愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

松平記 西三河地方

2013年08月22日 17時27分40秒 | 歴史史料
松平記は三河一揆を知る上で重要な史料
 「松平記」は、三河一向一揆を知る上で重要な史料です。しかし、いつ、だれが書いたものか分かっていないそうです。「愛知県史 資料編11 織豊1」の解説のところでは、慶長年間(1600年~1607年)松平忠吉の清須城主時代ではないかと推定していました。また、この文献の中に、天文13年(1544年)家康の母御大が離別したとき、著者の父が刈谷に護送したという記事があることから、著者は家康のそばで同時代を生きたとみなされると史料の価値を説明しています。

ネットで見れる松平記
 愛知県史資料編での「松平記」は、明治30年刊行の流布本「校訂松平記」を底本としているそうです。ネットで調べたら、ホームページ「近代デジタルライブラリー」で公開されていました。

著者 坪井九馬三、日下寛   
出版社 青山堂雁金屋   
出版年月日 明治30年9月   
シリーズ名 文科大学史誌叢書

ということです。


「松平記」の表紙


三河一向一揆について書いてあるところ

 明治時代といっても、文章は毛筆で近世文書に限りなく近いものなので、それをそのまま読むことは、今の私ではできません。なので、実際は愛知県史に活字となったものを読むことにします。今後こういう文書も読めるようになるといいなあと思っています。

三河一向一揆の史料 西三河地方

2013年08月22日 07時44分54秒 | 歴史史料
三河一向一揆の史料
 先月三河のお城などを訪ねたときに、三河一向一揆の話しが出ました。この一揆の中で、野場城では夏目正信が家康と戦っていました。東条城では、東条義昭が家康と戦っていました。
 そこで、三河一向一揆について詳しく調べることにしました。最寄の図書館、徳重図書館に愛知県史があり、その資料集「資料編11 織豊1」に「三河一向一揆特集」としていくつか資料があったので、それを読むことにしました。
 愛知県史の資料は以下のとおりです。
 松平記 巻二(抜粋)
 三河物語 巻中(抜粋)
 渡辺忠右衛門覚書(抜粋)
 水野勝成覚書 下総結城水野家文書(抜粋)
 寛永諸家系図伝 渡辺守綱(抜粋)
 寛永諸家系図伝 内藤正成(抜粋)
 寛永諸家系図伝 松平信一(抜粋)
 寛永諸家系図伝 松平伊忠(抜粋)
 寛永諸家系図伝 高力清長(抜粋)
 寛永諸家系図伝 成瀬正義(抜粋)
 寛永諸家系図伝 松井忠次(抜粋)
 永禄一揆由来 勝鬘寺文書
 読みやすく、書き下し文になっていましたので、インターネットで語句の意味や人物の評伝などを調べながら読みすすめました。
 また、ここには掲載されていませんでしたが、「参州一向宗乱記」(笠原一男 校注(日本思想体系十七 蓮如・一向一揆))も岡崎市図書館でコピーすることができました。

史料の分類
 さて、これらの史料ですが、愛知県史、岡崎市史のどちらの執筆者も同時代のものでないこと、一揆の一方の側(家康側)のものであることなどを述べていました。特に岡崎市史の執筆者新行紀一氏は、これらの史料を以下のように分類していました。
 A 17世紀中葉までに成立したもの
   A1 松平記、三河物語    A2永禄一揆由来
 B 18世紀成立のもの
   三河記異考拾遺録 土呂一揆巻 三州本願寺一揆書 三州一向宗乱記 等
 そして、Bは一揆体験の伝承に基づかないいわゆる研究書の部類に属する二次的史料であるとしていました。上記「寛永諸家系図伝」は寛永とあるので、17世紀に成立したものと考えられるので、新行氏の分類に従えば、Aに属するのでしょうか。さすがは県史ですね。新行氏の分類でAに属するものを選んで掲載していました。