愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

足助城(真弓山城)(2)  豊田市

2015年05月04日 08時29分48秒 | 豊田市
西物見台
西の丸を見た後は、西物見台です。


西物見台

西物見台は、南物見台が柱だけで建てられているのに、どうして板で囲われているのだろうと不思議に思い、中を見ました。


南物見台


西物見台の中の説明

理由が書いてありました。物見と武器庫を兼ねていた建物だったようです。中に弓・矢などを入れておいたようです。それにしても、建物の腰板があったかどうか、またどのように使われていたか、どうして分かったのか不思議です。なにか文書でも残っていたのでしょうか。

3年前は、建物を撮って終わっているので、そこまでは考えていなかったようです。

南の丸
次は、南の丸です。3年前は、「はねあげ戸」「かまど小屋」「厨」「南物見台」を順に見ています。

はねあげ戸


カマド小屋


左かまど小屋、右厨、左上は南物見台

本丸と南物見台の間に堀切
今回も同じように見ていますが、一つ大きな発見がありました。


左が本丸、右が南物見台、間が堀切

南物見台と本丸の間に堀切があったということです。3年前にもあったのですが、見逃していたのです。物見台自身も高いところにあるのですが、そこから敵が本丸に攻めてこないように堀切が設けられていたのです。現在は、堀切の底が道となっていて、本丸と南物見台とに橋が架けられていて、その先に本丸の高櫓が見えるので、3年前は、そちらに目が行っていたようです。