愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

姫小川古墳 安城市

2014年09月06日 17時34分43秒 | 安城市

 9月6日安城に所用で出かけました。ついでに古墳を見学しました。姫小川古墳です。以前二子古墳を訪れましたが、姫小川古墳は二子古墳の南に位置します。ともに鹿乗川(かのりがわ)の西側です。


鹿乗川流域遺跡群
姫小川古墳は、鹿乗川流域遺跡群の代表的古墳です。鹿乗川流域遺跡群とは、弥生時代から戦国時代にかけての鹿乗川流域に広がる遺跡群です。

安城市HPより

浅間山の溶岩のある浅間神社
 さて、姫小川古墳は、現在は浅間神社になっていました。
 浅間神社は富士山信仰の神社です。富士山とどんな関係があるのか、不思議に思いましたが、社の方に上がると、なんと大きな溶岩がありました。


 この溶岩は、天明3年4月8日の浅間山噴火のときの溶岩だそうです。天明といえば、大飢饉の年。浅間山の噴火と大飢饉が関係付けられて信仰の対象となったのでしょうか。どちらにしても浅間神社は富士山ではなくて浅間山のことのようです。

三河地震の救援をした河合喜三郎
 さらに、となりに石碑がありました。これは昭和20年1月13日の大地震の際に河合喜三郎という人が救援のための寄金を寄贈したということで建てられていました。


 昭和20年は戦争の末期です。三河地震は、戦意が失われることや被害の甚大さが知られることを恐れ、国民はほとんど被害状況が知らされませんでした。そんな中で救援をした人がいたことが分かりました。

姫小川の由来 綾姫とは
 浅間神社の由緒によると、ここを姫小川と呼ぶのは、孝徳天皇の娘綾姫がこの地に住み、亡くなられた場所だからということです。「姫之郷」と呼ばれていたそうです。ただ日本書紀の孝徳天皇の中に綾姫の記述が見られないので、この伝説はどこから来たのか調べたいところです。