松平記で、見てきたように上宮寺は三河一向一揆が起こるきっかけとなったお寺です。現在のお寺は写真のように極めて現代的な建造物になっていました。
上宮寺本堂
上宮寺山門
歴史を忘れてはならない、しかし過去にとらわれてはならない
いったいどうしてこんな現在的なお寺にかわったのか寺内を散策したら、その経緯を伝える碑がありました。
普通お寺には、お寺の増改築に寄付を寄せてくれた人の名前を書いたものが張り出してありますが、上宮寺は、立派な石碑になっていました。
それによると、1988年(昭和63年)8月31日出火し全焼してしまったようです。再建についてどうしたものかと困っているところ、「去る先人の『歴史を忘れてはならない、しかし過去にとらわれてはならない』との指示を受け、目前に迫る21世紀の寺院のあるべき姿を勘案して総額5億円余りの浄財を集めることにした」そうです。
お寺として21世紀にはどうあるべきかを考えて、このような建物になったといいます。すごい大胆な発想で、感動しましたが、私個人としては古くから伝わる上宮寺の姿をとどめて欲しいと思いました。
往時を偲ばせる鐘楼
さて、三河一向一揆の時代の上宮寺ですが、その面影をしのぶものは余り残っていませんでした。たぶんその当時のものに近いと思われる鐘楼がありました。
また、現代風の建築ができる前の本堂の写真もありました。
岡崎市の案内板
岡崎市の案内板にコンパクトに上宮寺について記載してあったので、それを掲載します。
この案内板によれば、聖徳太子の開基とあります。上宮寺という名前はこのことに由来しているわけです。また、「17世紀初頭の絵図によれば、北東南を妙覚池に囲まれた方形の平地上に建ち、三方には土塁と堀がめぐらされ、西にも土塁があった。その西の堀と溝に囲まれた区画に寺内町があり、全体として守護不入の特権が認められていた。」とありました。
また、「東方の土塁跡などから往時を偲ぶことができる」とあります。この土塁跡は見ることができるようなので、見てみたいと思います。
上宮寺本堂
上宮寺山門
歴史を忘れてはならない、しかし過去にとらわれてはならない
いったいどうしてこんな現在的なお寺にかわったのか寺内を散策したら、その経緯を伝える碑がありました。
普通お寺には、お寺の増改築に寄付を寄せてくれた人の名前を書いたものが張り出してありますが、上宮寺は、立派な石碑になっていました。
それによると、1988年(昭和63年)8月31日出火し全焼してしまったようです。再建についてどうしたものかと困っているところ、「去る先人の『歴史を忘れてはならない、しかし過去にとらわれてはならない』との指示を受け、目前に迫る21世紀の寺院のあるべき姿を勘案して総額5億円余りの浄財を集めることにした」そうです。
お寺として21世紀にはどうあるべきかを考えて、このような建物になったといいます。すごい大胆な発想で、感動しましたが、私個人としては古くから伝わる上宮寺の姿をとどめて欲しいと思いました。
往時を偲ばせる鐘楼
さて、三河一向一揆の時代の上宮寺ですが、その面影をしのぶものは余り残っていませんでした。たぶんその当時のものに近いと思われる鐘楼がありました。
また、現代風の建築ができる前の本堂の写真もありました。
岡崎市の案内板
岡崎市の案内板にコンパクトに上宮寺について記載してあったので、それを掲載します。
この案内板によれば、聖徳太子の開基とあります。上宮寺という名前はこのことに由来しているわけです。また、「17世紀初頭の絵図によれば、北東南を妙覚池に囲まれた方形の平地上に建ち、三方には土塁と堀がめぐらされ、西にも土塁があった。その西の堀と溝に囲まれた区画に寺内町があり、全体として守護不入の特権が認められていた。」とありました。
また、「東方の土塁跡などから往時を偲ぶことができる」とあります。この土塁跡は見ることができるようなので、見てみたいと思います。