3日目
城の会2日目のホテルは、吉良温泉です。ここは、海に面したホテルで、朝には朝日を見ることができました。大変きれいで、これを見れただけでも大満足でした。
吉良温泉から見た日の出
西尾城
はじめに訪れた城は西尾城です。西尾城で再発見したのは、本丸東に馬出があり、その馬出の外側の堀が、その形のまま石庭になっているということです。
案内板では以下のように説明されていました。
「丸馬出 白砂を敷いた部分は発掘調査で明らかになった深さ2.5メートルの二重の堀の跡です。堀で丸く囲まれた部分は馬出と呼ばれる小曲輪で出撃に際して集合場所であり、虎口を守るための重要な場所でした。16世紀後半の戦国時代に築かれたと推定されます。」
本丸東虎口馬出の跡
また二の丸の天守台ですが、資料館の方の話ではもう少し北の方に広がっていたのですが、現在道路が走っているため、原型の天守台より小さくして復元したそうです。ネット「みかわこまち 西尾城二之丸跡整備について」によれば
「絵図では天守台は9間×7間に東多門(3間×3間)・南多門(3間×3間)。ただし南西部1間×1間凹む)が付随しています。天守は三重で高さ8間2尺(約15m)、石垣は土居1間半とあわせて、6間半(約12m)とされています。復元した石垣は高さ約6mで石材には幡豆石を使用し、野面積みの工法で積み上げています。」
石垣の高さは絵図の半分、広さも縦横ともに1mぐらい狭くしてあるようです。
西尾城二の丸天守台(2016年10月撮影)
東条城
東条城は、中世の城を復元したものとして興味深いものがあります。
東条城(左櫓台、右虎口)2013年7月撮影
本光寺
本光寺は、「松平家忠日記」で有名な松平家忠の菩提寺です。正確には深溝松平家の菩提寺です。ここでは、お寺の人の話が聞けました。特に宝物館にも入らせていただき、珍しいお宝などを見せていただきました。
本光寺松平氏墓所(2013年7月撮影)
長篠城
西三河の史跡から一転進路を東にとり、長篠城、設楽原古戦場へと向かいました。長篠城では、以前訪れた武田勝頼の陣所(鳶ヶ巣砦、山中砦)を紹介したり、鳥居強右衛門の話などを会員の皆さんに紹介しました。特に山中砦跡は今まで長篠城からは見たことがないので、よく目を凝らしてみると、確かに見えましたので感動しました。新東名高速道路ができた際にこの砦跡もできたのではないかと思いますので、「新名所」になった感じです。
中山砦跡石碑。(2016年10月撮影)この横に櫓が復元してあり、その櫓が長篠城から見えました。
設楽原古戦場
そして最後は設楽原古戦場です。ここではいわゆる鉄砲の3段撃ちについて見学者の中で議論になりました。私も興味深く話を聞いていましたが、その中で「鉄砲隊は、柵の外側(武田軍側)にいる」との指摘がありました。
長篠合戦図屏風(部分、徳川美術館、ウィキペディア)
確かによく知られたこの絵図では鉄砲隊の主力部隊がが柵の外に出て構えています。そして鉄砲隊の前には土塁らしきものがあり、その前に川があります。この川は連吾川でしょうか。そうすると織田徳川の連合軍はかなり前のほうに馬防柵を築いていたことになります。現在復元されている馬防柵はかなり後ろのもであることになります。
それにしても馬を防ぐための柵の前で鉄砲を構えていたのはなぜなのか不思議に思いました。
知らないことばかりの古戦場見学でした。
城の会2日目のホテルは、吉良温泉です。ここは、海に面したホテルで、朝には朝日を見ることができました。大変きれいで、これを見れただけでも大満足でした。
吉良温泉から見た日の出
西尾城
はじめに訪れた城は西尾城です。西尾城で再発見したのは、本丸東に馬出があり、その馬出の外側の堀が、その形のまま石庭になっているということです。
案内板では以下のように説明されていました。
「丸馬出 白砂を敷いた部分は発掘調査で明らかになった深さ2.5メートルの二重の堀の跡です。堀で丸く囲まれた部分は馬出と呼ばれる小曲輪で出撃に際して集合場所であり、虎口を守るための重要な場所でした。16世紀後半の戦国時代に築かれたと推定されます。」
本丸東虎口馬出の跡
また二の丸の天守台ですが、資料館の方の話ではもう少し北の方に広がっていたのですが、現在道路が走っているため、原型の天守台より小さくして復元したそうです。ネット「みかわこまち 西尾城二之丸跡整備について」によれば
「絵図では天守台は9間×7間に東多門(3間×3間)・南多門(3間×3間)。ただし南西部1間×1間凹む)が付随しています。天守は三重で高さ8間2尺(約15m)、石垣は土居1間半とあわせて、6間半(約12m)とされています。復元した石垣は高さ約6mで石材には幡豆石を使用し、野面積みの工法で積み上げています。」
石垣の高さは絵図の半分、広さも縦横ともに1mぐらい狭くしてあるようです。
西尾城二の丸天守台(2016年10月撮影)
東条城
東条城は、中世の城を復元したものとして興味深いものがあります。
東条城(左櫓台、右虎口)2013年7月撮影
本光寺
本光寺は、「松平家忠日記」で有名な松平家忠の菩提寺です。正確には深溝松平家の菩提寺です。ここでは、お寺の人の話が聞けました。特に宝物館にも入らせていただき、珍しいお宝などを見せていただきました。
本光寺松平氏墓所(2013年7月撮影)
長篠城
西三河の史跡から一転進路を東にとり、長篠城、設楽原古戦場へと向かいました。長篠城では、以前訪れた武田勝頼の陣所(鳶ヶ巣砦、山中砦)を紹介したり、鳥居強右衛門の話などを会員の皆さんに紹介しました。特に山中砦跡は今まで長篠城からは見たことがないので、よく目を凝らしてみると、確かに見えましたので感動しました。新東名高速道路ができた際にこの砦跡もできたのではないかと思いますので、「新名所」になった感じです。
中山砦跡石碑。(2016年10月撮影)この横に櫓が復元してあり、その櫓が長篠城から見えました。
設楽原古戦場
そして最後は設楽原古戦場です。ここではいわゆる鉄砲の3段撃ちについて見学者の中で議論になりました。私も興味深く話を聞いていましたが、その中で「鉄砲隊は、柵の外側(武田軍側)にいる」との指摘がありました。
長篠合戦図屏風(部分、徳川美術館、ウィキペディア)
確かによく知られたこの絵図では鉄砲隊の主力部隊がが柵の外に出て構えています。そして鉄砲隊の前には土塁らしきものがあり、その前に川があります。この川は連吾川でしょうか。そうすると織田徳川の連合軍はかなり前のほうに馬防柵を築いていたことになります。現在復元されている馬防柵はかなり後ろのもであることになります。
それにしても馬を防ぐための柵の前で鉄砲を構えていたのはなぜなのか不思議に思いました。
知らないことばかりの古戦場見学でした。