愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

鷲ヶ岳 福井県勝山市

2013年05月04日 16時46分04秒 | 福井県
5月3日、福井県の鷲ヶ岳に行きました。

畑ヶ塚

鷲ヶ岳のふもとに「畑ヶ塚」という記念碑がありました。これは南北朝時代のことです。畑六郎左衛門時能(はたろくろうざえもんときよし)という南朝側の武将がいて、北朝側の斯波高経に追われ、ここで戦ったという話です。斯波の軍勢3000騎に対して畑の軍勢わずか16騎だったそうです。畑時能は、大群相手に奮闘しましたが、肩に傷を負いここで死んだということです。昭和16年「畑時能奉賛会」という団体が畑氏を顕彰するためにここに碑を建てたようです。
建てた日が問題かなと思いました。昭和16年(1941年)です。戦争の真最中です。戦争遂行のために天皇への忠誠心を国民の間で高めておくことが必要だったことと関係している気がしました。なぜなら畑氏は南朝の武将だからです。


伊地知姓発祥の地

この畑氏の顕彰碑のすぐ横に「伊地知姓発祥の地」という碑がありました。
伊地知という姓は、鹿児島県に多いそうです。その伊地知という姓はもともとは、ここ「伊地知村」から出たそうです。

登山路

登山路は、始め急、中緩やか、終わり急という感じでした。途中の林道がとても歩きやすく緩やかだったからです。

馬の蹄跡・馬屋跡

馬の蹄跡と称する大きな岩がありました。表面に確かに凹みがあり、馬の蹄の跡と言っていえないことはなかったですが、かなり固い岩なので、馬が蹴って跡がつくのだろうかと少し疑問に思いました。また、馬屋跡という場所にも行きましたが、単に看板が立っていただけでした。

この巨石は?

林道を曲がったところに、少し平らなところがあり、その平らな場所の奥の方に巨石が聳え立っていました。先ほどの馬屋跡よりもこちらの方が見ごたえがありました。

登山路の花
登山路にはきれいな花がたくさん咲いていました。そのうちの二つを紹介します。

<カタクリの花です>

<シャガの花です。>

山頂に到着
?時間かけてやっと頂上に着きました。意外と狭かったです。頂上からの景色は、天気がよかったこともあり、絶景でした。

<山頂より福井平野を臨む>

<山頂より勝山市を臨む>

古戦場跡?

頂上に「鷲ヶ岳古戦場」というタイトルの看板がありました。ふもとの村にあった「畑ヶ塚」とよく似た文面ですが、こちらの方が戦闘の様子を詳しく描いていました。
また、石碑も建てられていました。

<石碑「畑将軍戦死の地」>
こうやって石碑が建てられていると、畑六郎左衛門は鷲ヶ岳の頂上で死んだのかと間違えてしまいそうです。(看板にふもとで死んだと書いてありますが)

ここに砦?
さて今回は山城に詳しい方と一緒です。(というより、その方に誘われたのです)今回の登山の大きな目的は、鷲ヶ岳に山城が存在しているかどうかの調査でした。「ここには、砦か、見晴台みたいなものがあったのかもしれない。山城はないだろう。」とおっしゃっていました。
ただ、「こぐち」と呼ばれる入り口跡らしきものや「縦の堀切らしきもの」が見受けられました。

<こぐちらしきもの>

<ほりきりらしきもの