松平記は三河一揆を知る上で重要な史料
「松平記」は、三河一向一揆を知る上で重要な史料です。しかし、いつ、だれが書いたものか分かっていないそうです。「愛知県史 資料編11 織豊1」の解説のところでは、慶長年間(1600年~1607年)松平忠吉の清須城主時代ではないかと推定していました。また、この文献の中に、天文13年(1544年)家康の母御大が離別したとき、著者の父が刈谷に護送したという記事があることから、著者は家康のそばで同時代を生きたとみなされると史料の価値を説明しています。
ネットで見れる松平記
愛知県史資料編での「松平記」は、明治30年刊行の流布本「校訂松平記」を底本としているそうです。ネットで調べたら、ホームページ「近代デジタルライブラリー」で公開されていました。
著者 坪井九馬三、日下寛
出版社 青山堂雁金屋
出版年月日 明治30年9月
シリーズ名 文科大学史誌叢書
ということです。
「松平記」の表紙
三河一向一揆について書いてあるところ
明治時代といっても、文章は毛筆で近世文書に限りなく近いものなので、それをそのまま読むことは、今の私ではできません。なので、実際は愛知県史に活字となったものを読むことにします。今後こういう文書も読めるようになるといいなあと思っています。
「松平記」は、三河一向一揆を知る上で重要な史料です。しかし、いつ、だれが書いたものか分かっていないそうです。「愛知県史 資料編11 織豊1」の解説のところでは、慶長年間(1600年~1607年)松平忠吉の清須城主時代ではないかと推定していました。また、この文献の中に、天文13年(1544年)家康の母御大が離別したとき、著者の父が刈谷に護送したという記事があることから、著者は家康のそばで同時代を生きたとみなされると史料の価値を説明しています。
ネットで見れる松平記
愛知県史資料編での「松平記」は、明治30年刊行の流布本「校訂松平記」を底本としているそうです。ネットで調べたら、ホームページ「近代デジタルライブラリー」で公開されていました。
著者 坪井九馬三、日下寛
出版社 青山堂雁金屋
出版年月日 明治30年9月
シリーズ名 文科大学史誌叢書
ということです。
「松平記」の表紙
三河一向一揆について書いてあるところ
明治時代といっても、文章は毛筆で近世文書に限りなく近いものなので、それをそのまま読むことは、今の私ではできません。なので、実際は愛知県史に活字となったものを読むことにします。今後こういう文書も読めるようになるといいなあと思っています。