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室城跡全景
室城とは
今日も快晴。もったいないので城めぐりに行きました。今回は室城跡です。室城については、現地の案内板に説明がありましたので、引用します。
室城は永正年中(1504~)に東条城に至る街道の要所を守る城として、東条吉良氏の重臣富永伴五郎(祐玉)によって創建されたと伝えられます。天文5(1536)年には、岡崎城を追われた徳川家康の父松平広忠がわずかの期間ですが在城していました。その後、永禄4(1561)年の藤波畷の戦いで富永氏が戦死したため廃城となりました。
室城跡は、広島城浅野文庫「諸国古城之図」にも掲載されています。
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蔵屋敷跡
室城跡の東側は、神明社で駐車場がありましたので、車はそこにとめました。神明社は、すぐ近くの民家より高いところにありました。「諸国古城之図」では「蔵屋敷跡」となっていますが、「地域の年貢米の集約センター」ではないかと「愛知の山城ベスト50」では紹介しています。
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虎口付近の空堀
この神明社から西の方に主郭があります。間の曲輪、虎口守備の曲輪は現在は駐車場と倉庫になっていました。そこをさらに、西に行きますと、主郭です。主郭の虎口付近に空堀が確認できると現地案内板にありましたので、よく見てみると、それらしいものがありました。画像は、虎口の外の南側です。
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虎口付近の空堀の跡
主郭土塁跡
主郭は墓地でしたが、東西に土塁の跡が見えました。
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主郭東側土塁跡
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主郭西側土塁跡
井戸跡
墓地の中央付近には、大きな井戸の跡がありました。
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切岸
主郭の西端は切岸になっていました。
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水堀、屋敷跡
室城の北方面に小川(水堀のあと)がありました。また、家臣の屋敷跡と思われる空き地もありました。
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水堀の跡と思われる小川
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屋敷跡と思われる空き地
室城主である富永伴五郎は、藤波畷の戦いで討たれましたが、享年25歳でした。彼の勇名は敵味方に知れわたっており、今でも「伴五郎地蔵」として現地に残されているそうです。