戸、瀬戸黒、織部、志野と言う、優れた茶陶が、登場します。
志野は、我が国初の、白い焼き物と、言われています。
百草土(もぐさつち)と言う、「ざんぐり」した白い粘土に、長石釉を掛けて、焼きます。
白磁の白さが、透明性を、有しているのに対し、長石釉は、失透性の乳白色です。
釉肌には、所々に、火色や貫入が、入ります。
志野は、技法によって、無地志野、絵志野、鼠志野、練込志野などが、有ります。
) 絵志野
鉄絵で模様を描き、長石釉(志野釉薬)を掛けます。
・ 志野鶯宿梅千鳥図向付(径:16.2、高さ:7.2) 桃山時代
梅に宿る鶯と、川面を飛ぶ、千鳥の絵模様で、濃い黒色で、縁取りが、線で描かれています。
器の形は、縁がやや広目の、丸い皿(浅鉢)で、四隅を変形し、やや四角に成っています。
(志野の向付の、基本的な形です。)
半月状の粘土紐を、3ヶ箇所に付け、脚としています。
) 鼠志野
絵志野とは、明暗が反転しています。(即ち、ネガとポジの関係です)
鉄絵の具(鬼板、酸化鉄)を、百草土の上面に塗り、各種模様を、箆(へら)で、堀込みます。
志野釉を掛け、焼成すると、褐色から鼠色に発色し、白い模様が、浮き出てきます。
絵志野より、はっきりしたした、模様が出ます。
・ 鼠志野向付(径:15.8、高さ:6.0)桃山時代
尚、1953年荒川豊蔵によって、岐阜県可児市大萱牟田洞で、志野の窯跡と、陶片が発見され、
志野が美濃産である事が、確認されました。
② 黄瀬戸の向付
◎ 参考資料 「茶の湯の懐石道具」矢部良明著 (東京美術)
以下次回に続きます。